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#34

 ――鐘が鳴る。

「あっと……キリもいいし、今日はここまで」

 参考書を閉じると、生徒たちが一斉に立ち上がり、修に対して礼をする。

「先生じゃーねー!」

「はーい、車に気を付けて」

 外は真っ暗だ。しかしまだまだ元気いっぱいだというように、ランドセルを背負った子供たちが次々と廊下に飛び出していく。

「修さ、あ、佐村先生」

 そうして教室に最後まで残っていた茉莉は、まだ就業中だったと、言い直しながら舌を出した。

「お疲れさまでーす」

「はい、お疲れ様」

「もう慣れましたか? って、お母さんから」

「なんとかね」

「いっしょに帰りましょ、いっしょに」

「これから職員室で後処理とか残ってるんだけど?」

「コンビニで待ってますね、立ち読みして」

「はいはい」

 廊下に飛び出していく茉莉を見て、修は苦笑する。



 元の世界に帰ってこれた。

 それは茉莉にとって十分に気を緩める理由となって、彼女は思わず、声を大きくして泣きじゃくった。

 ――警察署の前で。

「やー、あの時は大変ご迷惑を」

「ああ、うん、大変だったね……」

 初めて警察のご厄介になってしまったあの"事案"を思い出し、こみ上げてくるいろいろな思いを缶コーヒーで押し流す。

 コーヒーはまるで、ブラックのように苦かった。

「こっちも仕事紹介してもらえて助かったよ」

「いえいえ。半分くらい、あんなところで泣いちゃった私のせいですし。それにコネって使うためにあるんですよ? お母さんのですけど」

 茉莉が必死に修の無実を訴え、茉莉を見送った彼女の母親が事情を察して取り成してくれなければ、今頃修は冷たい塀の中だっただろう。

(二週間以上無断でどっか行ってたんだもんなぁ……)

 警察のほうは誤解で済んだとはいえ、修たちは話せない事情――話したところで信じてもらえない事情で行方をくらませていたのだ。

 修は真面目に仕事をしていたので上司からは「大丈夫」と言われていたものの、

「記憶喪失でごり押せるものなんですねぇー、警察って」

「ああ、うん……」

 その真面目な人間が突如失踪、しかもその間の記憶がない。もしや過酷な就労状況だったのでは……などというゴシップの誕生である。

 そうした噂話というのは修の勤めていたような小さな会社にとってはなかなかの痛手で、このたびめでたく、人員整理の対象になってしまったのだ。

「……すっかり夏だねぇ」

 記憶喪失だからと上司から病院を紹介されて脳の精密検査を受診させられ、心療内科を受診させられ、クビになったショックからカウンセリングで一か月近く病院通いを続け……ようやく、立ち直ってきた。

「そういえば、せっかく衣替えしたのに修さんから何にも言ってもらってないです」

 涼しげな、しかし夜には肌寒そうな夏服を見せつけるように胸を張る。

「かわいいって、言ってくれても構わないです」

「あー、うん、かわいいね」

「なげやりですね」

「ロリコン扱いされたくないし」

 スーツを着たサラリーマンや、派手な服を着たお嬢さんとすれ違うたびに見られている気がするのである。修にはなまじっか"前科"があるので、下手をしなくとも事案じゃないかなぁ……などと感じてしまうのだ。



「わぁー、修さんのお家、せまぁーい!」

「ワンルームだからね」

「これがワンルーム!」

 ワンルームを初めて見るのか、茉莉は興奮した様子で部屋の奥へと駆けていく。

(……なんで連れ込んでんだ俺)

