#12
「――教会の時計?」
頭の上から「うん」という声が聞こえる。
「ゲオルギウスの作品なんだけれどね」
「壊れる?」
「そ。けっこう頻繁にねぇー?」
ぽんぽん、と修の頭が軽く叩かれた。そうされるたびに、修の脳裏に「なんで抱かれてるんだろう?」という疑問がよぎる。
単純に根負けしたというのが正解だろう。
「わざと壊れやすくしちゃってさ、定期的に直すの。歯車が割れるなんて、よくある話だしね? だから、よくあるんだ」
手抜きじゃないのか。いや、使い方が悪い……今回の裁判は、そうしたよくある諍いだ。
「大きい?」
「うん、かなり」
「重い?」
「ほとんど鉄みたい」
木ばかりで作れないこともないのだろうが、材料の木を成形するのはよほど手間だし、それを作ることのできる木自体も限られてくる。
修復が多いというのだから、ほとんどが鉄になるのもしょうがないことだ。
「だから、おてがら、だよぉー?」
「そうなのか?」
「うん」
アレクシアはゲオルギスの敵、つまり教会側だ。時計が壊れやすい原因を知れたぶん、諍いの原因について優位に立てるようになった。
「まぁ、しょーじき、決闘にはまーったく関係ない感じだけどね?」
しかし残念ながら、今の論点は「手抜きか否か」だ。もはやこの情報だけで相手に優位に立てるかどうかという段階は既に通り過ぎてしまっている。
「それでも、勝てたら、その後がすごく有利だ。恩も売れる。ゲオルギウスはフォトプロスじゃあそれなりだけど、ペルサキスじゃぁかなり有名だし……おさむがボクのところにきてくれたおかげだよ? ありがと」
「……あんまり嬉しくないな」
政治的な話には、修はついていくことができない。
しかし、貴族が貴族として存在する世界で、貴族が政治的な話を持ち出すということは、それなりにその社会に影響を与えてしまったことだけは、分かる。
たったこれだけで世界のパワーバランスを崩してしまったとは口が裂けても言えないことだが、戻れる"かもしれない"状況で、無責任に影響を与えてしまうのは避けるべきだったのではないか、そう思うのだ。
「おさむの知識は、ボクたちが一生懸命勉強すれば、いずれ分かることなんでしょ? ……ボクはそれを、ちょっとだけ、先取りしちゃっただけだよ」
修の世界でも、素数の知識は紀元前から部分的に存在していたが、本格的な研究は十七世紀まで始まることはなかった。
この世界の学術的な水準を十五世紀と仮定するならば、およそ二世紀も先の知識だ。
「それに、歯車がちょっと上手に作れるようになったくらいで、そんなすぐにお金持ちになれるわけじゃないでしょ?」
「それは……」
ない、とは絶対に言い切れない。
「……たとえば、どんなことに使えちