#04
「天井のシミを数えているうちに終わるからねぇー!」
だらしない笑顔を浮かべゲスな物言いをする。アレクシア渾身の、女を寝所に引きずり込む悪徳貴族ごっこである。
「な、なにをするんだぁー!」
修よりも頭一つ分くらい背が低く、華奢な体をしているはずなのに意外と腕力のあるアレクシアの腕を振りほどけない。
「っつーか、くっそ強いなお前!?」
「あははっ。もしかして力を強くしてないとか思ってた?」
「――理不尽っ!」
魔法ならドーピングし放題だ、限度はあるが。
もちろん柔道の組み手争いで揉まれた修には、そうやってつかまれた腕をどうにかする技術がある。だが、さすがに女相手にそれを使うのはどうなのだという心理的なかせが働いてしまっていた。
「――」
それを見て呆れた声を上げるのは、ヘンリエッタだ。
「――――――?」
「だから、さっくりやっちゃったほうがいいじゃーん?」
それは、修に翻訳の祈祷をやってしまおう、というアイディアだった。そうすれば、ヘンリエッタや明日会うことになるであろう魔法使いのカタリナにわざわざ通訳の祈祷を事前に行ってもらう必要がなくなるからである。
「――……」
「べ、べつに楽しようとかそういうつもりじゃないしっ」
決して、アレクシアが楽をしたいというだけではないのだ。
ないのだ。
「おさむなら分かってくれるよねっ?」
「俺はそれどころじゃないっ!」
なのに修が拒否をしている理由は、実に簡単である。
ようするに、原理の分からない不思議パワーによって言葉が通じるようになるなど怖くて頭がおかしくなりそうだ、というだけだ。
「もうちょっと心の準備させろよっ!」
「だいじょーぶだいじょーぶ! ちょっとだけ! ホントちょっとだけだからー!」
「やだよマジ怖――ちょ、力強っ!?」
ギリギリと締め付けられる手首の痛みに修は、もはや武力行使もやむなしかっ、と心構えを作った。
「――――?」
だが、それをヘンリエッタが制した。
「えー? ここからおもしろいのにー……」
「なにが面白いんだ!」
「おさむがこわがってるのが可愛いっ!」
「ぶん投げるぞテメェ」
殴るよりも投げるほうが身にしみている柔道二段である。
まぁ、それよりももっと身にしみているのは足技――小外刈りという建前の、後輩かわいがり用ローキックだったりするのだが。
「――」
はぁ、というヘンリエッタのため息が背後から聞こえ――次の瞬間、過去にさんざん体験したことのある、ざわりとした感覚が首筋に走った。
(締め技――!)
とっさに、空いた手を首筋に伸ばす。顎を引いて気道を保護すると同時に、か細い腕が後ろから首に回されていた。
「おー、回避回避ー。すごーい」
アレクシアは感心したように声を上げる。後ろから腕を回したのは、ヘンリエッタのようだった。
「な、に、すんだぁ……っ!」
裸締めに近い形だ。
修の手は回された腕の間に滑り込んでおり、頚動脈をガードしている。かろうじて頚動脈洞反射による失神――つまるところの、落ちる、状態を回避していた。
だが腕を封印され、片腕は首の防御中。無理をすればやれないこともない、しかし修はほぼ身動きの取れない状態となってしまっていた。
「――」
「えー? 眠らせるのー?」
「ちょ、待……っ!」
アレクシアは嫌そうに眉を寄せる。この状況を楽しんでいるのだ、眠らせて抵抗が出来ないうちに……なんてことはやりたくないのだろう。
が、いくらなんでも抵抗し続ける男を、女二人で取り押さえ続けるというのは骨だということは理解しているらしい。
「はいはい、わかりましたよー?」
ヘンリエッタに言われ、つまらなそうに空いた手の人差し指を修のひたいに伸ばし――
「やめ」
「えいっ」
「――やめろぉおおおっ!」
自らの叫び声が目覚ましのような形となり、修は覚醒する。
司会に飛び込んできたのは、天窓の付いた見知らぬ天井。そして、天窓から差し込む日光で分かり辛いが、上から覗き込むアレクシアとヘンリエッタの顔だった。
「目が覚めたようですわね」
――ヘンリエッタが日本語を口にしていた。
「おはよぉー、言葉わかるぅー?」
「お、おう……おう?」
気を失っている間に、やられてしまったというわけだ。
「……」
体を起こし確認すると、そこはテンプレートのような怪しい部屋である。
