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作者: ひだか こう

 猫が歩くのです。行く先は分からないのです。何かを感じ取ったかのように、一瞬ふっと振り向いたけれど、そのまま歩き去ってしまうのです。

 猫も歩くのです。相変わらず、行く先は分からないのです。ただ、その足取りは軽く、着実に前へ進んでいるのです。肉球のおかげで聞こえるはずもないのですが、その聞こえないはずの足音が聞こえるような気がして、なおかつその足音は心地よく耳に響くのです。

 なあお。一声鳴いたその横を、とてつもなく大きな鉄の塊が、びゅうんとうなり声を上げて通り過ぎていきました。

 なあお。なんだろう。こわいなあ。そんなふうに、猫はまた一声鳴くのです。

 なあお。まあいいや。そう思ってもう一声鳴いて、猫はまた気にせず歩き始めるのです。


 猫の一日に、予定などないのです。時計がないのですから。あるのは、お天道様とお月様、そして猫の気分だけなのです。お天道様にご挨拶して、おなかがすけば食べ物を探し、まぶたが疲れたと不平を言えば指定席でお昼寝し、お月様にご挨拶して集会へ向かうのです。

 大変気ままで堕落的でありますが、猫にしてみればこれで十分満たされているのです。人間は猫を眺めますが、猫は人間を眺めないのです。なぜかって、そりゃあ、せかせかあせあせ、見ていてこちらまで目が回ってしまうからなのです。目がまわって、そのままぱたりと倒れてしまいそうになるのです。


 ああ、そういえば。こんなお話を、耳に挟んだことがございます。

 昔々、生き物を作った神様がいらっしゃいました。神様はどの生き物にも、同じ数だけの『コドウ』と呼ばれるものをお与えになりました。そしてこうおっしゃいました。

「使い方は皆自由だよ。ただ、余分は誰にもないし、いらないからといって他の皆に上げたりしてもだめだからね」

 生まれたばかりの生き物たちは、皆何度も首を縦に振ったそうです。ただひとつの生き物を除いて、だったようですが。

 その『コドウ』はとても不思議で、強い力を持っております。一度に沢山使えば、大きな力を、少しずつ長く使っていけば長く生きていられるのです。

 身体の小さな生き物たちは、小さな身体でも他の生き物に劣らないようにと、一度に沢山の『コドウ』を使いました。

 身体の大きな生き物たちは、速く動きづらい大きな身体でも満足できるように長く生きたいと、少しずつ『コドウ』を使いました。

 あなたは、賢そうな瞳をしてらっしゃいますから、もうお気づきでしょうかね。そうなのです。この『コドウ』は、いまも動き続けている心臓のトクトクトクという『鼓動』なのです。

 生き物たちは皆、神様のおっしゃられたことを守って鼓動を使ったそうです。ただ、ニンゲンという生き物だけは違ったそうでございます。

 他の生き物より力は弱いニンゲンでしたが、考えることがとても得意だったそうです。だから、ニンゲンはこう考えたそうでございます。

 たまに、鼓動を全て使うことなく死んでしまうものがいる。あまった鼓動を、どうにか他のものが使えないだろうか。

 神様は、人間がこう考えていることをきいて、もちろんお怒りになられました。しかし、ニンゲンたちは聞こうとしなかったのです。

 考えることが得意だったニンゲンがその方法を見つけるのにさほど時間を要しませんでした。なんでも『イショク』という方法で、他のものから鼓動をもらえるのだというのです。

 と、いいましても猫にはその『イショク』がどういうものなのか、とんと検討はつきませぬが。


 さて、少々長くなりましたがお話を戻しましょう。

 猫が思うには、人間がせかせかあせあせしていて、見ているとこちらまで目が回ってしまうのは、きっと鼓動を必要以上に使っているからだと思うのです。人間は、自分の鼓動がなくなっても他のものから鼓動をいただく術を知っておりますから、使い切ってしまうことが恐ろしくないのでしょう。猫はそう思うのでございます。

 ああ、どうかお気を悪くされないでくださいませ。その『イショク』とやらが悪いと申しているわけではございませんから。いまや、天下の人間様。その人間様が正しいと思われていることなのでありますから、きっと正しいのでございましょう。いや、きっと。


 ただ、一つだけ申し上げるといたしますと、もう少しせかせかあせあせをやめてもよろしいのではないかと思うのです。

 猫だから思うのではありません、人間様でないから思うのです。猫が思うには、それほどまでにせかせかあせあせしているのは、人間様の他に見たことがないのでございます。


 ささ、少しで構いませぬ。あなた様もその足を一度お止めください。そして耳をすますのです。

 ほうら、聞こえる。お分かりになりますか、それがあなた様の『コドウ』でございます。普段耳を傾ける機会がないだけでございます。『コドウ』はずっとあなた様に呼びかけているのでございます。

 なんとまあ、不思議で美しいものなのでしょうか。


 猫は歩くのです。行く先は分からないのです。それでも良いのです。大変気ままで堕落的ではありますが、それは神様がネコにくださった『コドウ』の呼びかけに耳を傾けているからこそなのです。

 猫は歩くのです。人間様も歩くのです。

 ああ、そんなに走り続けなくても大丈夫なのです。そんなに走り続けていましたら、『コドウ』の呼びかけなど、耳に入らないではありませんか。

 走ることを悪いとは、猫は決して言いませぬ。ただ、迷ったときだけでも良いのです。その足をお止めになって、『コドウ』の呼びかけを聞いてみてはいただけませぬか。

 『コドウ』とは、実に不思議なものでございます。そして、あなた様をよく知っているものでもあるのです。


 さて、猫の話はこれぐらいにさせていただきましょうかね。

 ええ、行く先があるのかとおっしゃいましたか。


 いえ、行く先は分からないのです。

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