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#32

「さて、友よ」

 笑顔の絶えない、目の笑っていない朝食会が終わったと思ったその矢先、エリザベスは修に一つの問題を投げかけた。

「遠い遠い国に帰るとのことだが、資金は大丈夫かな?」

 まるで全部わかっているとでもいうようなタイミングに、修は思わず渋い顔をした。

「その様子だと心もとないようだね」

「はは……ご慧眼恐れ入ります。なにぶん、徒手空拳で渡ったもので」

「なかなか冒険心にあふれた、いや、知識欲に駆り立てられたかな?」

「はは……」

 と思いながら、適当にお茶を濁すように笑う。

(……どこまでわかってるんだろうな?)

 そのあたりが読めないあたり、実に恐ろしい。

 いつの時代だって、旅をするのは金がかかるのだ。金銭的問題を解決する代わりに……というのは予想していたパターンの一つである。

 ただ、微妙にタイミングを外してきているのは何の意図があってか。

(さっきのタイミングで申し出ればよかったろうに)

 短期の高収入アルバイトとでも称して、なし崩しで引き込むという手段もあったはずだ。

(ああ、いや……)

 帰るのは承知だが……と言って、長いこと拘束するという方向かと思いつく。

 なるほど、それなら「帰るまでなら……」と心理的なハードルが下がる。帰るまで歓待しながら、心情的に断りづらい雰囲気を作るというのもセットにするかもしれない。

 弱みというか、借りを作らせるという手段で来たかと、修は心の警戒度を上げてかかることにした。

「最悪、自分の持つものを何か、切り売りでもして稼ぐつもりではありました」

 ヘンリエッタには数学の一部を、カタリナには若返り(アンチエイジング)に使えそうな医学を、アレクシアには――まぁ本人に聞くか、と。修はそう考えている。

「ふぅん、異国の品にはちょっと心惹かれるね……でも、ここで売ると、国でまた手に入れるのも大変だろう?」

 これは、旅をする場合に最もかさばるのが金貨であるからだ。

 偽造の恐れがある紙幣が流通しているわけでもなく、当たり前だがクレジットカードなんてものもない。となれば、何らかの金銭的価値の高い小物をいくつか持っていてしかるべきだというのが基本的な旅の知識なのである。

「いえ、そんな」

 ただ修は事故でこちらに来た被害者だ。

 当たり前だがそんなものを持っているわけがないし、修が唯一価値が認められそうだと思うものはスーツに合わせたビジネス用の腕時計しかない。しかしその腕時計も手に入れるのに苦労するというほどの高級品ではない。

「ふぅん……」

 存外非常識な男なのか、それともすぐになんでも手に入るような地位にいるのか……エリザベスは思案するように小さく唸る。

「まぁ、君と私の仲だ。友人に多少は仕事を融通するぐらい、職権乱用にはなるまい?」

 なぁ? とディビットに投げかけると、おう、と力強くうなづいて返した。

「というわけで、だ。ひとつ頼まれごとをしてほしい」

 ――引き受けたくねぇー!

