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#16

「それは、乗馬服、か? 見たことのない、ずいぶんと気楽な服装じゃのぉー?」

 修の服を言及することによる、ゲオルギスの牽制。

「これ、仕事着なんですよ。一応、俺の国ではフォーマルな場面でも使えます」

 ある外国人は日本のビジネスマンを見たさい、国葬があったのかと聞いたという。それは日本のビジネススーツのほとんどが、黒の無地を用いたスーツだったからだ。

 そして修のスーツは黒の無地、日本のフォーマルスーツよりも色が"薄い"ものではあるが、その小話にあったとおり、外国人が見れば礼服でも通ってしまうようなダークスーツだ。

(まぁ、フォーマルスーツでも、真っ黒なスーツじゃなくてもいいところは、あるしなぁ)

 だから、別にウソは言っていないのである。

「はぁーん? おかしな文化じゃなぁ。乗馬服が礼服なぞ」

 礼服が修の着るようなスーツの形をとったのは、十八世紀フランス革命後。当時は乗馬服の変形であった燕尾服が主流だった。

「文化の違い、というものですね」

「……顔つきからして違うとは思っておったが、お前、どこの領、いや、国の人間だ?」

「日本です」

「にほん」

 聞いたことのない……と顎に手を当てて考えこむゲオルギスに、

「まぁ、お話はまず、食事の後にいたしましょう」

 と、アレクシアが声を上げる。

「今日の料理は、ほとんど、修が考案し、腕を振るったものです。きっとゲオルギウス様でも、見たこともないようなものばかりかと」

 考案したなどというウソをしれっとつきながら、ヘンリエッタに目配せ。

 ヘンリエッタはゲオルギスの後ろから、ワイングラスに透明な液体を注いだ。

「食前酒……ではなく、水でございます」

「……みぃーずぅー?」

 水、という単語にゲオルギスが声を上げる。

「ここの家では、客に水を出すのかのぉー?」

「じじいっ!」

 すごくイヤミったらしい、なんというか、まるで嫁をいびる姑のような。ジェニファーが声を上げても、ゲオルギスはちっとも悪びれもしない。

「どうぞ、お試しください」

 しかしアレクシアは動じない。

 仕込みは上々、といったふうに自信満々だ。

「はっ、たかが水ごとき……で……?」

 ゲオルギスは貴族ではないものの、生まれはそれなりに裕福な商家の次男である。水と言われて侮ったが、その水からほのかに香る芳香に気付き、思わず言葉を止める。

「……りんごのにおいがするのぉ」

「えっ?」

 どちらかと言えば味の濃い、香りの強い料理ばかりを食べてきた平民生まれのジェニファーは気付けない。

「これじゃ、これからじゃあ!」

 ゲオルギスがグラスを指差す。

 アレクシアは、それをただ黙ってニコニコと見つめるだけだ。

「すん……すんすん……」

 グラスを持ち上げて、香りを確かめる。

「……洗ってないだけじゃないかい?」

 確かに洗ってないグラスやポットがあれば、そうだっただろう。

「畏れながら申し上げます。それはありえませんわ」

 しかしタネも仕掛けも知っているヘンリエッタは、それをやんわりと、しかし自信を持って否定するのであった。

「まずは、お試しくださいな」

「う、うむ……」

 ゲオルギスがグラスを口元に持っていき、くい、と傾ける。

 恐る恐る、といった言葉の良く似合うテイスティングだった。

「――これはっ! これはぁああ!?」

 なんだか料理マンガか何かみたいだなぁ、と見も蓋もない感想を修が抱いてしまうほど、やたらと大仰にのけぞるようなリアクション。

「りんごの果汁! 透明なのに! りんごの果汁じゃああ!」

「果実の水――果実水です」

 ここぞとばかりにヘンリエッタが口にし、アレクシアはにんまりと笑う。

「アルコールが入っては思考が鈍り、活発な論議を交わせない……修様はそれを憂慮したのです」

「ほう!」

 ゲオルギスが嬉しそうな声を上げた。

「面白い魔法じゃ! そしてなんと心憎い!」

「はは……ありがとうございます」

 実際は魔法でもなんでもなく、ただのフレーバーウォーターである。

 作り方は簡単。水にりんごを漬け込むだけ。味と香りを手早く抽出したければ、お湯を使えばいい。なお今回用意した水は、何度も何度も色が移らないように新鮮なりんごに替えるというぜいたくな方法でもって味と香りを移したものだ。

(……フレーバーウォーターの発想ってないのかなぁ)

