#31
日の出が食堂の窓から差し込む。
そこへ、がしゃん、と鉄同士が打ち鳴らされる音を響かせて足を踏み入れるのは背の高い、金髪の女。
「おおっ! よくぞおいでくださいました姉上!」
女は片手をあげてその言葉に答えた。
そうやって身じろぎするごとに、白銀の鎧が鳴り響く。
ヘルムこそしていないが、全身をくまなく覆うように一枚の鉄板から打ち出して作ったような、美しい曲線を描いて作られている全身鎧だ。それには紋章のたぐいはついていないが、一目で格の高い子女であることがうかがえるような凝った装飾が施されている。
「紹介しよう! 我が自慢の姉、エリザベス・シャールドだ!」
その骨董品が装着されているところは初めて見る……アレクシアの鎧は決闘や私闘で主に用いられるファストブラッドルールのために発展したもので、現在の主流はアレクシアの鎧だからだ。だから全身をくまなく覆う鎧など、アレクシアたちは骨董品や家の装飾としてでしか見たことがない。
「姉上も、急な日取り、しかも朝も早くから申し訳ない! あらゆる都合で、チャンスは今日しかなかったのだ……」
「いや、構わないよ。特にこれといった仕事はなかったしね」
己の不徳を嘆くばかりだと大げさに説明するディビットに、エリザベスは固い鎧に身を包みながら柔らかく微笑み、
「紹介に預かった、エリザベス・シャールドだ。気安い仲間はベスと呼ぶ」
そして、すぐさま凛々しい顔に戻る。
「粟の穂に葡萄と薔薇……あなたが噂に名高い、フォトプロス領の"薔薇騎士"殿か」
牽制気味に、アレクシアの紋章を読み取った。
「いかにも。フォトプロス領は誉れ高き"花の騎士団"所属、"薔薇騎士"アレクシア――アレクサンドラ・アンドリュー……親しい人はボクをレクシーと呼びます」
思わず「ふぇー……」とため息にも似た感嘆の声をあげそうになっていたアレクシアは、しかし紋章を読み取られるとすぐさま、意識を切り替えたようにしっかりとした返事を返す。
「ふむ、よろしく」
ミトンにも似た、三本指の鉄小手で固められた右手が差し出される。アレクシアはそれを、素手でしっかりと握り返した。
「君の武名は父上の領地にも轟いているよ」
「恐縮です」
ぎしり、と鉄のきしむ音がする。
修の胃も、ぎしり、と鉄のように軋んだ気がした。
「そちらのフードの婦人は――」
無礼ではないか、そう続けそうになるのをディビットは止め、
「ああ、混乱を避けるためだと言う。カタリナ様だよ」
「――なんと」
エリザベスは目を丸くした。
「とんだご無礼を……!」
「そ、いうの、いいから……!」
思わず膝を折りそうになるエリザベスに、カタリナは慌てて両手を振って止めた。それにすら「なんと寛大な人か……!」と感動され、カタリナは辟易したようにフードをさらに深くかぶる。
「それで? そちらの殿方が、話に聞くサムライかな」
気を取り直し、顔を上げたエリザベスは修とアレックスを交互に見比べ――スーツを着た修に対して、そう問いかける。
「あ、はい。佐村修で……今は、アレクシアの論客です」
「よろしく」
鉄に包まれた右手が伸びた。
修はそれを素手で握り返す。
「弟から話は聞いているよ。ずいぶんと、頭のキレる男だ、と……」
意味深な言葉。そして手のひらが強く握られる。
「……っ!」
全方位棍棒外交かよ。そうした感想を胸の中に押しとどめ、
「それほどでもありません」
できるだけ表情を崩さずに返す。
「――さて、立ち話もなんだ。腹も空いたことだし、ディビット、何か詰めるものをくれ」
修の手を放すと、エリザベスは鎧姿のまま手ごろな椅子に近づいた。
「俺たちもこれからだよ、姉上。というか、一席設けるつもりだったしな」
「そうか」
がしゃん、と腰を落ち着ける。
彼女はそのまま堂々と足を組んで、まるで将軍かなにかのようにふんぞり返った。