 修は表情筋を引き締めて、愛想笑いを崩さないようにしながら無言を貫いた。

「そんなに警戒しなくても……君と私の仲だろう?」

 にやりとわざとらしく笑いながら、近くに侍るメイドに声をかけた。

「あれを」

「かしこまりました」

 すぐにそのメイドが取り出したのは、一冊の本。

「――!」

 その本のタイトルに、修は思わず目を見開いた。



「さすがは学者というところかな?」

 表情が変わったことを見るなり、エリザベスはにんまりと笑う。

「最近手に入れた魔導書でね。まぁ、見ての通り書いてある文字はわからないんだけれど……」

 ――ドイツ語だ。

 修はその言葉を飲み込む。

「姉上……またそんな無駄遣いを」

「いいじゃないかディビット。失われた魔法が見つかるかもしれないんだ、なんとロマンのあることか」

「どこぞの名のある魔術師のものであったならば何も言わないんだがなぁ……」

「無名で終わった凄腕がいるかもしれないじゃないか」

「いるとは思わんがなぁ……」

 ディビットが頭を抱えるのをよそに、エリザベスは実にうきうきとした語る。

「ええっと……」

「ん? ああ、私の趣味なんだ。亡くなった無名の、魔術師の工房から出た魔導書をあさるのは」

 修はカタリナに視線を送る。

「……亡くなっ、て、弟子、とか、いない工房、の、処分品」

 なるほど、とうなづく。

「君の国ではこうしたことは咎められることなのかな?」

「いえ、こちらではどういう扱いなのかな、と疑問に思っただけです」

 いったいどういう経歴でアレがここにあるのだ――修は、それを自分が読むことのできるものだということを悟られないよう、必死に表情を硬め、耐える。

「しかし今回は当たりだと私は確信しているよ。見てくれこの表紙を! なんといけにえになったであろう老人が……」

「むぅ、確かに……特にその、気の狂わんばかりの笑顔、そしてこの舌……まるで悪魔にでも取りつかれたようじゃないか」

「だろう!?」

 エリザベスは、弟の同意が得られたとばかりに声を弾ませる。

「しかしだ、どんな魔術師に見せたところで、なかなか芳しい成果は得られなかったんだよ。いったいいつの時代の、どの国の言葉なのやら……だが今ここには君と、カタリナ様がいる。二人ならならばもしや……とね、期待してしまうよ。思わず」

「――解読を、と?」

 いろんなものを我慢するように、修は絞り出すように声を上げた。

「それ以外に何がある? あ、いや、まったく新しい魔術が見つかった時の、魔法の権利かい? そのときは交渉次第だね。魔導書は私の所有物だ、有用なものであったら投資した甲斐がない」

 修はしばし瞑目し、

「じゃぁその本をください」

 本の確保を優先させた。

「ん? 私は中身さえ分かればいいから、別にいいけど……君も魔導書あさりが趣味なのかい?」

「そうだ、とも、いえるでしょうね」

「なかなか歯切れの悪い……」

 エリザベスは不思議そうに眉根を寄せて、しかしすぐさま「まぁいいか」と切り捨てた。

「報酬は、そうだな。美術品――剣で構わないかな?」

 金貨よりかさばるが、価値の高さからさまざまな使い方のある報酬だ。宝飾剣のつくりによっては宝石を取り出していき、最後は金細工を溶かして使う、などといった方法がポピュラーか。

 こうした武具などに金などを混ぜておくことは世界中で見られる方法である。それゆえ不必要な装飾は軍資金隠しのためとも言われていた。

「ディビット、何振りか、飾っていないやつがあっただろう?」

 だがさすがにいつでも持ち歩くようなものにまで価値の高い細工は施さない。エリザベスは弟に、装飾剣の無心をした。

「いや、姉上のコレクションから出してほしいものだが……」

「まさか魔導書を解読できそうな男に会えるとは思わなかったんだ。この本も、お前のところの占い師に、解読できそうなやつを占ってもらうために持ってきたんだし」

「……あとで補てんしてくれよ?」

「わかってるさ」

 というわけで、と。エリザベスは修に向き直る。

「報酬はディビットから、黄金の装飾剣を受け取ってくれ。それと、魔導書の所有権だな」

「……願ったりです」

 さて、どう処分(・・)してくれようか――修は"魔導書"を受け取りながら、そんなことを考えた。



    ○



 部屋に戻るなり、開口一番。

「一片の灰すら残らないくらいに燃やしてくれない? これ」

「はぁー?」

 アレクシアは呆れたような声を上げた。

「修様? それはいくらなんでも……」

 横暴ですわ、と言いかけて、

「……いえ、何か耳にするのも恐ろしい理由があるのでしょうね」

 ヘンリエッタがため息をついた。

 いきなりこんなことを口走るのだ、深い理由があるに違いないと修を信頼しているからこそ、ヘンリエッタはカタリナに向き直り、頭を下げた。

「カタリナ様、どうか」

 盗聴対策を、と言う前に、

「もう、すん、でる」

 大丈夫、と親指を立てた。

「彼、様子、おかしかっ、た、から」

「あー、うん。急に無表情だもんねぇー」

 ポーカーフェイスはまだまだらしい。

 修は「バレバレかよ……」と思わず肩を落とす。

「あ、いや、そう落ち込んでられない。だからとりあえず……燃やしてくれない?」

「仮にもディビット様の姉上様の所有物ですわよ? まだ(・・)

