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#33

 物体が流体の中にあるとき、物体にかかる浮力は、物体と同じ体積の流体に作用する重力に等しい――これがアルキメデスの定理である。

「王冠を壊さずに純金製か、銀が混ぜられているかを調べろって言われた数学者アルキメデスが風呂に入って思いついたことだって言われてる」

 その後十九世紀に科学技術理論として再発見されたことと、そのころから鉄製の船舶が登場したことは全く無関係とは言えないだろう。

「あんまり嬉しくて、風呂屋から家まで全裸で"エウレカッ!"って叫びながら帰ったとか」

「控えめに言って変態だねぇー」

 アレクシアが呆れたように声を上げ、修にお茶を差し入れる。

「ヘティは?」

「頭がパンクしそうになってる」

 計算尺を使っているとはいえ半ば片手間に体積計算をする修に対して、ヘティは部屋の隅で九本の計算棒を駆使しながらうんうん唸って、

「――ああもう! どうして単純な円錐型ではないのでしょう!?」

「あ、爆発した」

 他人事のように、修はティーカップに注がれている緑茶をすする。

「修様っ! なぜこんなおかしな船底をしているのです!?」

「想定する喫水線以上に沈まず、かつ鉄を海に浮かべるために必要な浮力を得るため」

 などという詭弁を並べるが、実際のところ修にもよくわかっていなかったりする。

「きっすいせん?」

 アレクシアが首を傾げた。

「水面が船底のどのへんに来てるか、船がどれくらい水に沈みこんでるかっていうもので……これが深いと浅瀬で簡単に座礁、川底とかに引っかかって危険なんだ」

「なるほど」

「それに速度も出ないしね? ま、かといって喫水線を浅くすると船が転覆しやすくなったり……このへんバランスも計算して出さなきゃいけないかな」

「そんな船、おさむとヘティしか作れないよっ!?」

「大丈夫」

 修ははっきりと断言する。

「まっすぐ浮かぶだけ(・・)なら大丈夫な船にするから」

「それはそれでどーなんだろ!?」

「そもそも"使えない超技術"だからね、今回の目的は」

「それもそーだけどぉー!?」

 なんか納得いかないとアレクシアが叫ぶ。

「あはは。戦争で有利って言いますもんね。鉄の船。私も織田信長とか習いましたし」

 つい先ほど呼ばれて来た茉莉がころころと笑う。

「ところで、ちっちゃくして量産とかされちゃいません?」

「あ、そのへんどーなの?」

「んー……」

 修は適当な羊皮紙に、羽ペンで立方体の図形を描く。

「体積は面積に高さをかける」

「そうなの?」

「そーですね」

「薄い紙でも、重ねていったら分厚い本になるだろ?」

「なるほど」

 アレクシアがうなづいたところで、修は説明を続けるためにインクをつけ直した。

「縦を二倍」

 上に立方体をひとつ、

「幅を二倍」

 横に立方体をふたつ、

「奥を二倍」

 奥に立方体をよっつ、追加した。

「図にしてわかるけど、体積は八倍になるね?」

「あー……うん、たしかにそーだ」

「で、表面積――ガワは四倍にしかならない」

 修は立方体の図を数え上げてみせる。

「あ、ほんとだ」

「逆に言うと、小さく作ると重量は四分の一にしかならないくせに、得られる浮力は八分の一まで減ってしまう……元のサイズがぎりぎり浮いているものだったら、この船は沈んでしまう……って寸法さ」

「なるほどっ!」

 ぽんと両手を合わせて、

「……ヘティ、よけいに外に出せない女になっちゃったなぁー」

「好きでなったわけではございませんっ!」

「あはは!」

 ひとしきり茉莉は笑って、

「じゃ、ヘティさんの将来がどうなのか占って――」

「やめてくださいましっ!?」

「えー?」

 恐ろしい未来しか想像できないと耳をふさぐヘンリエッタに対して、茉莉はタロットカードの束を握ったまま唇を尖らせた。

「知りたくありません?」

「悪い結果だったら、余計に絶望してしまうではありませんかっ!」

「そうなんですかー」

 なまじよく当たる占いなだけに、そう忌避する人もいるという話である。



    ○



 窓の向こうで、ヴァシアス火山がほんのりと赤く染まる。

「うふふ……真っ赤。夕焼けでしょうか?」

「朝日だよ」

 答えながら、取るものも取らないような、久しぶりの貫徹は堪えるなぁと修は伸びをする。

「まるまる一日か……お疲れさま」

「そちらこそ、お疲れさまですわ」

 修は改めて、図面の惹かれた羊皮紙を見る。

「浮力計算よし、重量計算よし、重心よし……と」

 戦艦大和の船底をパクったとはいえ、外見はむしろ遊覧船のような箱型。それに外輪船にみられる水車を二つ。バランス計算からどうしても船首重量が足りなかったためにでっちあげられた衝角……工業系の人間が見れば「小学生の工作かっ!」と怒鳴ってしまいそうな設計図だ。