 ないのである。

 これはこの国の水が飲料水に向かない、しかも煮沸することにより軟化しない永久硬水であるせいだ。

 そもそも水をそのまま飲もう、という発想がない。フレーバーウォーターを最初に見せたとき、ヘンリエッタすらあからさまに顔をしかめる程度には、水に色をつけずに飲もうという発想がないのである。

 ゲオルギスが修の用意したフレーバーウォーターに口をつけたのは、りんごの匂いがする水という、魔術師という人種の、好奇心の高さを利用したからに他ならない。

「……味がしないねぇ」

 水を飲み干して、ジェニファーがのたまう。

 そういえばアレックスも、ハーブティを飲んでそんな事を言っていたなぁ、と。修は思わず、そんな事を思いだした。

 こちらの世界の、貴族以外はもっと味の濃いものでなければ料理の味が分からない。基本的に彼女のような者は肉体労働者で、大量の塩分とカロリーを消費するかわりに、食事に使える金銭がそれほど多くないためだ。

 例えるなら、野菜背油マシマシのとんこつラーメンにさらにオリーブオイルをかけるような料理が必要だろう。



「――前菜でございます」

 ヘンリエッタが前菜と称して出したのは、揚げた芋――フライドポテトである。

「……なんじゃ、これ?」

「揚げた細切り芋、だねぇ」

 フレーバーウォーターという、こちらの文化には存在しないもので興奮していた魔術師ゲオルギスが、明らかに落胆した声を上げた。

「俺の国では、フライドポテト、と言います」

 ちなみに和製英語である。なお、文法は間違っていないため海外でも一応は通じるが、その場合は揚げたジャガイモ全般を指してしまう。

「はー……さっきはよっぽどすごいものが出たと思ったんじゃがなぁー? 期待はずれかのぉー……?」

 と、二叉のフォークでひとつ刺して口に運ぶ。

「……こ、これはっ!」

 その反応に、修は思わず「えっ、また?」と呟いた。

「あ、油の味がせん!? 油の味がせんぞぉおおお!?」

「はぁー?」

 ジェニファーが「とうとうボケたか……」という顔をしながら、はしたなくも一つつまんで口に運ぶ。

「……こ、これは……どういうことだい?」

「ジャガイモを、水で揚げたのです」

「水、だって!?」

 先ほどは反応の悪かったジェニファーが「そんな非常識なっ!」と声を上げる。

「水で揚げられるわけがあるかいっ!」

「じゃが油の味がせん……!」

 まるで何かに憑り着かれたように、二人がフライドポテトを次々に口に放り込んでいく。噛むたびに塩気とジャガイモの味が口の中に広がるも、決して油の嫌な味や臭いがしない。二人には衝撃的な料理である。

「我が家の論客、その実力の一端です」

 アレクシアが意地悪げに「ふふふ」と笑う。

「これが……オサムライの魔法……!」

 違います。と修は首を振る。

(ただの過加熱水蒸気なんだけどねぇ)

 水を熱して水蒸気にしたものを、更に加熱した水蒸気のことだ。いわゆる、スチームレンジと言われる家電で使われている。

 加熱方法は非常に簡単で、鉄の管に水蒸気を通し、その管を熱すればどんなご家庭でも簡単に再現できてしまう科学技術である。この方法で加熱された水蒸気は三百度以上の熱になり、水蒸気であるのに紙を濡らさずに焦がすという不思議な特性を持つのである。

(魔法ってやっぱチートだな……)

 代替魔法を用意するための儀式をしなければならないと、アレクシアは非常に面倒くさそうな顔をしたが、しかしわざわざやった甲斐があるというモノだろう。

「かがくってやっぱりチートだねぇー……」

 修にだけ聞こえるような声で、アレクシアがぼそりと呟いた。



「――スープでございます」

 深いスープ皿に、とろみのある真っ白なベシャメルソース。彩りのためにちりばめられたパセリ。具はあえて抜いてある、本当にスープだけを楽しむシチューだ。

「ほう――白いなっ!」

 さんざんノンフライドポテトを食べたゲオルギスが驚きの声を上げる。

「まるでクリーム煮か、ジャガイモのスープみたいだねぇ」

 クリーム煮か、ジャガイモのスープはどちらもこちらの国では"白い"スープだ。前者は牛乳を使うから当然だが、後者はジャガイモを煮崩れるまで煮込んで色ととろみをつけた田舎料理である。