「あ、そうか……」

 修はその本をテーブルの上において、頭を抱えるようにソファーに座った。

「……なにか問題でもあるの? それ」

「たぶん、俺がこの世界に来た理由じゃないかな……」

「と、ゆーと?」

「その表紙の人はアルベルト・アインシュタイン」

「知ってるの?」

 アレクシアの眉間が険しくなる。

「ドイツ語で書いてある」

「たしか、修様が読める言語のひとつでしたわね……」

 ヘンリエッタの顔が曇った。

「つまり俺の世界の本」

「――くわし、く!」

 食いつくようにカタリナが身を乗り出した。

「それは十九世紀ドイツの論理物理学者で……その本、題をざっくり邦訳すると――やさしい相対性理論」

 修がその言葉を発した時、その場にいた者すべてが首を傾げた。



 相対性理論。

 光速度不変の原理をもとに、アインシュタインが「そこから何が導けるのか」を理論立てて考え、証明した理論群のことである。

「E=MC^2」

「いーいこーるえむしー……?」

「相対性理論をざっくり説明するのに一番便利な数式だよ」

 きっと誰だって聞いたことのある、しかし誰しも何に使えるかを知っているわけではない有名な数式だ。

「何に使えますの?」

「言えない」

「そもそも、どーゆー理論なの?」

「教えられない」

「……こっ、そり」

「ダメです」

 カタリナすらダメだと言われ、アレクシアがじとりと睨む。

「じゃぁ逆に聞くけど」

「うん」

「目の前に城壁があるとするだろ?」

「うん」

「それごと中の人ぶち殺す系の話、聞きたい?」

「……あ、やっぱり教えてもらわなくていーや」

 アレクシアは両耳をふさいで、ボクはきーてない、と何度も唱えた。

「平和利用すればすごく便利なのには違いないんだけどね」

 相対性理論のあの式は古典物理学の運動エネルギー計算式から展開してきたもので、ざっくりと説明すると「物質は運動(・・)して(・・)いなくても(・・・・・)質量に光速度の二乗をかけた分のエネルギーを持つ」ということを表したものだ。

 たとえば一円玉には四千五百世帯の年間(・・)消費電力分――広島型原爆にして約二発分(・・・・)のエネルギーが存在するということを示すことができる。

 この理論のとおりに物質からエネルギーを取り出そうとする学問が原子力であり、現在のところ、物理的にこれほどの高エネルギーを扱う発電方法は存在していない。

(フランシスカさん黄金から魔力引き出すとか言ってるしねぇ……)

 原子力でウランを使うのは、現在のところウランが一番エネルギーを取り出しやすいからである。だから修には、おそらくはフランシスカにとってのウランが黄金なのだろうと簡単に予測がついたし、

(この理論に気付いたら何からでもエネルギー取り出せるかもしれない)

 という危険性にもいち早くたどり着いた。

 だから修が先ほど例に挙げた、城壁ごと中の人を殺す、という発言は正確ではない。より正しく言うならば、城壁自体が(・・・・・)核爆弾と化す、である。

 ――修の知る核爆弾よりもよっぽどおぞましい兵器(まほう)の誕生だ。

「どんな運命のいたずらかは知らないけれど、どういうわけかこいつはドイツ語で、中二病(しょじじょう)があって俺はドイツ語を読める。で、これはすごく危険なもの……茉莉さんが言ってた、フランシスカさんの仮説通りでいうと」

「それをどーにかすると、この世界にとって、おさむは用済みってこと……かな?」

「そうなる」

「修様が呼ばれるほど危険なものですの?」

「うん」

 修はあっさりとうなづいた。

「えーっと……リトルボーイが確か、全長三メートル、直径七十センチぐらい……あ、肝心のウランは一キロだったはずだから……およそ五十二立法センチか」

 ウラニウムの比重(みつど)は室温付近で一立方メートルにつき十九グラム。そこから計算して、ちょっとした段ボールサイズだと修は両手で表現する。

「……その、ひとかかえで、どーなるの?」

 アレクシアは恐る恐る問いかける。

「都市ひとつ壊滅」

「!?」

「ふぅ……」

「ボクはなにもきかなかった!」

「これ、約六十年前の、初期型。弱いやつね」

 しかも実際に核分裂反応を起こしたウラン量は一グラムほどと言われている。

 効率が悪かったのだ、当時の原爆は。

「ボクは! なにも! きーてない!」

 六十年前の弱いものでも、都市ひとつ。そのフレーズにアレクシアは耳をふさぎ、ヘンリエッタは立ちくらみをおこし、カタリナは顔をさぁっと青ざめさせた。

「たぶんだけど、これカタリナさんほど優れた人でなくても――」

「ボクたちは! なにも! きーてないっ!」

 修の追い討ちをつぶすように、食い気味にアレクシアが叫んだ。

「――というわけで再生すらできないほどの状態にしたいんだけど?」

「持ち帰ってよぉー!?」

「だよなぁ」

 予想通りだよ、と。ため息交じりに答える。



「で」

 修は厳重に専門書(まどうしょ)を縛り上げて、持ち込んだ通勤かばんの奥底に隠す。

「これの代わりに、なんか適当な話をでっちあげることと……茉莉さんに根回し」

「マリーに? あ、知ってるかもしれないからかぁ」

「アインシュタインは有名な偉人だしね」

「そんなにゆーめいなの?」

「業績だけでもすごいことになるね。特にあの写真はすごく有名なものだし」

 特殊相対性理論、一般相対性理論、相対性宇宙論、光量子仮説に基づく諸理論。半古典のシュレティンガー方程式……まぎれもない"天才"でありながら、彼の説明は誰にとってもわかりやすかったともいう。