○
「単刀直入に聞こう」
エリザベスは殻つきのゆでたまごを皿の上において、ナイフの背で軽くひびを入れて切り落とす。
「君は何ができる?」
パンにチーズをひとかけ乗せたポーズのまま、修は険しい表情を作った。
「……何が、とは?」
何ができるか、といえば修には"柔道"と"数学"しかない。が、柔道はともかくとして数学には非常に教えたくないような、マズい知識が豊富だ。
「特技を聞いているんだよ。たとえば帳簿。たとえば地図製図……」
帳簿もそうだが、地図製図などは数学の最も得意とするものだろう。
数学のいち分野である幾何学は図形や空間の性質について研究するもので、そのうち「あらゆる図形は三角形の組み合わせで表すことができる」という定理を利用したものが現在の地図製図および測量である。
そして修は、三角形を形作るうえでの条件のひとつである「三辺の長さが決まっている」を満たせば三辺の長さで面積を求めることができる「ヘロンの公式」を利用することができる。
極論、修は町を散歩するだけで、かなり正確な地図を作成することが可能なのだ。
(言ったら殺されるか、監禁コースだろうなぁ……)
立場上はアレクシアの下、つまりフォトプロス領の騎士預かりだ。それが工作員のような技能を持っているのである。
冗談抜きで、投獄で済めば御の字だろう。
「……ふむ、戦う力でもいい。私は強い男が好きだからな」
修の沈黙を、一通りできるといったメッセージだと思いこんだエリザベスは、矢継ぎ早に次の質問を投げかけた。
「あー……自国の、無手の武道を少々」
あえて自信なさげに言う。
こちらで柔道で戦うたびにおかしな勘違いが生まれていることに気付いているので、できれば「何もできない」と言いたかったところだが……私闘はともかく、決闘は教会に記録の残る公式の裁判方法であることを考慮したのだ。
「強いのか?」
「アレクシアには負けるでしょう」
これだけは断言できた。
アレクシアの得意武器は槍であるということを聞いているので、明らかにリーチ差で不利だ。そのうえこの世界には魔法という技能がある。それも組み合わせれば勝ち目など修には存在しないだろう。
(むしろ、今まで戦った相手が魔法を使わなかったのが不思議なくらいだし……)
魔法は基本的に殺傷力が高すぎるので、自己強化系統以外、殺人御法度の私闘や決闘では使用することが難しいのだ。故に修は攻撃的な魔法の対象になったことが一度もない。
柔道というこちらにはなじみのない特殊な戦闘技術と相まって、だからこそ修は無敗でいられたとも言える。
「……そうなのかな?」
「ボクの口から言わせてもらえれば、ボクもおさむには手を焼くでしょうね」
懐に飛び込み、投げ、固める。
言ってしまえば、柔道とはこれを突き詰めた格闘技だ。柔道の技はすべて「いかに相手を小さな力でもって一瞬で投げ飛ばすか」ということに集約されており、身体構造的に相手が耐えられないものがほとんどである。
「おさむの技は、科学的、とも言えるくらい不明確な技量がありますので」
たとえば小技で有名な、ローキックという蔑称を持つ「小内刈り」だが、実際は足の動きではなく相手の顎をかち上げる手の動きが重要である。柔道にはこうした「見た目ではわからないような技術」が数多く、とくにアレクシアが目撃した唯一の柔道技、浮き落としはそのケが強い。
だからこそアレクシアは「手を焼く」と評したのだった。
「かの"薔薇騎士"がそうまで口にするのか……なるほど、智勇に優れているのは本当らしいね」
どうしてそんなことを言うんだ、と思わずアレクシアを睨む。
彼女は苦笑いを浮かべて見せて、
「だからこそ、ボクを好いてくれているということが、とても誇らしいんです」
そう繋げる。
「ほう」
なるほど、そう牽制するか。エリザベスは感心したように声を漏らした。