 話が盛り上がってしまい、気付いたら自宅の前だったのだ。

「……私の部屋より狭い?」

「やっぱ茉莉さんいいところのお嬢さんでしょ」

 生活スペースになる洋室自体はだいたい八畳ほどである。それをして自分の部屋よりも狭いというのだから、何とも贅沢な話だ。

「ベッドはもうちょっと大きくないと、眠りづらくないです?」

「それ、備え付けだから」

「あ、そうなんですか」

 なるほどと頷いてベッドに腰掛ける。

 ランドセルもすでに床に下していて、コンビニで買ったジュースを開けるという完全なくつろぎモードに入った。

「ええっと……茉莉さん?」

「今日、両親帰ってこないんです」

「そのセリフは待とう」

 どこで覚えたと思わず絶叫しそうになるが、普通に近所迷惑なので必死に抑え込んだ。

「男の人が喜ぶと聞いて!」

「誰にっ!?」

「雑誌ですよ?」

 有害図書として発禁処分にするべきではないだろうかという発想が頭をよぎる。

「っていうか、お兄さんがいるだろ?」

「あー、あれ……」

 ぱきゅ、と缶ジュースのプルタブを起こす。

「今日、嫁の誕生日だそうで」

「あ、茉莉さんの義姉さんの」

「人形の前にケーキお供えしてますが?」

「……実在するんだ」

「はい、忌々しことに」

 実在する架空の嫁の誕生パーティである。苦笑いすら浮かばなかった。

「うっとうしいんで今日は泊めてもらえると」

「タクシーを呼ぶから待ってね」

「………………叫びましょうか?」

「やめてください、死んでしまいます」

 主に社会的に、である。

「修さん」

「はい」

「今日、帰りたくないです」

「そのセリフもちょっと待とう」

「男の人が喜ぶセリフパートツーです」

「もうその雑誌読まないほうがいいね」

「……修さん、ちょっとお堅くありません?」

「そうしないと死んじゃうからね」

 もう一度言うが、主に社会的に、である。

「っていうか、俺を何だと思ってるの?」

「ロリコン!」

「勘弁して!」

 確かにアレクシアとは仲良くやっていたが、しかし別にそういう間柄ではなかったのである。是非に否定したいレッテルであった。

「じゃぁ修さん。私を社会不適合者(おにいさん)がいるお家に返すのと、推定ロリコンじゃない修さんが泊めてくれるのとで、どっちが安全だと思います?」

「少なくとも家に帰るのが安全だと思うよ?」

 世間一般の常識と、修の社会的な立場の保全から見て、である。

「私、お父さんがうるさくて一度もお泊り会とかしたことないんですよ。ささやかな夢じゃないですか」

「ささやかならあきらめよう」

「むぅ!」

 頬を膨らませ、

「わかりました。じゃぁ男の人が絶対に喜ぶセリフ……最終兵器です!」

「俺を殺す気か」

「悩殺はするつもりですねー」

 どこか論点がずれてきているような気がしないでもない発言をして、茉莉は数度深呼吸。

「まだ初潮来てません!」

「そのセリフはやめろ!」

 お互いに思わず声を張り上げてしまったせいか、隣の住人がドンドンと壁を叩いた。



「ごちそうさまでした」

 両手を合わせて、茉莉は言う。

「やー、修さんって料理上手なんですね」

「ただのカレイの煮魚だけどね」

 カレイを醤油やみりん、その他さまざまな調味料で煮込んだだけで、さほど難しい料理ではない。茉莉はレシピ通りに作られた、それなりに保障された煮魚の余韻を楽しむようにお茶をひとすすり、

「ご飯もいただきましたし」

「帰ってくれるのか」

「お風呂にしましょう」

「おい」

 完全に泊まる気である茉莉に、思わず低い声を出して突っ込んだ。

「えっと……修さんって、まさか、汗臭いのが好みです……?」

「違う、そうじゃない」

 なんでこんなにませているんだと、好感度が高いんだとしばし頭を抱える。

 ――しかしよく考えてもみればわかることだ。

 彼女はまだ十一歳。小学五年の女児で、それが突然家のドアを開けたら見知らぬ土地に放り出されたのである。しかも一人だ。どれだけ心細い思いをしただろう? その状況下で、実際は違うが、助けに来てくれた大人が修である。

 ならば多少なり好感を持つのが人情であり、ややませた性格であった茉莉は、単純にそれが極端なだけなのだ。

「あんまり大人をからかうんじゃありません」

「わりと本気なんですけど」

 伝わりませんかー……と少しばかり肩を落とす。

 しかし残念なことに、それしきのことでめげるほど茉莉はおとなしい性格ではなかった。

「あ、この本なんですか?」

 あっさりとあきらめつつも話題を逸らし、どこで知ったか切り札のひとつである"終電、なくなっちゃいましたね……"作戦を実行すべく、テーブルの下に転がっていたハードカバーの海外書籍を取り上げて時間稼ぎを始めた。

「……」

 何をたくらんでいると、じとりとした目で睨まれる。

 茉莉はそんなことありませんと、にこにこ笑って返した。

「はぁ……それは縮退炉のサブカル本だよ」

 修はあきらめたように口を開く。

「しゅくたいろ?」

「いわゆるSF――サイエンスフィクションでまれに登場する架空のエネルギー炉で、ざっくり言うとブラックホールからエネルギーを取り出そうっていうもの」

「SFですかー」

 珍しいですねーと。

「修さん、もうちょっとお堅い勉強の本でも読んでるのかな、と思ってました」

「いや、もう科学の話はおなか一杯だからねぇ……」

 相対性理論の本は拾得物ということで警察に届け出したので修の部屋にはないが、確かに修のこれまで集めてきた本は数学や科学の学術書や雑学本であったりと、茉莉からしたらなかなかに"お堅い"本であったのは事実である。

