#05+1
#05おまけ
ぐぅうう、と音がする。
「あはは……おなかすいたねぇー?」
太陽は中天を過ぎて緩やかにくだろうかというところだった。
右の肩に十文字槍、腕にはこちらで使う古着や厚手の布鎧が入った皮袋を吊るして、左の小脇にまぁるいチーズを抱える。
スーツ姿なのにこの格好はどうなんだと思いながら、
「まあ、確かに」
恥ずかしそうに頬をかくアレクシアに同意する。
「チーズ買ったとき、なにかちょっと、一緒に買えばよかったかも?」
「立ち食いは、騎士さまからしたらはしたないんじゃないか?」
「いーのいーのっ! そんなの気にしてたら、戦場でごはんなんて食べられないじゃん?」
「それはそれで変な論理の飛躍ってものだろ」
呆れながら、修は腕時計を見る。こちらとあちらでの時間の経過が違っていないかどうかを確認するためだ。
「もう昼過ぎてるしな」
時計の針は三時を少し回ったくらいを指していたが、修はこちらの時計を見るまでは修は安易に一日が二十四時間だとは思わないようにする。
中学理科で天文学や気象学のさわりを学んでいるのだ、緯度経度で日没時間や日の出の時間が変わることぐらいは知っているし、そしてそれがこちらで通用するとは考えられないからだ。
「それ、時計?」
時間というのはどの国でも均一に流れている。そのため時計はどこの起源でいつから使われてきたかなどと容易に口にすることはできない。それこそ紀元前から使われてきたのだから。
それほど歴史のあるものであるからして、当然ながら、美術的価値も技術的価値も高くなる。修の腕にはめられたアナログ時計でさえ、おそらく修が当時購入した金額よりも高く売れることだろう。
「ん、ああ」
「ちっちゃいねぇー! かわいいねぇー! ……よく見ていい?」
「いいよ」
「やったぁ!」
アレクシアは嬉しそうに、時計をよく見るために修の腕に触れて、そっと近づく。
小さいものを可愛いというあたり、女性的というか――いや、アレクシアは女だが――そういう感性はだいたいどの国でも一緒なのだなと苦笑いを浮かべる。
「銀と黒で、きれぇーだねぇ」
高かった? と見上げる。
「いや」
それほどでもない、と。口には出さないが、そう返す。
修の言うとおり、ソーラーセル以外に機能のないビジネス向け腕時計はかなりリーズナブルに販売されているものだった。
「まーたまたぁ」
錘を用いた時計は十四世紀、ガリレオが振り子時計の構想を思いついたのは十五世紀、しかし振り子時計として完成を見たのはその後の十七世紀。個人が携帯できるゼンマイ式の懐中時計は十六世紀の発明だ。
ようするに、こちらでは個人が携帯できるほどの時計はいまだ存在していない。その上ソーラーセルが備えられたそれはオーバーテクノロジーもいいところである。
ただし、異世界の人間だからこういうのも作れるんだろうな、とだいたい慣れてきたころだ、アレクシアは別段驚くことはしなかった。
「――……おさむの国の文字って、なんだか柔らかいよねぇ。まるっこいってゆーか」
「アラビア数字は日本の国の文字じゃないけどな」
「なんて書いてあるの?」
「一番上が十二で、右周りに、一、二……」
時計のガラスを爪で軽く叩きながら、数字を説明していく。
「一日を二十四時間として、午前午後をそれぞれ十二時間、一時間は六十分で……っていう時間形態」
「へぇー……」
アレクシアは「小さくするんだからそんな工夫もするよね」と呟く。基本的に、文字盤には昼と夜を示す絵と、二十四の数字が並ぶのがこちらの時計だ。物理的に小さくし辛いのである。
そのネックをこうやって解決するなんて考えもしなかった、という感想を抱いていた。
「こっちの時計はどんなの?」
「あー、うん。教会に行けばあるよー。数字が二十四個のが」
時計が必要になったのは農耕のためと、そして宗教的活動のためである。鐘の音が時計のない時代に時間を知るための貴重な手段であったころから、これはまったく変わっていない。
そしてこちらでは、その鐘の音さえ聞こえるなら、個人の時計は要らないのだ。
「ボクの家にはないけど。まー、空を見ればだいたい分かるしね」
「うらやましい」
「え、どこが?」
いわゆる、田舎の時間に憧れる都会の人間的な心境である。実際に体験すると、それほどいいものではないのだが。
「ま、ともかく。そろそろヘティがお茶の準備をしてくれてるよ」
「なるほど、ティータイムか」
昼食という概念が薄い時代、朝食と夕食の間の空腹を紛らわせるために軽くなにかをつまむことが多い。日本ではそれが八つ時にあり、それが転じておやつとなったのは有名な雑学だ。
ティータイムで有名なイギリスで言えば、午前十一時のイレブンジィズ、午後三時頃のミッディ・ティーブレイク、夕食後のアフタディナー・ティー……と、二食よりもよほど多い回数行われるものである。
「と、そうだ」
ティータイムで思い出したように、修はスーツのポケットをまさぐる。
