#17
「――最後の、デザートでございます」
ヘンリエッタが、どこか震える声で最後に出したのは……何の変哲も無い、ドーム型に盛られたただのアイスクリームだった。
「む?」
砂糖、卵黄、牛乳、そして生クリーム……純粋に、ほぼそれだけで作られた真っ白なソレを見てゲオルギスは眉をひそめ、
「ふむ……柔らかい、が……」
スプーンでアイスクリームをくしゃくしゃにこね回して、そして少量をすくい、口に運ぶ。
「はむ……んむ……うーむ……はぁ……」
そして難しい顔をし、最後に嘆息。
「ただのアイスクリームじゃなあ」
明らかにがっかりしたふうに小言をもらした。
「……ええ、それは、ただのアイスクリームです」
乳製品を天然の氷や雪で冷やして食べる習慣は紀元前より見られている。蜂蜜などを雪に混ぜて食べるなど、日本ではそれこそ平安時代にも行われていたことだ。
そしてアイスクリームは十六世紀初頭、人工的に食品を氷結させる方法が発見されるまでは発明されなかった食品であるが――
(やっぱ魔法はチートだわ)
――そう、この世界には魔法がある。
寒ければ水は凍る、誰にでも分かる原理だ。食べ物を凍らせて食べる発想は最初からあってしかるべきであり、アイスクリームが既に存在してもまったく不思議ではない。
「ただ」
しかし修は、だからといって手を抜いたわけではなかった。
「それに使われているものが、砂糖や、蜂蜜ではない――と言ったら、どうでしょう?」
この国の土地ではさとうきびが栽培できず、砂糖を取れない。主力の甘味は蜂蜜である。それを理解した上で、修は、それを覆せる切り札を使ったのだ。
「……小僧、冗談はよせ」
甘いものはさとうきびから取れる砂糖か、蜂蜜しか知らないゲオルギスは、アイスクリームを食べる手を止めて、静かな声で――いや、震えた声を上げた。
「砂糖も蜂蜜も使わずに甘いものとは……いくらなんでも無理じゃろう」
――脅しである。
ゲオルギスの住むペルサキス領は、ここフォトプロス領の南方に位置する。さとうきびが特産の領地だ。そして甘味は古今東西のあらゆる権力者を魅了してきた魅惑の味覚である。生成すれば腐れることも無く、そして保存食を作るのにも使える。作れば売れるのが砂糖である。
ペルサキス領は、さとうきびと共に育った国なのだ。
「あ、そうか、果物か! りんご水なぞ出したからな! 人が悪いぞ小僧!」
そう信じたい――ゲオルギスがわざとらしく笑いながら、そう言ってくれと痛々しい目をする。
「……残念ながら」
修が首を振ると、その乾いた笑い声が止まる。
「俺は、この土地で取れる作物から、砂糖を作りました」
はっきりと断言する。
ゲオルギスの顔がどんどん痛々しい、悲痛なものへと変化していった。
「じじい、何か、不都合でもあるのかい?」
ジェニファーは不思議そうな顔をして、ゲオルギスに問いかけた。
「……領地が荒れる」
「はぁ?」
「領地が荒れるんじゃ!」
ペルサキス領には、もちろんさとうきび以外の特産品もきちんと存在する。しかし、さとうきびと共に育った国が、さとうきびから取れる砂糖という支えを失ってしまえばどうなってしまうのだろう?
「ペルサキスはさとうきびの砂糖が主力じゃ! こと砂糖に関して言えば、我らが王者と言えるじゃろう。それが脅かされる? 恐ろしいことになるぞ……!」
それは最悪を想定した考えだが……しかし、確かに最悪の場合、ひとつの領地で、大量の農民が首を括ることになるかもしれない。
少なくとも農業を辞めた領民が、職を求めて領都に殺到するだろう。しかし領都にある職も限られている。下手をしなくとも職につけない領民が出るだろう。それはおおむね、スラムという無法地帯の拡大を促してしまうのだ。
「小僧、領主でもなんでもない一介の市民に、わしらに、領地の未来を押し付けよった……!」
今、ゲオルギスの目の前にいるのはとても危険な人間だ。少なくともゲオルギスの目にはそう映っている。
いずこかの宗教に所属しているかのような立ち振る舞いと、礼儀作法。
地図や天気を読むことのできる、少なくとも下士官程度の軍事知識。
貴族のごとく学校に席を置き、大学で研究した深い見識。
こんな"脅し"を考え叩きつけてくる、経済への造詣。
そして何より、孫娘であり傭兵のジェニファーを圧倒する、対人格闘術。
――これが危険でなくて、一体何が危険だというのだ。
「……俺は、別に、ペルサキス領を荒そうなんて考えてはいません」
「し、白々しい……」
「この知識は封印するつもりですよ。こういうこともできる。それさえ理解してもらえればいいんです」
ゲオルギスからしてみれば、これ以上の事もできる、と言われているようなものだった。
「何が、目的じゃ」
「知識を」
「――これ以上か!?」
もはや知らないものなどない、そうとさえ思えるような相手が、自分の知識を求めている。どれほど貪欲な人間なのだと、ゲオルギスは声を上げた。
「アレクシア?」
話しても大丈夫かな? と視線を送ると、アレクシアは「うん」とうなづいて答えた。
「……少し、俺の事情を説明しましょう」
修はようやく、この席を設けた目的を口にした。
○
「……にわかには、信じられん」
ゲオルギスは腕組みをして考え込む。
「小僧が異界の人間とは、まぁ、百歩譲ろう。が、科学の世界とは……」
修がファンタジーな世界を信じていなかったのと同じことだ。
「むしろ、俺からしてみれば、魔法の世界がいまだ信じられませんが」
「小僧の話が本当ならば、まぁ、そうじゃろうなぁ」
なかなか理解力がある、修は思わず唸った。実際はゲオルギスが魔法使いだったからこそ、頭ごなしに否定することをしなかっただけだ。むしろ個人的には、聖書にある異界の悪魔だとすら考えてもいる。
「ジョージ・S・コンサド。これの最期は実に有名じゃ。晩年、自身の作品は盗作だと近しい者にもらしたという話すらあったからの」
「盗作?」
「なんでも、前世に読んだ作品を盗作したのだ、というものでな。酒の席での妄言と一蹴されたよ」
「……なるほど」
修はこちらの世界の言葉を読むことができないため、カタリナに見せてもらった本の内容を把握しているわけではない。もしかしたら、修も知っているような有名な作品からの引用があったのかもしれない。
「それにあのよく分からん文字。やれ創作だ、いや異文化圏の文字だと言われておってなぁ……まぁ、ワシは創作で意味のない文字だと思っておったが、しかし、本当に意味のある言葉だったとは……」
とにかく、ゲオルギスは転生については否定的な意見であったらしい。
「あ、だからカタリナ様がいっしょにいたんだね?」
「ええ、まぁ」
アレクシアの友人ですが、という言葉をかろうじて飲み込む。
軽々しく貴族の友人だと紹介してもいいものか、修には判断がつかなかったからだ。
「あの方は人嫌いなくせに好奇心が強いって噂だからねぇ」
「どこにいるかもわからんくせに、どこにでも出没するとも言うの」
「そうなんですか」
言わなくて良かったと、修はほっと一息ついた。
「で、小僧はアレか。異界の扉か、その手がかりが目的か」
「ありますか?」
「ないっ!」
ふんぞり返るように、ゲオルギスは断言した。
「まぁー、ワシ専門が歯車の魔法陣と血筋の鑑定じゃし」
「……はぐるま?」
アレクシアがその単語に反応する。
「それって、どういうものですか?」
「うむっ、よくぞ聞いてくれた! ワシはな? 歯車による動的な魔法陣の切替機構を考えておるんじゃ!」
「きりかえきこう」