「しかしまさか、ジャガイモを使っているわけではあるまい? 今度はどんな魔法を見せてくれるんじゃ?」

「ふふ……お試しください」

 あえて何も言わず、アレクシアはイタズラっぽく笑いながらソレを勧めた。

「ふぅーむ……」

 下品なのは分かっている。が、魔術師という人間は大なり小なり好奇心の強い生き物だ。まるで観察するかのように、スプーンですくっては落とすという行為を繰り返す。

「ねっとりとしておるのぉ」

「やっぱジャガイモかな?」

 二人はほぼ同時に、スープを少しすする。

「――クリーム煮? にしては、ちょっととろみが強いね」

「いや、しかし……やはりジャガイモの味がせん!」

「ええ。この料理、ジャガイモは、いっさい使っておりませんわ」

 我が意を得たりと言わんばかりに、ヘンリエッタが口を挟む。

「ジャガイモを使わないでこのとろみ……!?」

「ダマになっているような野菜クズもないね……漉したのかな?」

「かもしれん……じゃが、いや、それなら野菜の味がしないのは……」

 意外かもしれないが、ホワイトソース――ベシャメルソースが発明されたのは十七世紀である。

「……ときに、これはいつごろから用意したものかね?」

 それ以前は基本的に煮崩れた野菜、主にジャガイモのでんぷんによってとろみがつけられており、往々にして長い調理時間を必要としていた料理であったのだ。

「今朝ですわ」

「――そんなバカなっ!?」

 ヘンリエッタの言葉に悲鳴じみた声を上げる。

「このスープを、今朝から!? 野菜も使わずに!?」

「ええ。修様の博識には、私達も驚かされてばかりですわ」

「ジャガイモなしで、とろとろって……はぁー、なんだか驚くのも疲れてきたねぇ……」

 呆れたようにため息を着いて、

「もうそういう魔法だって思ったほうが早いのかもね」

 完全に思考を放棄する。

「まぁ、実際はジャガイモのスープのほうが手軽なんですけどね」

 具体的に言えば、潰して煮込んで漉せばいい。

 ただそれだと面白みも何もないから、ここに柔らかくした肉を入れるのが妥当だろう。煮込み料理で肉と言えば、やはり圧力鍋を使うことになるだろうが、その圧力鍋もアレクシアたちに頼めば簡単に再現できてしまう。

 柔らかくした塊の肉を浮かべたシチューを想像し、むしろそっちのほうがインパクトがあったかもしれないと考えながら、

「やっぱり魔法ってチートだなぁ……」

 修は改めて、そう漏らした。



「――メインディッシュ、牛肉のステーキでございます」

 ヘンリエッタが用意したのは、カートの上でチンチンと音を立てるほどに熱せられた鉄板と、そして分厚い赤身のステーキ肉である。それは既にみじん切りにしたたまねぎから取り出して、決してたまねぎの事を悟られないよう、表面を丁寧に払ってあった。

「へぇ! いいところ使ってるねぇ!」

 ジェニファーが嬉しそうに声を上げる。

「……しかし、仔牛のものではないようじゃのー?」

 肉はほとんど同じものにしか見えない修は、思わず「えっ」と声を上げそうになった。見ただけで仔牛かそうでないかを見分けるなど、通常では到底不可能――

「ああ、ホントだねぇ。骨、結構大きいや」

 ――かと思いきや、単純に肉についた肋骨の大きさからそう判断しただけらしい。

(ああ、そういえばリブ肉だったっけ……)

 リブ肉とは言っているが、実際はリブロースのような部位ではなく、いわゆるサーロインとフィレの両方を味わえるというTボーンステーキに使う肋骨(リブ)肉だ。

(……ややっこしいなぁ)

 修の世界では、リブ肉といえばリブロース――霜降りになりやすい部位を指すのだが、ここではリブ肉といえば肋骨周辺の肉全般を指すのだ。肉の部位分類は明確に決まっておらず意外と大雑把であるとはいえ、自国との呼び方が違うとさすがに混乱してしまう。

「では、修様」

「あ、はい」

 まさか自分が分厚いステーキを、しかも客の前で焼くという経験をするとは……などと考えながら、修は席を立った。



 肉を焼くのが主人の役割ならば、その間の空白を埋めるのも主人の役割だ。

「おさむは、聞けば大学で学んだ経験があって……」

「――ほぅ!」

 しかし往々にしてそうしたことが出来ない場合は、その主人にもっとも近しい人間――本来ならば跡継ぎの息子、もしくは、夫人(つま)が担う仕事である。

「理知的な会話で、日々飽きることなく楽しませてもらっているんですよ?」

 アレクシアは貴族の女児であり、そして八女という、本来ならば政略結婚に使われるような生まれである。そういった教育も受けてきたらしく、日々の人物像からはまったく想像のできないような、実に知性的な会話をしていた。

(……二重人格とかじゃないよなぁ?)