「ま、これくらいなら本に書かれてたものから想像して引いた、って言ってもバレやしないかな?」

 もっとも、修たちはそれが狙いである。

 船に関しては図面がなく文章だけしかない魔導書だったから、想像しながら書いたと言えば済みそうなラインで図面を引いたのだ。

「船として機能しますの? それ」

「浮きはするだろうね、計算上」

 高確率で、波によって転覆するだろうと考えている。

 第一、修はそうした船の設計なんてやったことがない。今回のこれは重量と浮力とを計算したり、重心がどの位置にあるか、どうすれば横転せずに浮かんでいられるかを計算したぐらいだ。

 修の言う通り、浮かびはするだろう。そこから先は保証しないが。

「ま、これはこれで完成として……アレクシア、起こさないと」

「ええ、そうですわね」

 乱れた髪を手ぐしで整えながら、

「……主人とはいえ、こう、頭が煮えそうなくらいに頑張ってるのに、目の前で居眠りをされると……腹が立ちますわよね?」

 ソファーに腰かけたまま、膝を抱えて丸くなるアレクシアに恨みがましい視線を送ると、

「――ふぁっ」

 殺気でも感じたか、それだけでアレクシアは顔を上げた。

「あれ、ボク寝てた?」

「寝てた」

「垂れてますわよ、レクシー?」

「あ、わ……っ!」

 思わず顔を真っ赤にして、袖口で口元を強くこする。

「は、恥ずかしいなぁー……」

「護衛の役を買って出た人の態度ではございませんわね」

「あはは……それよりも、カタリナは?」

 露骨に話を逸らそうとするアレクシアを、ヘンリエッタはじとりと睨む。

「覗きや盗聴除けの結界やらいろいろと張ったのち、お休みになられましたわ」

 魔法使いには不健康な生活が大敵なのだ。これは寝不足などによる朦朧とした意識でうっかり魔法を暴走してしまわないようにするためである。

「あ、それもそーか」

 それくらいは常識なので、アレクシアもぽんと手を打って納得した。

「あとはこれをダミーってことであの二人に教えて……と、その前に茉莉さん呼んでくれる?」

「なんで?」

「おそらく俺の仕事はこれで終わりだからさ。カバンもって、ドア開けたら、うっかり俺だけ帰っちゃうかもしれないから」

「あ、なるほど」

 なんの前触れもなく、修はこの世界に来てしまったのだ。

 だからこそ、なんの前触れもなく元の世界に帰ってしまうかもしれない。

「下手すると、アレクシアたち巻き込んじゃうかもしれないし」

「私は構いませんけどね」

 ヘンリエッタは修から与えられた知識のせいで、こちらに残っていると非常に危うい立場になってしまっている。

「ええ、そのほうが安全かもしれませんし」

 逃げたいと思う気持ちは、当然のことだった。

「おさむが元の世界で今より危ない立場だって可能性を除けばねぇー?」

「俺はごく普通の一般人だよ」

「どーだかぁ?」

 実際に体験したわけではない世界なんて、本人の証言だけではあんまり理解できないのである。

「コホン、それは脇に退けておきまして。そうしますとフランシスカ様も呼んでしまったほうがよろしいかと」

「あー、専門家」

「べつにいーんじゃない?」

 修が理由を問う前に、

「――なぁーっはっはっは!」

 フランシスカの高笑いが部屋中にこだました。

「ほら、向こうから来る」

 青白い電撃にも似た光が部屋の真ん中でバチバチと音を立てる。その光を押し広げるように鋭く太い八本の爪が現れるや否や、

「わし、参――硬ぁっ!?」

 広げられない時空の穴に、苦戦し始めた。



「わし、参上……!」

 ぜぇーぜぇーと、肩で息をする。

 力づくで結界を破り穴を押し広げた小柄な半人半竜が、赤毛の男に肩を借りて部屋のど真ん中に降り立つ。

「……アレックスも一緒だったのか?」

「兄弟が部屋に近づくなと言ったしな」

 相対性理論のことが少しでも漏れる危険性を排除するために遠ざけていたせいである。

