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#02

 儀式によって神に祈祷し、星となった先祖たちの下で誓いを立て、自らの生命力を元にして小さな奇跡を起こす――それが魔法である。

 今ではこの手法が研究され、扱いやすいように姿を変えた状態で世界に広まっている。昔は命を落とす専門家も多く、失われた術式も少なからずあったそうだが、今では規格が決まり、制限はあるものの民間人でも安全に使用されるようになっている。

「仕事で、ちょっとこの間まで国外に行っていたからね。ボクは言語の祈祷を受けていたから」

 言葉が通じるのはそのためだと言う。

「なんだその理不尽……」

「一時間以上ずーっと祈祷師から呪文を受けなくていいかがくのほうが、ボクらにとってはよっぽど理不尽だと思うけどなー?」

 この認識の違いはつまり、隣の芝生は青い、ということなのだろう。

「ともかく。今のボクの言葉は、キミの国の言葉だし、キミの言葉は、ボクの国の言葉に聞こえてる。ほんとう、運がよかったよ」

「ああ、まったく。あのまま野宿で夜を越すところだった」

「そしたら、あしたには死体になってるかもだ」

「……はは、ほんと、まったく」

 平然と野宿という選択肢を出すことができるのは、ある意味では日本人ならではの発想だろう。外国での野宿ならば少なくとも窃盗の可能性から眼をそらさなければならないし、最悪自らの命の危険を覚悟する必要があるのだから。

「ボクが通りがかって、ほんとうにキミは運がよかったね? 特に、通りがかったのがボクっていうのもすごく運がいい」

 アレクシアは胸の紋章をこつこつと叩く。

「ボクの紋章、粟の穂に葡萄と薔薇」

「……?」

「粟の穂は調和で、葡萄の花が慈善。そして薔薇の花は愛情。ボクのは特に、葉っぱととげも追加してる。希望と、不幸中の幸いって意味。花の色は……これは、まぁ、ないしょってことで」

 ひとつひとつの意味を説明しながら、ゆっくりとなぞる。

「こんなことになったけれど、ボクに会えたのは不幸中の幸いだ、希望はあるよ。ボクがついてる、キミもツイてる。だから、がんばろう……そういう意味なんだ」

 やや韻を踏んだ説明。それは、彼女の言語では狙ったものではないのかもしれない。しかし、それはまるで歌のように優しげな声だった。

「お前……幸せの青い鳥みたいだな」

「鳥が青くて幸運になれるなら、森に行けば一杯いるよ?」

「そういう意味じゃない」

 だが、故事成語はあまり通じないということが分かった。

「というか、いるのか、青い鳥」

「いるいる、いーっぱいいるよ? もううっとおしいくらい。アオバネカラスっていうんだけど」

 カラスかよと、思わずツッコみそうになる。

「まぁ、青い鳥がなんで幸せなのかは後で聞くとしてー……ちょっと連絡してみないことには分からないんだけれど。ボクのともだちにね、魔法研究所の職員がいるんだけど」

「そりゃあすごいな」

「あはは、まぁねー」

 照れたようにはにかむ。

「とりあえず、原因は魔法にあるかもしれない。ということで、ともだちのところに会いに行こうと思うんだ。なにか不都合とかあるかな? 宗教的な問題とか」

「あるほうが珍しいと思うけど?」

「ないほうが珍しいよ? 魔女だ魔女だーって」

 魔女狩りのようなものがあったらしい。

「魔法があるのに、魔女だ魔女だって騒がれるのか……」

「ほら、教会のは聖なる力だー、魔女の力は邪悪だー、って。ボクのところは祈祷師がー、呪術師がー、だったんだけれど……ま、そういうのはボクが生まれる前にそういうのぜんぶ終わったんだけどね? でも、やっぱり今もあんまりいい顔しない人がおおいかなー」

「宗教や利権とか絡むと人は怖いからなー……」

 宗教に寛大な国と知られている日本でさえ、各所で宗教同士の武力衝突があったのだ。複数の宗教が存在してなお、そういったいさかいがない国を探すほうがよっぽど難しいだろう。

