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#15

「えっ、今日なの?」

 カタリナから「だい、じょうぶ」とお墨付きを貰って、今朝から元気に食卓に座ったアレクシアが、かごに入った黒パンを手に取りながら声を上げた。

「ええ、昨夜遅くに。ゲオルギス様の使者を名乗る方が」

「ちゃんとほんものなのー?」

「もちろん。来たのはジェニファー様ですわ、孫にあたる」

「面識あるんだっけ、じゃぁ本人からかぁ……」

 パンに塗るためのはちみつを取ろうとアレクシアが手を伸ばし、修はそれを、はちみつの瓶ごと横取りすることで阻止する。

「……おさむぅー?」

「病み上がりがはちみつを食べちゃダメだろ」

 はちみつには嫌気性の細菌、悪名高きボツリヌス菌の芽胞が存在することがある。これがいわゆる乳児ボツリヌス症の原因だ。

 とはいえ、乳幼児のように腸内細菌が未発達であったり消化管が短いわけではないはずなので、修の心配は杞憂である。

「はちみつはおいしくて体にいーんだよ? ねっ、カタリナ?」

 カタリナが、こくん、とうなづく。

「水なら、きいたこと、あるけど」

「こっち硬水ですもんね」

「こう、すい?」

 カルシウムやマグネシウムを多く含む水のことである。

 硬水に含まれるマグネシウムイオンは水と強く結合するため、体内に吸収されにくく、このせいで腸内に水分が溜まって下痢を起こしてしまうのだ。

「あー……詳しい説明は省くけど、念のためとって欲しくないんだよ。念のためにさ」

「むぅー……」

「レクシー?」

 せっかくの好意ですわよ? と。ヘンリエッタが嗜める。

「……しょうがないなぁー」

「ありがとう、聞いてくれて」

「それは、それと、して。硬水、って?」

「口当たりが重い水のことです。日本は軟水で……えーっと、主観ですけど、硬水ってこってりとしたスープみたい、っていうか……そんな感じ?」

 硬水しか飲んだことのないカタリナたちは、不思議そうに首をかしげた。

「はいはーい、とりあえずこの話はおしまーい」

 ぱんぱん、と手を打ち鳴らして、アレクシアは場を仕切りなおした。

「ヘティの話を聞いてたら分かるだろうけど、今日はゲオルギウスが来るんだってさ。お昼かな?」

「ええ。そのように承っております」

「夜に来られても困るけどねぇー? さて、相手は"時計塔の"ゲオルギウス、有名人だ。ボクもしっかりもてなさなきゃいけない相手になる」

 アレックスを見て、

「赤毛は裏方」

「む?」

「正装ないでしょ?」

「なるほど、それは助かるなぁ」

「期待してるよー」

 ほぼ棒読みである。

 おそらくは、というよりも確実にアレックスを軟禁するための措置だろう。

 なぜなら相手は決闘で相対したゲオルギスで、しかもここにはカタリナがいる。町でおかしなことを吹聴されても困るし、かといって会談では余計な事を口走るだろうことは明白だからだ。

「ヘティはボクの後ろに控えてて」

「かしこまりました」

 これは順当な配置だろう。

「カタリナはー……うーん、申し訳ないけど、ちょっと休んでてくれないかな?」

「わかった、わ」

 カタリナが下手に同席すると、そのネームバリューで威圧していると取られかねないためだ。かといって彼女を外に放り出すわけにもいかない。ある意味カタリナも、アレックスと同じく軟禁状態である。

「俺は」

「ボクのとなりっ」

「だよなぁ」

 修には自分の世界に帰るための手がかりを得るという目的があるのもそうだが、ゲオルギスに出された課題の答えを持っているのはこの中で修と、さわりだけ聞いたアレクシアだけである。

「ボクだけじゃなんにも話してくれないかもしれないでしょ?」

 ゲオルギスは「バカと会話する趣味は無い」と公言して憚らない男だ、アレクシアは答えだけは知っているが、しかしそれだけでは一言も交わさない、という事態もありえてしまうのだ。