「そう! 分かるか小僧、そして薔薇の。今までの魔法陣は知ってのとおり一度設置してしまうとごくごく一部の人間を除き、限られた魔術のみの行使にしか使えんかった!」
そうなの? と修はアレクシアに視線を投げかけた。
「アレクシア、面倒くさがってたけど、そんな感じはしなかったよな?」
「えーっとね……うちにあるあの魔法陣ってすごく基本の部分でしかないんだ。そこに、儀式で、魔法、でっちあげるの」
「そんなもん騎士団の人間しかできんじゃろう!」
「……そうなんだ?」
「そーなんだよねぇ。ちょーっと、専門知識がね?」
いわゆる軍事知識の一種のようなものだが、学ぼうと思えば誰だって学べる程度には公開された知識だ。修が、自衛隊が採用している銃器の構造をインターネットで調べられるようなものである。
「カタリナだと、そのへんぜーんぶ飛ばせるんだけど」
ただし非常に危険なため、法律違反である。
実力者はうっかりやってしまうことがあるせいで、工房はあんな辺鄙なところに作らなければならないなんていう法が出来てしまっているのだ。
東京都心のビル内で六尺花火を製作するような感覚、と言えば伝わりやすいか。
「……ん? あれ? でも、待って?」
アレクシアがふと、そのことに気付いた。
「もしかして、教会の時計塔で、そんな危険な実験してたり……してませんよね?」
「バカをいうなっ!」
鼻息荒く、
「意図して他領の教会に大事な大事な研究材料の歯車を使うと? 研究成果の流出はもとより、そんなのワシの首が飛ぶわっ!」
「あ、ですよね」
「今回のは事故じゃっ!」
「ちょっとお!?」
「じじい!?」
「ふぅ……」
ヘンリエッタだけは意識が遠のいたらしく、何かを言う前に、くらりとへたり込んでしまった。
「あれは、悲しい手違いから起きてしまった事件でなぁ」
「アレ、ではなく、今回の、では?」
「新しく雇ったどこぞの丁稚が、これが極まったアホで……」
修がじとりと睨んでも、しかしゲオルギスはそ知らぬ顔でいきさつをとうとうと語りだしていた。
「まぁー、歯車に魔法陣の一部を描いて、それを回して組み合わせるというのがワシの研究でな? バラバラなら魔法陣にもならんから、商売で使う歯車やらと一緒に作ったところで何の問題もないと作っておったんじゃが」
「商売用と研究用の歯車を、取り違えた、と?」
「……すまんな小僧、ワシのせいかもしれん」
バラバラなら魔法陣として機能しないが、意図しない組み合わせによって意図しない魔法陣が出来上がってしまっていても不思議ではない。言ってしまえば、そうしたものを排除するのがゲオルギスの研究なのだ。
思わず天を仰ぎ見て、次にアレクシアに「どうしよう?」と視線で問いかける。
「……だから反論もしないで、天に任せる、とか言ってたんだぁ」
肝心のアレクシアは「はぁー」と深い深いため息をついていた。
「だぁーって! 早く回収せんとワシの首が飛ぶじゃろう! そんなん決闘どうこうよりもさっさと回収して証拠隠滅したいわっ! 勝てば神様許してくれるってことじゃし!」
酷い話であった。
本当に、酷い話であった。
「つーか、初耳だぞじじい」
「言えるかっ!」
言ってしまえばいつ爆発するかもしれない巨大な花火を、他国の都心あたりに置き忘れてしまったようなものだ。
もはやテロ行為である。
ことが露見すれば、ゲオルギス本人の首ひとつで済むならまだ安いほうであった。
「さいわい、基幹になる歯車が壊れておる。もう何も起きんよ」
「この……歯車バカがっ!」
もうなんと言えばいいのか分からないジェニファーは、ひたすら「バカ! バカ!」と繰り返す。
「……こういうとき、どうするんだ?」
知識面で頼りになるヘンリエッタは失神してしまっている。こちらの法や慣習に詳しくない修はアレクシアにその疑問を投げかけた。
「ボクに振らないでよぉー……」
アレクシアもお手上げだというように、情けない声を上げた。
○
汚い政治の話というか、後ろ暗い脅しというか。
「……では、三ヶ月ほどで手を打ちましょう」
あの短時間でげっそりとやつれてしまったヘンリエッタが、主人であるアレクシアを差し置いて椅子に座り、そう結論を出した。
「短い期間ですが、あまり長すぎると後ろ暗いことがあったかのように見えますからね……我々とゲオルギウス様はそれほど親しい間柄ではございませんし」