小さな天窓しかない部屋、そこから差し込む太陽は真上にきており、日光は修に降り注いでいる。修の寝ている場所は五芒星の描かれた魔法陣、その中央だ。
魔法陣の周囲には何本も立てられたろうそく、今は火が消されている。ドクロや奇妙な供物がないだけ、まだ健全だろう。
「きぶんはどぉーお?」
「すごく晴れやか……とでも言ってほしいのか?」
それは昔なつかしの、秘密結社による改造手術を受けてしまった人間のセリフであった。
「あはは、まっさかぁー! どこかの秘密結社が洗脳でもしたわけでもあるまいしぃ?」
修はもちろん冗談で言ったのだが、アレクシアのその話を聞いて戦慄する。
似たような話はこっちにもあるのか、と。
「ねー?」
「そうね。もっとも、レクシーは儀式の前に、やろっかー、などと言っていたけども」
「アレクシアてめぇこのやろう!」
「それじょーだんだっていったじゃん!?」
受ける身からしてみれば、冗談ではすまないのだが……。
「まぁいい」
そのあたりを追求して、彼女達の機嫌を損ねるのは悪手である。
しかも修は異邦人で異世界人だ、何をするにしても後ろ盾なくしてはままならないことは明白なのだから、多少は「アレクシアのお茶目」として受け入れるしかない。
「ところでヘンリエッタさん」
「ヘティでいいですわ。これでも一応、立場はレクシーの下ですので」
「いちおうってなにさ、いちおうって」
「あなたがバカだから」
「なんだとぅー!」
ヘンリエッタは耳に手を当てて、聞こえないフリをした。立場が上の相手に対していい度胸だとは思うが、アレクシアもそのことについては一切触れることはしない。
「上とフランクに話しているのに、その下にかしこまっていられたら評判が悪いってものじゃないと思わない?」
「確かに……」
アレクシアにどういった事情があったのかは知らないが、ヘンリエッタの言い分はもっともであった。
「じゃぁ、ヘティさん。改めて――佐村修、よろしく」
「ああ、これはどうも――"花の騎士団"所属、レクシーに仕える従騎士。そしてこの家を守るヘンリエッタ・ハーブです。どうぞよしなに」
立ち上がり、握手を求めるように手を差しのばす。ヘンリエッタは、それを優しく握り返した。
○
言葉が通じるようになったヘンリエッタと改めて自己紹介をしたのち、三人は暖炉とソファーのあるリビングに移動した。
「普段はここでくつろいでいます」
ヘンリエッタが補足する。
テーブルの上には、読みかけなのか栞の挟まった本が一冊置いてある。言葉は通じるようになったが、修はいまだこちらの字を知らないため、それが一体何の本なのかは分からなかった。
「ふたりがかりでちょっと強めにかけたから、しばらくは持つと思うよ」
「なんか、さっきから英語しゃべろうがドイツ語しゃべろうが、ほとんど日本語に聞こえるのがすんげぇ怖いんだけど……」
なのにカタカナ英語は普通に聞こえるのだ。気持ちが悪いどころか、頭がおかしくなったのかと恐怖を抱くぐらいである。
「えいご? どいつご?」
「外国語ね。苦手だけど」
「二ヶ国……いえ、三ヶ国語でしょうか?」
「英語は学校で習っただけで、喋れるって言えるほど得意じゃない。ドイツ語は……中二病で、罹患時に、な」
ちなみに、役に立ったことは一度もない。
そうやって黒歴史を思い出して遠い目をする修を見て、アレクシアは不思議そうな顔をした。
「ずいぶん頭がよろしいんですね?」
「そうか? 上のほうじゃないのは確かだけど」
「まま、ボクの頭がパーになっちゃう話はおいといてー」
荷物を脇にどけるジェスチャーをして、アレクシアはやや強引に話題を変更する。
「明日、カタリナのところに行こうかなー、って思っているんだけど……おさむは馬に乗れないみたいなんだ」
「あらまぁ」
意外そうな顔をする。
「なんやかんや言って、乗れたほうが便利ですのに」
「馬は公道で走れないから……バイクならいけるんだけど」
日本の道路交通法では、馬は軽車両であるということは無駄な雑学として有名である。
「ばいく?」
「車輪が前後に並んでる乗り物だってさ、なのに転ばないとか、ほんと信じられない」
「……車輪が樽ほどに太ければ転びませんよね?」
「あ、そっか」
確かにタイヤの太さまでは言及していなかったが、そう考えるとはさすがに考えもしなかった。まるでロードローラーのようになってしまっているバイクを想像し、ナイナイ、とかぶりを振る。
しかし説明が面倒なのも確かだ。あえて訂正する必要はなかろうと、修は口をつぐんだ。
「まぁ、どちらにせよ。馬に乗れないことには変わりありませんが……さて、どうしましょうか? 馬車を手配します?」
「おしり痛くなるからいや」
「まぁ、馬車はお高いですしね。ひさしぶりに、ほうきに跨ってみては?」
「おまた痛くなるからいや」
「わがままな……」
ヘンリエッタは頭を抱えた。
この程度ならば別にわがままと言うほどではない。方法が複数あるのであれば、よりよい方法を選ぼうとするのは人のさがである。アレクシアは、人よりも少々こだわりが強いだけなのだ。
「――そういえばさ、おさむがいってた板ばねって、すぐ付けられちゃうようなものなのかな?」
もちろん無理だと分かっている。が、科学の力でどうにかしてくれるかもしれないからとりあえず聞いておこう、という考えで口にしているようだった。
「ムリだよ」
「だよねぇ」
「そもそもウソだし」
「えっ」
路面との接地を保つためのサスペンションと、路面からの衝撃や振動を吸収するためのショックアブソーバーは似て非なる装置である。
「だ、だましたなっ!」
「騙されるほうが悪いんだよ……」
「確かにそうですわね」
ヘンリエッタはウソをついた修を責めることなく、
「致命的な場面でなくてよかったですわね?」
とため息をついた。
迂遠な言葉使いやブラフを使い、言葉じりを捕らえて有利に運ばなければ生きていけない貴族社会では、言葉を鵜呑みにするバカは身ぐるみ剥がされる運命なのだ。
「話を戻すと……乗り心地をよくするには、路面の整備と、ゴムタイヤが必要だな」
「ごむたいや、とは……ごむ、というものを使った車輪ですか?」
「そういうことだな」
「どういったものなのでしょう?」
「あー……」
ゴムが工業的に発明されたのは十九世紀であるが、ゴム自体の歴史はもっと古い。
「……チューインガムって、嗜好品、ある?」
「嗜好品とは違いますが、ええ……え?」
もっとも古いゴムの利用法は、サポジラの木――和名にしてチューインガムノキの幹から取れる樹液を固め、チューインガムとして噛むという風習だ。
それは歯磨きの代わりであったり、ただの嗜好品としてであったりと様々であるが――人は、三世紀ごろにはすでにチューインガムを噛んでいたのである。
「正確には類似のゴムノキから取れる樹液の……なんだけど」
ちなみに、ゴムノキとはゴムになる樹液が取れる木全般を指す。工業用として発展したのはパラゴムノキであり、チュイーンガムノキと目科属種がまったく違う植物である。
決して類似の木ではない。
「作れます?」
「ムリムリ」
そも、生成ができたとして、成形をどうするかという問題が残る。
「じゃぁ、ガムをくっつけよう」
「アホか」
「アホですから」
「なんだとーぅ!」
「どれくらい量が必要になると思っているんですか。ウチにはそんななんてお金ありません」
「いやいや、量の問題でもなくて……まぁいいや」
修自身も無駄知識として知っているだけであるので詳しい説明ができない。勘違いでも納得して黙ってくれるのであれば、そのままにしておこうと思うのであった。
「――やはりほうきですね」
そしてヘンリエッタは結論を出す。
「うぇぇえ……」
鉄棒の上に跨るなり座るなりすれば分かるだろう、棒状のものに長時間座ればどのようになるのか。
当たり前だが痛い。そもそもほうきの柄は人が登場するような用途で作られてはいないのだ、乗り心地が悪いのは当然である。
アレクシアが嫌そうな顔をするのは当然といえた。
「だから飛行用を購入しましょうといったんです。なのに、お金がもったいないだの、儀式が面倒くさいだの……」
しかし、ほうきで空を飛ぶことが現実的にありうる世界ならば、当然ながら空を飛ぶためのほうきというものに需要が生まれる。需要が生まれれば自然と供給が発生し、商品として売り出されながら市場で研鑽されるのだ。
飛行用ほうきと聞くとどこかうろんな響きだが、あるんだからしょうがない。修は、飛行用掃除機だとか飛行用雑巾だとかではないだけマシだと思うことにした。
「だぁって、高いんだもん」
乗り物がえてして高いのは、おおむねどこでも一緒である。安全性や操作性、乗り心地の値段というのは高いのだ。
「馬よりはよっぽど安いですよ! むしろ馬がバカみたいに高いんです! 飼料費とか! 飼料費とかっ!!」