「でぇ、食事だけど」

「肉のよいところは、既に抑えてありますわ」

「なんのおにく?」

「牛のリブ肉を。あと、ソース用にガルムも少々」

「抜かりなし、いいねぇ」

 満足したようにうなづく。

「ガルムって、なに?」

「なんだ、知らんのか兄弟?」

 アレックスは得意げに笑い、

「魚のワタを塩水につけて腐らせたヤツだ」

「ああ、魚醤ね」

「なんだ、知っているのか……」

 製法を聞いて納得する修に、つまらなそうに唇を尖らせた。

「修様のところではどうかは存じませんが、ここフォトプロス領は内陸ですので、等量の香水と等しい価値がありますわ」

「わぁ、高い」

 ものにもよるだろうが、ヘンリエッタたちはいわゆる上流階級の立場だ。そんな彼女たちの言う香水も、ちょっとした値段がする。

 日本人の感覚的には、天皇献上品の高級醤油あたりを買うようなものだ。

「おさむのトコ、安いの?」

「島国だからね。周り、全部海」

「あー、そういえばおさむ、泳げたんだっけねぇー」

「なんとっ」

「すご、い」

 泳げる、たったそれだけでアレックスとカタリナから羨望のまなざしを向けられる。日本人特有の難儀な性格が、なんとなく修を落ち着かない気分にした。

「でぇ、ボクは今回、そのすごいおさむが料理するのがいいと思ってるんだぁ」

「はぁ?」

 思わぬ一言に、修は頓狂な声を上げる。

「……レクシー?」

 ヘンリエッタが責めるように名前を呼んだ。

「実際にゲオルギウスが話をしたいのは、おさむのほうでしょ? だったらボクが料理するより、おさむが作ったほうが話はスムーズだ。いろいろ(・・・・)、ね?」

 この会談の主役はアレクシアではない、あくまでも修だ。ここでアレクシアが料理を饗しては、主役を差し置いてアレクシアが割って入るという野暮な状況に陥りかねない。

 もちろん、それでもやりようはある。が、今回の料理を修が作れば、アレクシアはあくまでも場の提供をする主人という脇に徹した役割になる。すると配役は単純になり、修とゲオルギスの会話が進めやすくなるのだ。

「はぁ……仕方がありません」

 そこまで考えて、ヘンリエッタはため息と共に了承する。

「レクシーが頭を使わなくてもよいというメリットもありますしね」

「そゆことー」

 皮肉を口に下つもりだったのだろう、ヘンリエッタが苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。

「いや、待って。俺、そんな大それた料理なんてしたことない」

 勝手に納得する二人に対して、修は異を唱える。

 修は典型的小市民である、こうした場に適した料理など作ったことは無い。そして男という性別の例に漏れず、彼の料理は大雑把なモノが多い。

 そもそも料理は苦手というわけではないが、自慢できるほど得意でもないのだ。突然話を振られては、異を唱えるのも当然だろう。

「だいじょーぶっ!」

 アレクシアはにんまりと笑った。

「おさむは、これが俺の国の料理だーっ! ってふんぞり返ればいい。まずかろーが、うまかろーが、ものめずらしかったらそれだけでぜんぶチャラだもの」

 これこそが、もてなしとして饗される料理に期待を持たないアレクシアたち独特の考えだろう。

「どうせメインはステーキだしね!」

 彼女たちにしてみれば、最悪、ステーキさえ食べられるものであればいいのである。

「でも……」

 しかし修は、それこそ最大級の勇気で持って告白しなければならない。

 日本の徹底した衛生管理。

 四方が海で、そこかしこに川が走るという海産物の豊富な土地。

 国土の六割以上が山林という自然豊かな環境。

 その環境で育まれた、

「日本は、生食文化なんだ……」

 外人が嫌悪するとまで言われる、独自の食文化のことを。



「たまご、生で食べるんだぁ……」

 アレクシアたちから信じられないようなものを見る目を向けられる。

「いや、日本以外じゃ珍しいのは知ってるよ。それに、産みたての卵の完全洗浄なんて、日本以外じゃ絶対にコスト面でまったく吊り合わないだろうってことも知ってる……わざわざナマモノなんて出さないよ」

 日本人には信じられないだろうが、アメリカでは目玉焼きの半熟ですら危険である。これはアメリカ留学をしたことのある英語教師に教えてもらったことだ。

「そーだといーんだけどねぇー?」

 会談の方針を「修が主役だから、料理は修が作る」と決めてしまっている。アレクシアは疑惑のまなざしを向けながらも、修は屋敷の厨房へと案内される。

「最近は食中毒とか多くてなぁ……まぁ管理がずさんだったからおこったようなことばっかりだけど」

 それでも生食を頻繁に行っているわりに食中毒の割合が低いのは、それだけ衛生観念が高いということなのだろう。

「あたりまえだよー……」

「土地によっては野蛮人と罵られますものね、生で食す、というのは……こちらです」

 ヘンリエッタがドアを開く。

「わぁ、広い」

 修が思わず口にしたとおり、厨房は広かった。

「まぁー、お客さんがいーっぱい来ることあるし、いざってときには炊き出しとかにも使うしね」

「なるほど」

 見回せば、厨房はレンガ造りの四角いかまどや薪オーブンなどが据えつけられた、実に中世然とした容貌だった。案外涼しいのは、屋敷の北側にあって直射日光の入らない場所だからだろう。腰ぐらいの高さのテーブルには、スーパーでは見たこともないような牛肉の塊や、それの付け合せに使うであろう野菜が並べてある。