「アメリカの週刊誌でパーソンオブセンチュリーに選出された……って言ってもわからないか」

「うん、ぜんぜん」

 でも、

「すごい人だってことはわかった」

「そりゃぁよかった」

「……それに見合うものって何かあるの?」

「いろいろあるけど……」

「あるんだっ!?」

 修の引き出しの多さに、思わず声を上ずらせた。

「……船、とかどうかな?」

 アインシュタインに対抗できそうな偉人をして、修はひとりの人物を思いつく。

「ふね?」

「船とおっしゃいますと……船ですわよね? こう、川や泉に上に浮かべる」

「うん」

 ぐったりとしているヘンリエッタに答えた。

「こう、以前にアレクシアの話を聞いたんだけど。ここらへんは内陸地だったはずだよね? こう、こんな感じの……」

「……ええ」

 修がおおまかな地図を空中に描くのを見たヘンリエッタにじとりと睨まれ、アレクシアはふいっと視線を逸らした。

「なるほど、それで船ですか」

「浮かべるところがなかったら、ただの木の箱だしねぇー」

「それを聞いて、よけいに船がいいみたいだ」

「と、ゆーと?」

 修は自信満々に腕を組み、

「総鉄製の大型船」

「……はぁ?」

「あの……もしやお疲れでは?」

「お薬、作、る?」

 ひどい言われようである。

「あれ。鉄の船って、ある?」

「噂だとあるらしいけどねぇー、海沿いの領地に、噂だけ」

 アレクシアは腕組みし、

「浮かないでしょ?」

「浮きませんわよね」

「魔法、使う、なら……」

「カタリナぐらいじゃないと無理でしょー」

「そもそも修様の世界に魔法は……」

「あー……」

 そのやりとりに、修はある程度の確信を得た。

「あっ、かがくちーとかっ!」

「うんまぁ科学チートで間違いじゃないけど」

 鉄の船は十九世紀初めから中ごろにかけて、大型船舶は近代になってようやくつくられたものである。それ以前は木造の船に鉄板を張り付けたタイプが主流であり、総金属製と呼べるものは実にすくなかった。

 と、いうか。

「鉄の船に必要なのは莫大な鉄生産量、鉄を大きく平たく作る圧延技術、その鉄板同士を溶接する方法が必須だしね」

 そのあたりはアレクシアたちは家事の専門家ではないのでわからないと首を振るが、

「船ひとつに使用する鉄の量にもよりけりですわよ?」

 と、ヘンリエッタが疑問を述べた。

「俺の世界の非武装小型漁船一隻で、四トンぐらいはあると思う」

 軽自動車で一トン前後だったはずだから……と計算して、修は多めに見積もった数値で答えた。

「一隻ぐらい、作れはするでしょうが……現実的ではございませんわね」

「それはよかった」

 アレクシアの聞く噂が正しいものだとしたら、魔法という未知の技術で圧延溶接をカバーしていない限りは金属板を張った木造船だろうと結論付ける。

「今回大事なのは"使えない超技術"だからね」

「確かめよーもないもんねぇー」

「船なんてまったく必要のない領地ですし。その知識を売るとして……」

「おさむのこと知らなきゃ買おうとも思わないし!」

「……でしょうね」

 ヘンリエッタは、ひどい人、と微笑む。

「では早速船の設計をしてしまいましょう」

「え?」

「えっ?」

「……俺、船なんて設計できないよ?」

「ちょっとお待ちくださいまし!?」

 ヘンリエッタが悲鳴じみた声を上げる。

「え、必要なの?」

「船の設計図もなしに説得力がありますかっ!」

「あー……」

 面倒くさい問題が出たもんだと、修は視線を泳がせる。

「……ヤマトのガワでもパクるか」

 宇宙に飛び出したアレを思い浮かべながら、

「必要な浮力を得るのに体積計算しなきゃいけないんで、ヘティさん、手伝ってください」

「……は?」

「数学の基本、アルキメデスの定理をお教えしましょう」

 デキのいい生徒に教えるのは楽しいものだと、修は笑う。

「…………それ教えちゃったら、ヘティがもっとヤバいことになっちゃわない?」

「なるだろうねぇ?」

「ちょっと待ってくださいまし――!?」

 ヘンリエッタが悲鳴を上げた。

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