「まぁ、うちの宗教の神様仏様はすごく寛大だから」

「うらやましいなぁー」

「うちの国が特殊なだけなんだけどな」

 実際はそうでもない。

 日本の象徴である天皇陛下は神道の最高司祭であり世界唯一の皇帝なので、実はバチカン市国に限りなく近い構造をした宗教国家である。

 ……そのことを国民のほとんどは知らないでいるのだが。

「あとでたくさん、おさむの話を聞かせてもらうとして……かくもの、借りていいかな?」

 書いたほうが分かりやすいもんね、という建前を置いているようだが、くりくりとしたとび色の瞳は修の手の中にあるボールペンに向けられていた。

 それもそのはず、修はまだ知らないが、この世界の技術水準はおよそ十五世紀――中世後期レベルである。この時点での筆記具は羽ペンを代表とする「つけペン」が主流だ。

 そして識字率の低さから高級な筆記具はちょっとしたコレクターズアイテムであり、貴族であれば、金属製のペン先を持った万年筆のはしり(・・・)をもつのは、経済力や学識の高さをあらわすひとつのステータスとされている。

 そのうえボールペンの登場は二十世紀――着想自体は十九世紀――を待たなければならないほどのオーバーテクノロジーである。

「……えっと」

 その視線を、修は「ボールペンを欲しがっているのかも……?」と解釈した。

「いる?」

「えっ!? いや、そんな、べつに! 大丈夫だから!!」

 持ち手は透明度の高い高級なガラス(に見えるプラスチック)であり、インクつぼを携帯する必要もなければインクにペン先をつけなくともよく、そして(ゲルインキなので)にじまずすらすらと書くことができ、さらには銀色のペン先は精製が困難なために高級な鋼鉄製(に見える)筆記具である。

「別に一本ぐらい、俺は困らないんだけどなぁ……」

「ボクがこまるよっ!?」

 ここまでくるともはや国一番の大貴族でも一本手に入れられるかどうかというレベルの美術品だ。そんなものを何の見返りもなく貰うのは貴族としてためらわれるし、かといってこうやって話している程度で贈与するほどのものではない。

 そうした場合、彼女の家としては何かを「お返し」として贈らなければならなくなるだろう。

 ――その場合にもっとも有力なのが「アレクシア自身」である。

 先にも言ったが、筆記具は経済力と学識の高さを示す、ひとつのステータスだ。高級品であればあるほど、美術品であればあるほどその意味は高い……経済力はさておくとしても、学識ある人間を身内にするという意味ではむしろ良縁として見られるだろう。

 そう――ここは「貴族の八女(アレクシア)ボールペン(ひゃくえん)」となってしまう恐ろしい世界なのだ!

「地図はいいや、うん! どうせおさむは土地勘ないしねっ!」

「まぁ、それもそうか。どうせ、文字も読めないだろうしな」

「うんうん、そうだねっ!」

 これでひと安心とでも言うように、ふぅー、と一息。修は、なぜアレクシアがそれほど焦るのかをまったく理解できないでいた。

 無知とは時に罪である。

「じゃぁ、さっそくいこっか! あんまり遅いと、夜になっちゃう。ランタンも持ってないのに、真っ暗になって不便だからね」

「たしかに。暗いもんな」

「うんうん」

「いくら街灯あっても、なかなか鍵が探せないよな」

「うん?」

 アレクシアは首をひねる。

「街灯ってなに?」

「えっ?」

 なお、パリにろうそく用(・・・・・)の街灯が並べられたのは十七世紀、日本ではガス灯が十九世紀になってようやく導入された。何も知らないがゆえのあんまりな言葉だが、街灯は歴史的に見て意外と新しい設備なのである。

「街灯もないのか……」

「なにかバカにしてなあい?」

「別にそういうわけじゃないから」

「光らせるのって意外と大変なんだよ? 火だと危なくて使えないし、火じゃないのもあるけど、それだとどんどん熱くなってって、最後にはやっぱり火が出ちゃうし……」

 そもそも暗くなってからほんの数時間だけ使うためだけに、簡略化されたとはいえ一時間以上も儀式を行わなければならない。

「これだからかがくは理不尽なんだー!」

 アレクシアたちにとっての科学とは、修たちにとっての魔法のような意味合いで用いられている。彼女たちは「魔法という自然現象」を起こせるからこそ、わざわざ「科学という超常現象」を研究する必要がないのだ。