「ヘティがそう言うなら」
「それで手打ちならよかろう」
ゲオルギスは、少しばかり頭痛を感じているような顔をした。物理的に首が飛ぶか飛ばないかという瀬戸際だったのに、給料を使い込んだせいで妻に怒られる、といったような類の。
「名目は、騎士団への寄付ということにしてくださいな」
騎士団経由でアレクシアたちに、ゲオルギスがこれから手に入れる三か月分の稼ぎが渡るという話であった。別名、口止め料とも言う。
正確には方々への根回しもあるため、実際にはさほど手元には残らないのだが。
(きったねぇー……)
不正だとかズルだとか、そういったことに過敏な日本人だからこそ、修はあまりいい顔をしない。が、これがこの世界の、国の常識なのだろうと理解はしている。なので今回の件に関してはいっさい口に出さず、だんまりを決め込んでいた。
「……とりあえず、今回の件に関してはボクの胸の中にそっとしまっておくことにするけど。今度からは注意してよね?」
もはや相手への尊敬もなにもない。アレクシアが敬語をやめて、ゲオルギスをじとりと睨んだ。
「恩に着る」
一種のテロ行為を行われたのだから、本来ならば領主に報告すべき案件だろう。
しかしアレクシアは今回、他領の名士であり魔術師であり、大商人に対して恩を売るという判断を下した。これには政治的な判断というものを多分に含んでいる。
ゲオルギスの首ひとつでどうにかなればいいのだが、下手すれば領同士の戦争――つまりは内紛である。うかつに報告できないというものがあった。
「じゃ、この話はおしまーい! いつまでも暗いのは気が滅入っちゃう。いいことないしね」
アレクシアが「ぱん、ぱん」と拍手を打って場を切り替える。
「もう面倒くさいし、さっくり答えてよ? ――ずばり、おさむは帰れるか否か」
「わからん」
「じじい!」
「いや、じゃって。歯車の位置が分からんと……」
歯車を使って魔法陣を変化させるのが彼の研究だ。つまり歯車を動かして、意味のある魔法陣にしなければならない。これを解析しなければ、どういった理屈でもって修が召喚されたのかを判断は出来ないのだ。
「さしものワシも当時の位置を見つけることは……」
「それって計算で出せますよね?」
「え?」
「えっ?」
ようするに公倍数や公約数の問題だ。特にゲオルギウスの歯車は互いに素となっていないため、必ず数パターンに収束してしまう。そして時計であったということも幸いだ、針の止まっていた位置からある程度絞り込むことさえ可能になっている。
修は数学科であったために数字自体には強いので、計算がすごく面倒だということ以外は、実に幸運だった。
「すごく面倒くさいですし、魔法陣としても、それなりに数は多くなるでしょうが」
少なくとも、数パターンの組み合わせから意味のあるものを取捨選択すればいい。解析に時間こそかかるが、無限の組み合わせにも見えるそれを調べるよりは、ずっとずっと楽なことだ。
「いや、アタリがつくのなら僥倖じゃろう」
「じゃぁ、後で図面とかください」
「……本来ならば、嫌じゃが、まぁ、仕方あるまい」
一応、責任を感じてはいる。他人を巻き込んでもひょうひょうと笑っていられるほど、ゲオルギスは外道ではない。
「……かがくチートだぁー」
「数学は科学じゃないよ」
科学の一部に数学が存在するのであって、数学は科学ではないという修の言い分は正しくもあり間違ってもいる。
「小僧」
「なりません」
「まだ何も言っておらんぞ!?」
カタリナで十分に学習していた修は、ゲオルギスの誘いを喰い気味に断った。
「……うちの孫は可愛いぞ?」
「おさむはボクのだからダメ」
「俺はモノじゃねぇーよ」
少なくともこちらに骨を埋める気はなかった。
「ま、それはそれとして、じゃ……異界の扉に関してはワシの専門外じゃが、しかし頼りになりそうなものは一人二人ほど心当たりはある」
「じじいは無駄に顔が広いからな」
「魔法陣ができたところでワシの研究では送り返せるとは限らんからな。侘びついでに紹介しよう――ワシの自慢の孫娘をな!」
親バカならぬ爺バカというヤツだ。
「アタシは自慢じゃないってのかい?」
「腕っ節は自慢の孫じゃよ?」
暗に頭は残念だとも言っている。が、ジェニファーは気付かず「そ、そうか……」などと照れてしまい、それ以上を追及することはなかった。