 修がそんな事を考えてしまうくらいには、いつものイメージからはまったく想像できない姿である。

「じゃぁ戦い方もそこで教えられたのかい?」

「あれは、その前の学校ですね」

「へぇー……ん?」

 その前の学校、という単語にジェニファーが思わず聞き返した。

「おさむ、よっつの学校を渡ったそうなんですよ」

「よっつぅ!?」

 素っ頓狂な声が上がる。

「ええ、よっつ。そして、大学に四年ほど籍を置いていた、と」

「四年も……」

 四年も大学に通っていた事をアレクシアが教えると、ジェニファーは「すごい男だ……」と感心するような視線を送ってくる。

 この流れをなんとなく予想していた修は「ええ、まぁ……」と、あいまいな笑顔でお茶を濁そうとして、

「……大学では何を研究していたんじゃ?」

 意外なところに食いつかれ、言葉を止めた。

「数学です」

 世間からは「変人の巣窟」とまで言われる数学科である。

「……」

 ボク、それ聞いてない。とアレクシアからじとりと睨まれた。

「すう、がく? ってな、つまり、一たす一……とかか?」

「うーん、そうですね……例えば……」

 はて、数学は日常で一体どのような事に使われているのだろう? そういった疑問は誰しも持つ、だからこそ、数学なんて役に立たないと言う生徒がいるわけだ。

 もちろん、修もその一人であった。

「正確な天気予報とか」

「てん――!?」

 ジェニファーが思わず言葉を失う。

「おま……天気を予測できるのかっ!?」

「え? ……ええまぁ、地図と雲の配置図と、風向きとか分かればだいたい」

 天気図の読み方は中学校の理科でさわりだけでも学ぶことである。そして天気予報は、あらゆる情報を積分して(・・・・)算出する。

 こういった天気図などのような、微積分のできる空間について考えることを解析学と言う。立派な数学的分野の一つなのだ。

「…………」

 ボク、それ、聞いてない――アレクシアが思わず青い顔をして修を見つめる。

「……あっ」

 そのアレクシアの視線で、修はようやく気付いた。

 天気の予測は立派な軍事技術である。

 そして天気を予測するさいに確認すると言った地図も、もちろん軍事機密である。簡易的なものならば一般人でも読めるが、しかし天気を予測するための正確な地図など、一般人が読めるわけがないのだ。

(やっちまったー!)

 うっかりにもほどがある。

 地図が読め、天気を予測でき、そして対人に特化した格闘術(あんさつじゅつ)を持つ人間――果たして、この世界の人々の瞳にはどのように映るだろう?

「……俺、一般人ですからね?」

「お、おう……」

 これほど説得力の無い言葉は、なかなかお目にかけることなどないだろう。



「……やわらかくておいしいのう」

 せっかく用意された柔らな肉の美味さが舌の上で上滑りしていくような錯覚すら覚える、実に重い空気であった。

「そう言ってもらえると、ボクも用意したかいがある、あります」

 アレクシアも思わず素で答えかけるぐらいだ。

(おかしい……もう少し楽しい会話があってもいいはずなのに……)

 そりゃぁ、素手でも人を殺せる技術を持った怪しいことこの上ない自称・一般人が目の前に座っているのである。仮に毒が含まれていなくとも、はたして安心して食事を喉に通すなどという暢気なことをしていられるだろうか?

 ――答えは、否、である。

 魔法で迎撃しようとすることはできるだろう。しかし対人に特化しているということは、そうした攻撃を想定しているのは当たり前だ。避けるか、無力化するか、はたまた自分の命と引き換えに、ということもありえる。火炎系の魔法で迎撃したら、火達磨になったまま組み付かれて……などもよく聞く話だ。

(一般人だ、って言ってるのになぁ……)

 はたしてそんな事を信じられる平和ボケした人間がここに居るだろうか?

 いや、いない。

 どうしよう、とアレクシアを見ると、

「……」

 どこか諦めムード漂う、疲れた顔をされる。

 ――もう無理だよぉー、と。

「アレクシア、そろそろ、デザート、いいんじゃないかな?」

「……う、うん。そうだね?」

 ならば、友好的な会食は、もはやこれまで。

「ヘティー……」

「はい」

「デザート……お願い」

「……か、かしこまりました」

 これだけは切るまい、とアレクシアたちと話し合って決めた鬼札――最終手段、デザートの登場である。

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