仕事中、小腹がすいたときにでもつまもうと思って購入したまま、入れっぱなしにしていたチョコレートがあることを思い出したのだ。
「食べる?」
小さな赤い紙のケースにはいった、金字で商品名が印刷されたナッツ入りのビターチョコのそれをアレクシアに差し出す。
「これなぁに?」
「チョコだけど」
「チョコ――……チョコレートぉ!?」
チョコレート。
紀元前では「神の食べ物」とされ通貨の代わりとなったこともある。
十六世紀にスペインに渡るが、当時は苦く渋く泡立った飲み物であり、飲み薬のほか塗り薬として用いられてきた。なお、当時の感想として「飲めば体験したことがないくらい気分が悪くなるほど不味い」とも記されている。
それからおよそ三百年後、つまり十九世紀にようやくこれが改良された――
「ぼ、ボクはいいやー……あはは」
日本人もかくやと思うような愛想笑いを浮かべて、やんわりと、それでいて強くそれを拒否した。
この国にはカカオを栽培しているところがない。気候が合わないためである。だが国外に目をむければ、きちんとカカオを栽培している国はある。
「たかいしねっ!」
そう――輸入品は高いのだ。
不味いから食べたくない、という本音を、その建前で拒否できる位には。
「別に、三百円程度だぞ?」
「ボク、おさむの国のさんびゃくえんが、こっちで金貨何枚になるかわかんないしっ!」
「あー、為替的な……って、そういうのはいいよ、別に。俺の金だし」
「そーゆーところをちゃんとしないといけないのが貴族なのだっ!」
「そうか?」
「そー!」
自分でも苦しい、そう感じているが……幸いなことに修は素直で言葉の裏をあまり読もうとするタイプではなかった。
しぶしぶポケットの中にしまいながら、
「じゃぁ、またあとで」
と呟くのだ。
「あはは……ヘティも拒否するんじゃないかなー? チョコって高価な、くすりだし?」
「――……あっ」
そこでようやく修は気付く。
「べ、別に媚薬じゃねーしっ!」
あさっての方向に。
○
――意外な事に、出されたのは紅茶ではなく緑茶であった。
もっとも、どちらも同じ茶葉から作られるのだから別に不思議なことではない。発酵を経てカテキンを酸化させ赤くするか、それとも発酵させずに作るかの違いだ。
「まぁーボクもまさか町中でびやくなんてわたされるとは思わなかったよ」
赤い紙の箱から黒く艶やかな、大粒のオニキスのようなそれをつまんで、口の中に放り込む。それは口の中ですぐさまとろけ、甘くほろ苦い味が広がる。
なかなか味わうことのない甘さに、とろんとした顔をした。
「ち、ちがうんだ……」
対して、修は声を震わせる。
「俺の世界で、チョコは媚薬って言われてた時期があっただけなんだ……実際そんな効果なくて……!」
「うんうん。だいじょーぶ、わかってるよー?」
「分かってないよねっ!?」
「でも、そう言われてたんだから……あるんでしょぉ?」
「な、ないぞ……」
アンチ・バレンタイン活動によってネットに広まった情報であるが、チョコレートにはアナンダミンという成分が含まれている。これを摂取すると、快楽物質であるドーパミンが放出され、人は幸福感を感じる――中毒性のある食品だ。
もともと、甘いものを摂取すると精神を安定させ幸福を感じさせる働きのあるセロトニンが分泌されるので、相乗効果で、チョコレート依存症なるものが存在するほどである。
「あるんだぁー?」
媚薬にはいくつかの定義があるが、チョコレートはこのうちドーパミンによる興奮作用や幸福感を利用するもの、と考えられている。
「な、ないよ……!」
「目が泳いでるよぉー?」
アナンダミンを摂取する機会がないために耐性がほぼ存在しないアレクシアは、とろんとしながらニヤニヤと修を小突いた。
「ボクをどぉーしちゃうんだろぉーねぇー?」
「どうもしないよっ!」
とろけた顔をするアレクシアに、熱い緑のお茶が入った白い陶器のティーカップを突き出す。熱いのでも飲んで落ち着け、という意味だ。
「んー、ありがとぉー」
素直にティーカップを受け取ると、両手で包むように持ちながら手の平で熱さを楽しみ、そして小さくすすった。
「こんなことなら、へんないいわけせずに、ヘティに黙って食べてればよかったかもー?」
「お前なぁ……」
なんとも正直なものだ。
「――……ところで、そのヘティがさっきから黙ってるんだけど」
「んー?」
言われて、アレクシアは横目でチラリと見る。ヘティはいつになく真剣な目をして、一粒のチョコレートを口の中でゆっくりと溶かしながら味わっていた。
「だいじょーぶだいじょーぶ」
ヘティは甘いものが大好きだからねぇー、と。まるでいつもの事のように笑う。
「…………チョコレートは、苦くてまずいもの、と思ってましたが」
言われて、ヘティはようやく口を開いた。
「これは、ほろ苦くはあるものの、甘く、とろけて、おいしい……」
真剣な表情のまま、もう一粒つまみ、指先でもてあそぶ。
「――作り方、分かります?」