生物と無機物でどちらがコストパフォーマンスに優れるか、それは構造の単純さやメンテナンスの手間なども関わってくる。が、少なくともほうきより安い馬というのは存在しないだろう。
第一、馬には鞍などの付属品も多いのだから。
「馬は戦場の相棒だよっ!?」
「知りませんっ! 祈祷師なら祈祷師らしく、ほうきのほうが安上がりでしょうに!」
「ボクは騎士だもん!」
「時代遅れもはなはだしい!」
「は、はなはだしくないよっ!?」
修にはこのあたりの事情はよくわからないが、軍用バイク全盛の時代にいまだ軍馬から乗り換えないようなものなのかと勝手に想像する。
なお、こちらの軍用バイクにあたるものはデフォルトで空を飛ぶ点に注意されたい。
「……リースとか、レンタルとかは?」
「貸し出しなんてあったら苦労していません」
リースやレンタルとは一般的に、使用期限や回数に対しての費用が高すぎるような製品分野――こちらでは建物や船、貴族向けの商売として礼服――を扱うものである。
だいたい、細々とした日用品を貸し出していたという記録や、江戸時代に貸しふんどし屋なるニッチなものがあった日本がちょっと異常なだけなのだ。
「おさむぅー……」
「なに?」
「かがくチートでなんとかして?」
お前は何を言っているのだ、と半眼でアレクシアを見る。
ヘンリエッタに言い負かされそうな彼女は、助けを求めた相手から思わぬ追い討ちをくらったとばかりに、涙目だ。
「まったく、現実逃避なんてして……一日足らずで快適に移動できる方法なんてそうそう簡単に生まれるわけがないでしょう?」
「むしろそういうのは魔法の分野だよな?」
「それはあなたの偏見というものですけど」
同じ国の家同士という、狭い範囲でさえ異文化交流は難しいのだ。次元を隔てた異文化の認識のズレがどれほど大きなものか、想像するべくもないものである。
「そんなに痛いのが嫌なら、いっそ椅子でも飛ばしたらどうだよ?」
「ダメです。マヌケです。エレガントではありません」
「……外聞って大事だもんねぇー」
アレクシアでさえ遠い目をしての否定である。
「じゃぁ、じゅうたんもだめか」
「――それだっ」
「それだ、じゃありません!」
「ダメなものばかりなんだな」
「ほうきだって、ちょっと前まではダメという風潮がありましたけどね」
「だから馬は大事なんだよー」
「……ちょっと前といっても、あなたも私も、生まれるよりだいぶ前ですけど?」
ほうきで空を飛ぶことにも、先駆者的な人物がいたようである。もしかしたら、飛行用ほうきなるものをうまく貴族らに売りつけた商人かもしれないが。
「……呼ぶかー」
「ダメです」
「えー……?」
どれだけ嫌だというのか。
「それほどほうきがお嫌いなら、いっそ二人乗りしてはどうです?」
「二人乗り怖いんだもん」
「避けられるなら俺も」
「どうしてそこで二人とも声をそろえるんですかっ!?」
「だっておさむ、からだおっきいんだもん!」
騎手の前に乗せれば、前が見えなくなる。馬自身に考える頭があるから、きちんと調教された馬ならば多少安全だが、それでも危険なことには変わりない。
かといって騎手の後ろはそれなりに危ない。馬は後ろ足を強く蹴って進むのだ、背中の後ろ側は激しく上下に揺れてしまう。そのまま放り出される可能性すらあるのだ。
そもそも鞍は一人用しか存在しない。あぶみに足をかけられるのは一人だけと言うことだ。そうなるとどちらかは原始的に、馬の背中を内ももでしっかりとホールドしなければならない。
もちろん、アレクシアならばそれも可能だ。しかし激しく躍動する馬の背中に足の力だけでしがみつくのだから、内ももが擦れて悲惨なことになること必死である。
「二人乗りって、乗ってるだけのほうもけっこう技術がいるはずだし」
一方、修は馬よりも乗りなれたバイク基準で話をしている。バイクは重心移動で曲がるのだから、タンデムシートに乗っている人間が勝手に動けば曲がるものも曲がらず、転倒の恐れがあるのだ。
――馬は基本的に重心移動での操作ではないので、これは見当違いの心配である。
「その程度のワガママを言わないでくださいまし! ほうきが嫌なら馬、馬が嫌ならほうき! どちらか一択です!」
もはや爆発寸前といったふうに、ヘンリエッタが声を張り上げた。
「さぁ、返答やいかに!」