「そうそう、うちのマリーもなかなか気に入っているようでな! 二番でもいいと言うくらいだぞ?」
「マリー?」
「彼の同郷で、占い師だ。どこで学んだのやら知らんが、珍しい、札占いを使う。フランシスカ預かりで、今はこの屋敷に逗留していてな」
「……見えないようだけど?」
「人前に出るのが苦手なのだそうだ。粗相するかもしれんと、不吉な札が出たらしい。だから、今は部屋に控えてもらっている」
「そうか、占いの結果ならしょうがないね」
修としては、それは本当に占った結果なのかどうかは甚だ疑問だが……占い師が不吉だと言えばおおむねそれに従うのがこの世界の常識である。占いの真偽はともかく、茉莉は実にうまく適応しているというか、したたかに生きていると言えた。
「じゃぁ、マリーにはあとで個人的に会うことにして……」
エリザベスは椅子を軋ませながら背もたれに寄り掛かる。
「私は、君のことがすごく気になる」
「光栄です」
うれしくねぇー! と。
こちらに来てから修はモテ期だと茉莉は言う。しかし恋愛感情を抱いていると思われる相手はヘンリエッタ一人しかいない。あとはほとんど打算と野心だ。これでうれしいと言う男を逆に修は見てみたいとも思う。
「そうか、光栄か」
エリザベスはにんまりと笑った。
「いっそ、どうだ。私の騎士団に入るのは。まだできてもいないから、内定という形になるけどね……」
アレクシアを横目で見て、
「別に、籍を移すことは珍しいことじゃない。違う土地の出身がいれば、そこを窓口にしてさまざまな商業が始まることもあるし、ともすれば戦を回避することもある。故郷を思えばこそ、あえて違う地の君主に仕えるのもまた騎士道だと、私は思うね」
彼を、君ごと引き取ることもやぶさかではないぞ、と。
仕える主を変えてもそれは騎士道に背くものではないぞ、と。
貴族にしては、わりとストレートにそう口にした。
(やらしいなぁ、おい……)
ストレートに言う、それは解釈を捻じ曲げさせない手段だ。相手のためを思って「聞かなかったことにする」というのはアレクシアの常套手段だが、婉曲でないはっきりとした言葉にはそうした対応を取りづらい。
失言に気を付けなければならないというのはあるが、なるほど全方位棍棒外交の女はそうしたことを気にしないらしい。自信たっぷりに指を絡めて、色よい返事しか聞かないぞと言うように、えらそうにふんぞり返った。
(――さて)
この手の人間に、婉曲な物言いははたしてどれだけ通じるか。
(通じないだろうなぁ……)
だからこそエリザベスは真っ向からこうやって口にしているのだろう。
(……となると)
問題は簡単だ。
「せっかくですが、お断りします」
正しく真っ向から断る。
その予想だにしない修の答えに、エリザベスは片眉を上げた。
「ほう?」
せっかくですが、ということは何か求めているものが違うのだろうと、ほんの少し思案するしぐさを見せ、
「地位、名誉、金……それ以外に何が必要なのかな?」
これだけあれば、ほとんどの願望を叶えるのに不自由はしない。
「遠い遠い、国に帰るつもりですので」
もう面倒くせぇ、と言わんばかりに口にした。アレクシアがどこか呆れたようにため息をつく声が聞こえる。
「私の提示よりも、君の国の待遇のほうがよっぽどいいのかな?」
「そういうわけじゃないです。むしろ高い地位になるくらいで」
「では――なぜ?」
修は少し、考えるそぶりを見せた。
「……敗者の脚本、というものをご存じで?」
その場にいる人間すべてが、首を傾げた。
敗者の脚本とは、交流分析を提唱した精神科医のエリック・バーンが定義したものを端に発したものだ。
それをざっくりと要約してしまえば、
「人は受け取れる幸運の量にも限界がある」