日本とは本当にくだらない番組を立ち上げるもので、とある女芸人が本当の意味での手作りチョコレートを作るというバラエティが放送されたことがある。
テレビはそれなりに見るほうである修は、そのためチョコレートの製法を知っていた。
「知っててもたぶんできない」
が、実際にできるかどうかはまた別問題である。
「なんで知ってるんだろーねぇー?」
チョコレートは十九世紀まで飲み物で、チョコレートの技術革命が起こるまでは固形でなく、固形になってもしばらくはぼそぼそとした食感であった。
ようするに――修の知識が、巨万の富を生む可能性が出た瞬間である。
「そういう機会があって、知識だけ」
「……なるほど?」
「妙な顔すんなよ」
肝心の修は、その知識がどれほどの富を生むかをよく理解していないのだ。アレクシアにしてみれば、目の前に金の卵を生むガチョウが行儀よく座っているようにも見えただろう。
「だいいち、チョコレートって発酵食品だぞ?」
チョコレートは、原材料であるカカオ豆を一度発酵させて作るのだ。
「はっこーしょくひん?」
「チーズみたいなの。一度寝かせるというか、そういう時期が必要な食べ物だな」
「なるほど?」
本当に分かっているのかと疑いたくなるような、きょとんとした表情を浮かべて首をかしげる。そんなアレクシアの体たらくを見て、ヘンリエッタは軽く頭を抱えた。
「……失敗すると、食べられたものではないものが出来上がります。腐る、というか」
「なるほど!」
「そもそも腐敗と発酵はおんなじ現象で……ともかく、いくらなんでもやったこともないモノの発酵の見極めができるとは思わないし、できたとして、俺にはテンパリング技術がない」
ショコラティエという職がある。
職があるということは、専門知識もしくは専門技術、あるいはその両方が必要であるということだ。
「というか、必要な材料のミルクや砂糖は用意できるか?」
さらに言えば、チョコレートを作成する設備も、である。
チョコレートはカカオ豆をすり潰して作るのだが、すり潰しすぎても口ざわりが悪くなってしまうし、適切な温度でなければ油脂が分離してしまう。一滴の水が入るだけでもうまく固まらない。固まった後はその状態を安定させるために熟成させなければならない。
非常に管理の行き届いた、かつ精度の高い設備が必要になってくるのだ。
「……無理ですわね」
チョコレートという食品のデリケートさに、ヘンリエッタは絶望したような顔をした。
「そもそも、砂糖が無理です」
「だねぇー」
「それは、どうして?」
「この国、サトウキビが育たないので」
「うち、寒いほうだしねぇー」
「あー……」
この国の甘味料は現在、サトウキビから取れる砂糖と蜂蜜でほぼ占められている。
このうちサトウキビは十分な日光と水源が確保できる亜熱帯でしか育てることができないため、この国では輸入品に頼るしかないのだ。
(……テンサイがないのか)
砂糖が採取できる、寒冷地作物であるテンサイから砂糖が採れるようになったのは十八世紀だ。ただテンサイそのものは紀元前から存在しているし、砂糖採取用ではない、根菜としての品種は様々な種類のスープに欠かせない野菜でもある。
「まー、そんなにおいしい話はないってことだねぇー」
アレクシアは緑茶を一口すすると、
「とりあえず、明日のお話ー」
話題を切り替える。
「明日、日が出る前に出まーす」
「日が出る前……何時だ?」
「教会の鐘が五つ鳴るぐらいかなー?」
「朝の五時と六時の間ほどですわね。東の山のを越えますと、もう少し早いのですが」
「五時半か……起きられるかな……」
生活サイクル的に、修はあまりその時間に起きることがなことがなかった。目覚ましもなしに起きられるか、不安であった。
携帯電話のアラーム機能を使えばいいのだが、まだ時間の定義が修の時計と一致しているわけではないし、それに、
(……下手に異端扱いされたくもないしな)
宗教的事情、というものがある。
――例えば、めがね。
十三世紀、苦痛や不自由とは神の与えた試練であり、視力を補正し不自由をなくすその発明はその試練を否定する悪魔の発明だとされ、排斥運動があった時期がある。
普段使っているものでさえこれだ。いくらアレクシアが好意的だとしても、ヘンリエッタがそうであるとはかぎらないのだ。
「ボクが起こしてあげよっか?」
「……ヘンな起こし方さえしなければ」
「あはは、そんな、まさかぁー」
しかし、ちぇー、と呟いたのを決して見逃しはしないのである。
「あまり、寝起きがよくないのですね?」
「まぁ、そんな時間にめったに起きないし」
「のんびりしてますのね」
「仕事柄、のんびりできるから」
とはいうものの、修の職場はそこそこ一般的な事務所である。のんびりしているわけではない。
ただ、こちらと時間の感覚というか、生活スタイルがこちらとかみ合っていないだけだ。
「あとはー、ヘティに部屋に案内させてー……うん、おふろにして、そのあと、ごはんにしちゃおう」
「風呂か……」
時代にもよるが、どの時代もだいたいは混浴である。
混浴なのである!