 これ以上勉強したらまたアレクシアの世界に呼ばれてしまうのではないか? という恐怖心があったのだ。

「まぁ、塾の先生になっちゃったし。多少なり勉強は続けてるけど」

「へぇー」

 異世界で十分に数学の凶悪さを学んできたせいか、修の授業はわりと人気がある。それに応えられるよう勉強し直すあたり、

「真面目ですねー」

 茉莉の言う通り、真面目であった。

「そうでもないよ? 言ってしまうとロボットとかの、オタク文化でよく見られるような架空の技術だし」

 縮退炉とブラックホールエンジンは微妙に違う存在だが、物質を縮退してエネルギーを発生させるという点においては似たような存在である。

 原理は作品ごとにさまざまな設定が数多く存在するが、こういった動力源を持つものは莫大なエネルギーを持つとされていることは共通だ。主に恒星間宇宙船やスーパーロボットなどに搭載されている。

「架空とはいえなかなか面白い技術でね。物質の質量を吸収してエネルギーに転換するんだけど、これが一般相対性理論と――って、言ってもわかんないかな?」

「はい、ちっとも」

「まぁ、いろんな物質がガソリンみたいに使えるってことだよ。理論上、百パーセントの効率があるから、ガソリンなんか目じゃないけどさ」

「へぇー」

 意味は分からないがとてもすごいエンジンなんだな、と茉莉は解釈する。

「今度はそれで呼ばれちゃったりしちゃったりして」

「それは笑えないなぁ」

 苦笑を浮かべ、

「さて……じゃぁ帰ろうか」

「えっ」

「時間稼ぎっていうのはお見通しだよ」

「そんなぁ!」

 切り札を何枚も切ったというのにちっとも成功しないと、茉莉はがっくりと肩を落とした。

「はいはい、車で送ってあげるから」

「ぶぅー」

 不満げに唇を尖らせながらランドセルを背負うのを見届けると、修はベッドサイドにおいてある車のカギを取り、免許証の入った財布をポケットに突っ込んだ。

「私そんなに魅力ありませんかねぇー?」

「年齢が問題だと思うんだ」

「じゃぁ、あと五年後ですかねぇー」

 保護者の承諾こそ必要だが、結婚可能な年齢を指定するあたりがなかなかに末恐ろしい。もうちょっと子供っぽくできないかなぁなどと思いながら、修は玄関を開け、

「――……」

 すぐに閉じた。

「あれ、気が変わりました?」

「いや、違うくて……」

 疲れてるのかなぁ……と強く目をこする。

「茉莉さん、ちょっと開けてみて」

「え、ちょ……」

 その一言ですべてを察したように、茉莉は数歩後ろに下がった。

「……マジです?」

「目が、合った。アレクシアと、がっつりと」

 それを聞いた茉莉はしばし固まり、そして何かを言おうと口を開いて、止まり、

「修さん」

 覚悟したように彼の名前を呼んで、

「行きましょっか」

 決意した。

「え、でも……」

 せっかく戻ってきたのに、と。

「行かないと結局、バラバラで呼び出されちゃう可能性がありますよ? それって、とってもめんどくさいなって、思うわけです」

 それに、

「たぶん、私が呼ばれたのって、占いの能力を見込んでだと思うんですよね。修さんのサポート役って感じで。ほら、変なチート能力つけられちゃいましたし」

 だから、

「結局、私もあっちに行かなきゃいけないかもしれないので。一緒に行きましょう」

「……いいの?」

「はい」

 茉莉は笑って答えた。

「あっちに行けば日本の法律なんて関係ないですしねっ!」

「ちょ――!?」

 それでいいのかと口にする前に、茉莉は修の脇をすり抜ける。

「やー、そう思うと覚悟も決まるってもんですよ。本命(アレクシア)さんが遠いとこにいると、思い出補正のせいで本命(アレクシア)さんに勝てませんしねー」

 朗らかな笑顔を浮かべて、左手をドアにかけ、

「さっ、修さん!」

 新しい冒険が待ってますよと、右手で修の手を引いた。

「あ、ちょ、待って!」

「れっつごー!」

 小学生とは思えない力強さで引っ張られながら、修たちは異世界への扉を潜り抜けた。

「俺まだ覚悟決まってなぁあああい――!」

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