「アレ?」

「ええ、今回のメイン、牛のリブ肉ですわ。締めてからおよそ十日ほど、さすがに仔牛は私たちの財布からは不可能ですが、そこそこ若いものを選ばせていただきました」

 締めてから十日というのは、いわゆる熟成期間だ。これくらいならば、修の世界でもおよそ一般的なスーパーに並ぶ程度である。

 仔牛であるかどうか、というのはやはり柔らかさだ。老牛では筋張って固く食べ辛いのだから、若いほうがいいのは当然だ。もちろん、若いほど高いが。

「私の要望としましては、もちろんステーキ。無難で、しかし喜ばれやすい」

「俺も凝った料理は無理だし、そのほうが助かるかな」

「ですが、アレクシアの要望としては、修様の国の料理」

「……薄切りにして砂糖で焼く?」

 関西風すき焼きである。

「あまそーだねぇー。食べられるの?」

「醤油――魚醤(ガルム)を最後にかけるんだよ」

「ふぅーん」

 最後に生のとき卵にくぐらせる、というのは黙っておく。

「外人にも人気の料理だけど、まぁ……砂糖は高いだろ?」

「あまり見くびらないでくださいな。砂糖程度、手が出せないわけではございませんわ」

「ボクははちみつのほーが好きだし、ここだとはちみつのほーが安いのは間違いないけどねぇー?」

 でも、と。

「薄切りはダメだなぁ。ケチってるように見えちゃう」

「調理法にも制限があるのか」

「そーだねぇ。あとは、細かく切ってこねて焼いて……」

「ハンバーグ?」

「平民や貧民が、固いクズ肉でステーキを食べた気になるための料理ですわ」

 ハンバーグは十三世紀ごろのものと言われているが、実は四、五世紀ごろに編纂されたローマの料理書にも似たような料理の記述がある。

 それだけ長く愛された料理とも言えるのだが、しかし時代によってはヘンリエッタの言うとおり、クズ肉を使った貧民の料理として嫌われていた時代があったのだ。

「……親戚の子供とか、喜んで食べるんだけどなぁ」

 修にはあまり信じられない話だ。

「おにくは、かたまりをじゅぅじゅぅ焼いて、目の前で切り分けてこそだよ。まぁ、分厚い本みたいに切り分けて、焼いて出す、ってゆーのも、いいんだけどね」

 時代にもよるが、肉をかたまりで食す、というのは一種のステータスなのだ。

 そして肉を男らしく喰らう、それは武家としての闘争本能を表す行動である。貴族向けの刑罰として存在した「生涯食肉禁止」を言い渡されれば、それは武門としての死刑宣告にも等しいことであった。