「……こっちの風呂はどんなのか、楽しみだな」
もっとも、あまりにも大衆化すると売春が盛んになり宗教的に風呂は悪と断じられ、風呂にはめったに入らないようになってしまった時代も存在する。
特にフランスなどでは、水や湯を浴びると病気になるという風説がおこり、これが人から入浴をさらに遠ざけ、体臭を誤魔化すための香水が発達することになるのだが……、
(――香水のにおいはしない!)
つまり、体臭を誤魔化す必要がない、かなりの頻度で入浴が行われているということに繋がる。
ほぼ毎日入浴する現代人にとって、この事実は実にありがたかった。
「ま、シャワーは期待しないけど」
シャワーは十九世紀イギリスで発明されたものである。単純な構造だが、中高の理科で習うパスカルの定理を利用した、意外と最近の発明なのだ。
「しゃわー?」
「上からお湯を、こう、雨みたいに振らせるための道具」
少ない湯量で広い面積に湯をかけることができるという節水効果や、かつ断続的に湯が当たるためマッサージ効果が期待できる。
「……頭から湯を被るのとどう違いますの?」
「ざぱーってかぶったほうが、きれーになるとおもうんだけどなぁー?」
そしてなにより、大量の水で流すよりも効率的に汚れを落とすことができる画期的な発明である。残念ながら、こればかりは実際に体感してみないとわからない話だ。
「ま、そうだろうね」
それほど優秀なシャワーであるが、構造が単純なため模倣が簡単というデメリットがある。が、それが生まれるまで的確に売りさばけばそこそこの小遣いになったはずだ。
今までシャワーについてあまり気になかった修は、気付くことのない事実である。
「ま、どっちにせよ、ウチは蒸し風呂だけどねぇー」
「サウナか!」
蒸し風呂は必要な燃料と水が少なく済む風呂の形態の一つである。
「サウナは好きだな。汗がどんどん出ると、疲れも外に出てくみたいで」
「だよねぇー! ボクもすきぃー!」
風呂好きに悪い人はいない、とまで言いだしそうなくらい、アレクシアは嬉しそうに声を弾ませた。
「おとこのひとって、意外とお風呂入らないからねぇー」
「あー、わかるわかる。俺の知り合い、風呂嫌いでさ。そうだった」
「傭兵や農民なんて、汚らわしいの筆頭ですものね」
「農民は、おかねがないからって話だけどねぇー?」
「風呂には入ったほうがいいんだけどな」
ペストが流行ったさい、入浴習慣のないヨーロッパ人には大流行したが、入浴の習慣があるユダヤ人はなかなか感染せず、ユダヤ人が毒をばら撒いたという風評で大虐殺が行われたことがある。
清潔にする、たったそれだけで病気を予防するのだ。アレクシアから香水のにおいがしなかったことに、修が内心どれだけ喜んだか、分かろうものだろう。
「人間、やっぱりいつも綺麗にしないとな」
「でもボク、お湯が張ってあるお風呂は苦手だなぁー……おぼれちゃいそう」
「あー、事故は怖いしな」
日本では入浴中の溺死は年に四千人ほど確認されているという。
「おさむはおよげるからいいよねぇー」
「教わればよろしいのでは?」
「あったかくなってきてからねぇー?」
覚える気があるのか疑わしい生返事を返す。
「まま、そーいうのはあとで、ってことにして……お風呂にはいったらごはんなんだけど、おさむって食べられないものとかある? 宗教的に」
「――ないなっ!」
日本人は毒のある食べ物だって食べようとする民族である。むしろ宗教従事者以外で、宗教的理由で食べないと口にする日本人を探すほうが面倒くさいかもしれないというレベルかもしれないほどだ。
それだけに、修は堂々と力強く答えた。