「魔法のほうがよっぽど理不尽だけどなぁ……」

 結局のところ、どちらも考えていることは一緒であるという話だ。

「――さておき。カタリナ、っていうんだけどね? 彼女、今すごく辺鄙なところに住んでるんだ……呪術師としてすごく優秀で、研究者としてもすごく有名なんだけれど」

 アレクシアは困ったように笑い、

「人として、すごい人見知りなんだ」

「研究者としてそれはいかんだろう」

 ツッコまずにはいられなかった。

「べつに、普通じゃない?」

「いや、ほら、学会とか」

「なにそれ?」

「ほら、知識は共有しないと」

「それ正気……?」

 意味がわからないよ、と眉をひそめる。

 アレクシアたちの常識では、知識は占有するものである。そうして占有した知識で利益を得、絞れるだけ絞り、でがらしとなってはじめて一般に広められるのだ。

「……そうか、常識が違うのか」

 情報の共有も、豊かになってからようやく行われはじめるものだ。そして共有すればするほど富は失われ、その結果として研究者の人口が減り、いずれ消滅する。

 知識の共有というのも良し悪しである。

「ボクからみたら、おさむのほうが非常識だけどねー?」

「いや、そういう意味じゃなくて……ああ、もう。悪かったって」

「べっつにー? きにしてないよー?」

 不満そうな口ぶりだが、国どころか世界自体が違うのだ。アレクシアも、自身の常識が通じないということくらいは理解している。

 どちらかとえば、いじわるで言ってみただけ、という表情を浮かべた。

「とりあえず――カタリナに連絡を取らなきゃいけないのが、ひとつ」

 人差し指を立てる。

「言葉通じないし、予定もあるだろうから、今日中に会うのは無理……泊まるところは、やっぱり言葉がつうじないだろうし、さがすのめんどうくさいから、ボクのウチにしちゃう。このあと連れて行く、これでふたつ」

 中指を立て、

「みっつ……おさむは、馬に乗れるかを聞く」

 リズムよく、親指を立てた。

「馬……に、乗らなきゃいかんのか?」

「うんと遠くだからね。ここ、フォトプロス領っていうんだけれど……こう、領地があるでしょ?」

 人差し指で空中に大きな楕円を描く。

「ボクらが今いるこの町が、こう……だいたいこのあたり」

 その楕円の、おおまかに北東部を示す。

「でぇ、カタリナのいるのが、ジェーンの森っていうんだけれど……だいたいこう行って……こう、の。ここ」

 指先を蛇のように蛇行させながら南へと走らせ、ほぼ最南端あたりで場所を示すように指先をくるくると回した。

「ずいぶん遠いんだな」

「うん、すごく遠いの。日の出と同時に出て、太陽が真上に届くくらい」

 修は馬の速度こそ知らないが、乗り物に乗って半日もかかるのか、と渋い顔をした。

「歩くともっと時間がかかるからねー。だから、おさむは馬に乗れるのかな? って」

「バイクの免許なら持ってるんだけど……馬はなぁ」

「ばぁいくう?」

「えっと、こう……馬みたいな形で……前後に車輪がついてて……もう描いたほうが早いな」

 手帳の新しいページを開いてすらりすらりと円を二つ、そしてmの字にもにた形状のフレームをした、簡素なバイク図案をえがく。

「こんなかんじ。ここにステップ――あぶみがついてる」

「なにこれ……?」

「だから、バイクだって。エンジンがついてなくて、ステップじゃなくてペダルになってて、自分でこがなきゃいけないのを自転車っていうんだけど」

 バイクの原型は諸説あるが十九世紀のフランス、ウィーン万博に出品されたものとされている。その原型である自転車は、同じく十九世紀ドイツのドライジーネだ。

 世界最古の自転車相当の乗り物である日本の陸船車(りくせんしゃ)でも十八世紀初頭であることを考えれば、アレクシアたちの技術水準からしてみれば作成は可能でも、発明としては十分なオーバーテクノロジーである。

「いやいや、ないない。っていうか意味がわからない」

 ざっと手帳に描かれたその形状を見るや否や、アレクシアは右手を左右にふった。

「こんなほうきモドキが走るわけないよ」

 アレクシアの言い分ももっともだ。

 自転車の知識がある人間だって、乗りこすまでに何度も転倒したという苦い経験があるというのに、だ。自転車すら存在していない世界のアレクシアが、これが転ばず真っ直ぐ進むことをどうやって想像できよう?