「正直なところ、修様は料理をあまりしないとのこと。塊を目の前でサーブするような料理は正直、難しいと判断しますわ」

 丸焼きは非常に面倒かつ本当に難しい料理である。

「ですので、先ほども申し上げましたとおり、私の要望としましては、ステーキです」

「ほかにいーのがあったら別にそっちでもいーんだけどねー?」

「ほかにいいの、って……」

 修は肉の前で腕組をする。

「日本の肉料理で好まれるのは柔らかいこと、あと、最近は熟成肉が流行ってる」

「じゅくせー?」

「いい方は悪いけれど、腐りかけ」

「あー、おいしーってゆーね」

 たんぱく質が分解されてアミノ酸となり、うま味成分が増すのだ。アレクシアがそう答えるのも当然だろう。

「牛肉だと、締めてからおおむね二十日ぐらいかな」

「失敗すれば、カビが生えて、腐れますわよ?」

「だから日本じゃ今更流行りだした、とでもいうのかな……日本は高温多湿だから、腐れやすいからね」

 それを利用して、鰹節の表面にカビを生やして熟成させたり、味噌醤油などといった発酵食品が多く生まれることとなったのだが……今は関係のない話だろう。

「……で、柔らかい、という点だけど」

「アテがあるのですか?」

「うん」

 これはある意味、現代チートの一つである。

「切る? 叩く? ワインで蒸す?」

「いや」

 修は、付け合せに使うであろうたまねぎを一つ掴んで、

「たまねぎの消化酵素を使う。シャリアピンステーキ、というふうに呼ばれているヤツで」

「えっと……なに?」

「シャリアピン。まぁ、日本人のフランス料理シェフが発案した料理で……」

 包丁を手にとって、

「俺が教わったのは、中学校の……化学の時間かな」

「なるほど、かがくチートだねっ!」

科学(サイエンス)化学(ケミカル)は分野が微妙に違……いや、まぁいいや」

 説明が面倒くさいわりにアレクシアは理解しないだろうと思い説明を諦めて、修はさっそく、たまねぎをみじん切りにする作業に入った。



    ○



 太陽が中天に昇ろうか、というころだ、

「――こちらでございます」

 ヘンリエッタの言葉で食堂に案内されてきたのは、"時計塔の"ゲオルギウスことゲオルギス。そして、その孫娘にあたる"木苺"ジェニファー。

「時間通り。来てやったぞ、小僧」

 ゲオルギスの服装は、相手を威圧せんばかりに装飾と綿とキルティングで強調された逆三角形のシルエットをしている。青色を基調にしたそれは、まるで中世の絵画に出てくる登場人物のようだなぁ、というのが修の第一印象であった。

「わざわざ、ありがとうございます」

 対して修の服装は、この世界に来たときにきていたスーツである。

 柔道をやっていたせいで市販のスーツに肩が入らないため、一応はオーダーメイドだ。オーダーメイドだけに体に合わせて作られているため、これでも男らしく逆三角形に見えるよう縫製されているのだが、さすがにゲオルギスの"盛った"服装には敵わない。

「お待ちしてました。この屋敷の主人の、アレクシア――アレクサンドラ・アンドリューです」

 いつもより貴族然としたアレクシアは、普段では考えられない、肌の露出の少ないワンピースの、しかも地味目なドレスだ。彼女もあまり"盛って"はいないためか、どうしてもこちらがちっぽけに見えてしまう。

「あー、場違い感ハンパないけど……あたしは血縁上は孫にあたる、"木苺"ジェニファーだ。そっちは、はじめまして、かな?」

 ジェニファーが口にしたとおり、彼女だけは普段と変わってはいなかった。さすがに、自分の得物である"魔獣殺し"は持ってきていないようだが。

「はじめまして。どうぞ、よろしく」

 アレクシアが腰を落とすようにして、一礼。

(……本当に、こいつ、アレクシアか?)

 などと、修が思わず失礼なことを考えてしまうほど、普段のアレクシアからは想像もつかない態度であった。

「どうか、おかけになってください」

 椅子を引いて、修たちと対面する位置に座るようヘンリエッタが促す。

「ふん」

 鼻息荒く、

「わしはこの通り歳でな、顎が弱くて肉は食えんぞ」

 と、まるで威嚇するように吐き捨てる。

「顎が弱いのは本当だけど、じじい、昨日も普通に肉食ってるし、気にしなくていいよ」

「ジェニファーッ!」

「ケンカ腰になるのは酒場の荒くれだけで十分だよっ!」

 ジェニファーが、悪いね、と修に目配せをする。

 修は、仕方ないですよ、と苦笑して返した。

「顎が弱くても大丈夫ですわ。修様が、柔らかい肉を用意してくださいましたの」

 柔らかいとは口にしたが、仔牛の肉とは言っていない。

 勘違いの仕方によっては、修に昨日今日で仔牛のいいところを用意できるほどの財力があるように聞こえてしまうヘンリエッタの詐欺くさい言葉に、修は思わず「はは……」と乾いた笑いを漏らした。

(……本番で、うまくいく保証はないっていうのに)

 修の用意した柔らかい肉――シャリアピンステーキであるが、たまねぎの消化酵素を使うというだけあって、漬け込みすぎると肉がボロボロのパサパサになってしまう。

 はっきり言ってしまえば、正確な時間は教会の時計塔でしか分からないこの世界では、ほぼ勘で作るしかない料理だ。

 ――しかし修には科学の結晶、腕時計があった。

(今のところ、予定通り……)

 ここまでは上手く事が進んでいる。

(……あとは、焼くだけ、か)

 ヘンリエッタから寄せられる厚い信頼に、修は胃がきりきりと痛む感覚を覚えていた。


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