「ゆえにフランシスカ様のところに転がり込んだ!」

「ほんっとウザいのな、こやつ」

 おそらく、根負けして部屋に入れたのだろうということがありありと見て取れた。

「あ、だが不義はしていないぞ? 兄弟の大切な運命(じょなん)(ほし)ゆえにっ!」

「ほんっ―――――とウザいのな!」

 きっと夜通しそんなことを語ったのだろう。

 アレクシアは心の底から同意するように何度もうなづいた。

「でぇ……念のため聞くけど、何の用?」

「何って……見えんか? このあたりがこう、歪んでいるのが」

 フランシスカが修のかばんあたりを指し示すと、修は思わず「うわぁ……」とうめいてしまった。

 一般相対性理論によると、時空は重力などで若干ながら歪んでいる。この説のおかげで、皆既日食で本来見えるはずのない、太陽の裏にある星が見えるのはそのせいであると説明がつくのだ。

 しかしながらそれは強い重力、巨大な質量が存在する場合の話である。そして歪みが魔力によって作られた結界に反応するならば、作成された時点で――夜が明ける前に現れるはずだ。だが結界が張られた時点でやってきたわけでもなければ、今ここに巨大な質量が存在するわけでもない。もちろん、修たちの目には世界が歪んでいるようには見えない。

 それはつまるところ、彼女は常人が通常では感知できないような微細な"世界の歪み"を知覚することが可能で、

(俺たちがもうちょっとで帰れるかもしれない、っていう証明でもある……)

 ということなのだ。

(……持ち帰って正解だな)

 極論すればこの世すべての物質が、この惑星自体が彼女のエネルギー資源であり、そして核爆弾と化してしまう。それがたとえ、生物であったとしても。

 だからこそ、この本の回収が自分がこの世界に来た使命であると、修はよりいっそう強く感じるのだった。



「あ、おはようございまーす」

 しばらくして、茉莉がやってきた。起き抜けとは思えないほどしっかりとした足取りで、きちんと身だしなみが整えられている。

 制服のある小学校らしく、紺色のブレザーに赤いランドセルを背負っていた。

「おはよう……朝、強いんだね?」

「あ、いえ」

 少女は笑いながら手を振った。

「タロットで」

「あー……」

 早起きするといいことがある、とでも出たのだろう。

「やー、こっち来てからタロットに頼りっぱなしで。まるで平安貴族ですよ」

「はは」

 思わず笑うと、アレクシアは首を傾げた。

「……マリー、いいとこのお嬢様なんだよねぇー?」

 ベーシックな赤だが今風に装飾の多いランドセルや、修のスーツにも通じるブレザータイプの制服を見てそう口にした。

 茉莉のランドセルは質のいい本物のコートバン――馬の臀部から少量しか取れない、革の宝石とまで呼ばれる高級な皮革である。それをふんだんに使用したうえに質のいい鉄が使われ、銀の装飾や愛らしいハートマークが刻まれているのだ。実際高いが、修たちには買えないような値段ではない。しかしこちらでは、それこそめまいのするような値段で、それなりに家の格がなければ購入できないような逸品だ。

 これこそ、茉莉がここで不自由なく保護されていた理由である。

「いえ? わりと普通の家ですよ? ……兄さん以外」

 兄のことを思い出したのか、実にいやそうな顔をする……以前もそうだったが、兄妹仲はさしてよくないらしい。

 年頃の女の子が、父親を嫌うようなものかな? と修は解釈する。

「まぁ確かに、アレクシアが思っているほどのところでもないけど……結構いいところだと思うよ? 制服のある小学校なんてめったにないし」

 日本で制服のある小学校はおおむね私立や国立である。比率にすれば二割ちょっとで、主に西日本が中心だ。そのうち国立の小学校は数えるほどしかなく、また国立であっても制服がない学校もあるので、確率的には私立である可能性が高い……となれば、子供を私立に入れるほど、親が子供に多額の教育費をかけているということになる。