「ほうきモドキって……ほうきで空を飛べるん?」

 それこそ意味が分からない、と。

「飛べるよ、ボクはむりだけどっ」

 無理は無理でも、股が痛くなるからやりたくない、という意味の「無理」らしい。それを聞いた修は、呆れたようにため息をついた。

「これだから魔法は……」

 軽い頭痛を覚える世界だ、と。こめかみを強く押さえる。

「いいか? バイクは、車輪が回転することによって生まれるジャイロ効果によってだな……」

「たおれないかがくはいいよ、ボク、どうせ理解できないしっ」

 むしろ威張るように鼻を鳴らす。

「おさむだって、魔法の説明されてもわけわかんないでしょ?」

「……まぁ、確かに」

「そーいうことっ!」

 もっともな言い分に修は二三度うなづき、

「じゃぁ、せめて車――自動車が欲しいな」

 あさっての方向に論理を飛躍させた。

 ちなみに最初の自動車は十八世紀フランスの陸軍が開発したキュニョーの砲車であるといわれている。

「……またぞろへんなかがくチートな乗り物のこと言われても、ボクどうしようもないんだけどー?」

「いや、蒸気機関ならたぶんあるんじゃないかなー、って……」

 それは「世界初の自動車は蒸気エンジンが動力」であることを覚えていたが故の発言である。

 ただ問題は、蒸気エンジンの登場は十七世紀を待たなければならないということを知らず、そして世界初の自動車は重量バランスに問題があって時速三キロしか出なかったということが分からなかったということだろう。

「じょーききかん、ってなにさ?」

 さらに言うならば、馬や空飛ぶほうきが現役で活躍できるこの世界で、はたしてどれほどエンジンを発明する価値があるのだろうか、という問題も残っている。

「蒸気機関、っていうのは……まぁ、こう、タイヤを回転させるために必要な動力源で」

「魔法でいいじゃん? 直接、くるくるーって」

 そう――この世界のだいたいのことは、魔法で解決してしまえ、という土壌が出来上がってしまっているのだ!

「軍の馬車とか装甲車とか、どこもだいたいそんなふうにしてるし」

「り、理不尽な……!」

 こめかみに当てていた手が、自然と頭を抱える形へと変化していく。

「まいにちまいにち、一時間以上も祈祷させられて、いざってときにはそういう人を優先的に最前線に送るんだよ? ローテだから、武官文官ほとんど関係ないの。なにもしなくたって武官が運転できるかがくのほうがよっぽど理不尽だ」

 ならば科学を発展させろよ、という言葉はナンセンスである。

 アレクシアたちには「科学は迷信」という感情が根強く存在している。そうでなくとも、この世界の一部の科学は魔法よりも効率に劣っている。彼女達が魔法から科学に乗り換えるということは、我々がミサイルを捨てて投石に切り替えるのと同義なのだ。

「――ま、それはともかくっ」

 この言い争いは不毛すぎる、といわんばかりにかしわ手をひとつうち、話題を強引に切り替えた。

「馬ダメ、ってなると……やっぱり馬車しかないのかなぁ……」

「嫌なのか?」

 渋い顔をするアレクシアに聞き返す。

「嫌もなにも、ガタゴトガタゴト……うるさいし、おしり痛くなっちゃうんだもん」

 ほうきと馬車、どちらが嫌か? という、いわゆるアレクシアの世界版の究極の選択があるくらいなのだという。

「こういうことにかがくチートを使って欲しいねっ!」

「サスペンションでも入れたら? 板バネでいいから」

 アレクシアの質問に、修はかなり適当かつなげやりで、ウソまみれな返答を返した。

「いたばねぇ?」

「そ、板バネ」

 なお十四世紀ハンガリーには鎖や紐でもって作られた懸架装置(サスペンション)が存在している。板バネになったのは十七世紀だ。

 そもそもサスペンションはあくまでも「路面への設地を保つための装置」だ。衝撃や振動の減衰システムがないただのバネでは周期振動が発生するため、かえって振動が酷くなってしまう。

 サスペンションのない自転車に乗ってもらえればよく分かるのだが、そういった振動減衰装置として働いているのはゴムタイヤであり、ゴムタイヤがあったからこそ大衆に広まったのだ。

 そして修の世界基準だが、その肝心のゴムタイヤが発明されるには十九世紀を待たなければならなかったりする。

(ここはほんとうに、何もない世界なんだな……)

 そう考えるも、それは修自身が高望みしすぎなところも問題である。

 それは、さておき。

「まぁ、ひとまず、今日はできることがほとんどないんだろ?」

「うん」

「いろいろ、教えてもらわないと困ることが多いだろうし……」

 こういう状況で必要なのは、焦ることよりも、できることをひとつずつこなしていくことである。

 仕事のトラブルの解決と、なんら、違わない。

「とりあえず、今夜はよろしく頼む」

「うん、よろしくねぇー?」

 幸運にも、自分には協力者がいるのだ、きっと何とかなるだろう……修は楽天的すぎるぐらいに、わざとそう考えることにした。

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