こんなに成功していていいのか? と無意識化に思ってしまい、無意識のうちに物事を失敗しようとしてしまう心理だ。
「わりと有名な心理学です」
「心理学……?」
「哲学のようなもので……えっと、うちだと何年ごろなんだろ?」
心理学が哲学から別れひとつの学問分野として成立したのは、十九世紀ドイツのライプツィヒ大学に心理学実験室が開かれたころだろうと言われている。
「て、哲学か……」
エリザベスは思わずたじろぐ。
哲学とは世界や人生の根本原理を追及するというわけのわからない学問なので、武人然とした彼女にはいささか難しいジャンルであった。
「数学って一種の哲学ですし」
世界や人生の法則や定理を数式で導こうとする学問、という意味だ。
そういう意味では、数学は科学であったり魔法学であったり哲学であったりと、わりと忙しいジャンルなのである。
「大きすぎる幸せは逆に不幸、というちょっと面倒くさい話なんです。だから、頑張ろうとしない人がいる。何をやってもできないとわめく人がいる……いるでしょう? なにをやっても、何をやらせてもダメな人」
「あ、ああ……」
「嫌な話ですが、本人たちは成功した自分が幸せすぎて怖いんです。だから」
「失敗する、か……なるほど、そういう考えもあるんだね」
どの時代にも、どの世界にだって何をやらせてもダメなやつはいるものだ。
どこにでもいるからこそ、部下を持つ立場になるだろうエリザベスはその意味の説得力を強く感じてしまう。
「身に余る光栄なので、そうした人と同じようになってしまうでしょう。だから、お断りします」
決してあなたの申し出が嬉しくないわけではない、むしろ問題は自分のほうにあるのだ。あなたの役に立つにはこのままでいたほうがいい……そんな意味を含ませるように、修は拒否した理由を告げた。
「……なるほど、学者なんだね。君は」
「そう見えるのであれば、そうでしょう」
実際は違うがな、と心の中で付け加える。
「野に放っておくには惜しい男だよ」
「光栄です」
よし、煙に巻いたぞと修は内心ガッツポーズした。
(だいいち、心理学なんて俺が分かるわけないしねぇ……)
修の専攻は数学である。心理学なんて複雑怪奇な学問なんてそう学んでいられる時間などない。この知識はいわゆる、バラエティで話題になった自己啓発系書籍でもって手に入れた一般知識なのだ。
(異世界、明らかに学力水準が低いことが幸いだな)
書籍流通の少ない、読み書きができると言っても本を読んだことのないような人間が多いせいでもある。貴族だろうとも、武人然とした彼女がそうした学術書を読む確率は引くだろうと計算したのもある。読んでいるとしても、英雄詩か戦術書あたりだろう、と。
「とすると、"薔薇騎士"も」
「同じような理由により、辞退させていただきます」
別にあなたが悪いわけではない、という相手を立てるこの方便は実に便利だ。これ幸いとばかりに話にアレクシアは答える。
「……だろうね」
迷惑をかけるわけにはいかないと相手が言っているのだから、それを無理やりに条件をのんでもらうには今以上の譲歩、そして修やアレクシアが何らかの問題を犯したときの責を彼女がとるしかない。
なかなか難しい相手だとため息とともに肩を落とし、
「君たちとは、友人として、今後もよい付き合いをしていきたいものだね」
と、修たちも断りづらい面倒な立場を押し付けた。
「ええ、"友"として」
アレクシアが含みのある返答をする。
「友となれば、堅苦しいのはナシだ。今日はさほど長居できるわけではないが、存分に語ろうじゃないか」
「ええ。光栄です」
「ディビット、とっておきのワインを」
「姉上、地酒のほうがよくはないか?」
「道理だ」
「エールだがなぁ!」
「違いない!」
ははは、と笑う二人につられて、アレクシアもふふふと笑う。
――誰も彼もが、目が笑っていなかった。