「実際、私立でしょ?」

「あ、はい」

 修の予想は見事に的中した。

「じゃぁ、それなりに裕福だよ。親に感謝しなきゃ」

「うーん……修さんがそういうなら」

 いまいち実感がわかないというふうに首を傾げながらもうなづく。

「あんまりお小遣いとかもらえないんで、うち、お金持ちじゃないと思うんですけどねぇ……」

 小学生に大金は渡さないと思うなぁと苦笑した。

「おさむの国の人って、自分のことよく卑下するね? 自虐的ってゆーか」

 しかしアレクシアには、相応に地位と歴史と財産がある人間が自虐的にふるまうふりをして自慢しているようにしか見えなかった。

 ――文化レベルというか、経済レベルの壁というのは実に大きいのである。

「謙虚は美徳ですよ?」

「まぁ潜在的社会主義国家だからね」

「あれ、日本って民主主義じゃ?」

「うーん……そのへん言い出すとたぶんアレクシアがパンクするかな?」

「気持ちはうれしーけど、ひどくない?」

 そう言うアレクシアは、理解を放棄していた。

 貴族制が一般的で、政治に関しては上を批判しないのが彼女たちの常識である。政治的な思想主義主張についてあんまり理解があるわけではないのだ。

「まぁ、それはそれとして。制服着てるってことは……」

「あ、はい」

 ランドセルを背中からずらすようにして、ランドセル横のフックに吊るされている紫色のきんちゃく袋を外す。いつものように、茉莉はタロットカードの束を取り出した。

「昨日ですね、出たんですよ」

 軽くシャッフルしてから、一枚めくる。

世界(ザ・ワールド)

 タロットには、月桂樹でできた輪の中心で、両手に二本の杖を持って微笑む女神の姿が印刷されている。

「達成、という意味ですね」

「ほぉー? ではこのへんの歪みも……」

「先生に何が見えてるのかわかんないですけど、たぶんゲートが開く前兆じゃないですかね?」

「そうかそうか」

 目的を達成すれば帰ることができる、そう仮説を立てていたフランシスカは満足げに何度もうなづいた。

「……しかしまぁ、門が開くほどのものではないな。かといって、放っておくのは怖いといったところか」

「じゃあ、ここで先生に開いてもらうのがいい、ということですかね?」

「じゃな」

「完全に開くのに、なにかまだやっておかなきゃいけないことってありますかね?」

「わしが知るか」

「まぁ、船の説明かなぁ……」

 もっとも、

「ヘンリエッタさんなら楽に説明できるだろうけど」

「えっ、ちょっと待ってくださいまし!?」

 丸投げされるとは思っていなかったヘンリエッタが慌てて声を上げた。

「中の設計図とか修様が全部やったではありませんか!」

 外輪船風に装着した、水車を回すための歯車のことだ。

 こっちは魔法でタイヤを回す戦車があると聞いていたので、そのつもりで動力は何も搭載していない人力風だが、いくつもの歯車を使い、てこの原理で多少なり力を増幅するようなふうに設計してある。

「それはゲオルギスさんに丸投げするつもりだったんで」

「確かに専門家でしょうけど……!」

「わざと壊れやすくしてるから修理代がよく稼げますよ、って伝えてくれると」

「マッチポンプっ!?」

 以前、修から歯車の話を聞いていたアレクシアだけが「あー、なるほどねぇ……」と苦笑いを浮かべた。

 歯車の具体的な使用方法を聞いてしまっているアレクシアにとっては、修のマッチポンプもただの気配りにしか聞こえない。

「おさむって悪いやつだねぇー」

 しかしそれに感謝の意を表するわけにもいかず、ただそう意地悪に呟くしかできなかった。



「おは、よ……」

 最後にやってきたのはカタリナだった。

「遅かったのぉー?」

「ちょっと、夜更かし、しちゃっ、た」

「危険ですからやめてくださいまし!?」

 下手すると自分たちの命に係わるのだから、ヘンリエッタが声を荒げるのも当然だった。本人もさすがに怒られるとは思っていたらしい。ヘンリエッタの声に軽く肩をすくめる仕草は、どこかおどけているようにも見えた。

「どうせ、破るの、フランシスカしか、できないはずだ、し……かわりに、寝坊した」

 そうやってバランスをとっているから大丈夫だと、カタリナは親指を立てる。

「じゅーぶん早いと思うけどねぇー?」

「レクシーは昼までシーツに包まっていますものね、休日は」

「あはは」

 休日は割と怠惰な生活を送っているらしい。アレクシアは苦笑いを浮かべて誤魔化した。

「……帰れる、の?」

「おう、そうじゃそうじゃ。あとは自然と扉が開くまでやること全部やってしまうか――残りはぶん投げて、歪みを利用してわしが門を開くか……じゃ」

 フランシスカは牙を剥いて笑う。

「さて、どうする小僧? 今ならまだあやつらも気付かんじゃろうて、何を気にするでなく帰ることが出来よう。むろん、代価はいただくがな?」

 それとも、

「このまますべてを終わらせて、自然に帰るのもまたよかろう……しかし確実に帰れぬやもしれんな? 向こうも小僧をそのまま返す気はさらさらなかろう――さぁ、どうする?」

 フランシスカはまるで威嚇でもするかのように、翼を大きく広げた。

「――後払いで」

「ちょっ!?」

 修のわりとあっさりとした突拍子もない発言に、思わず声を裏返らせた。

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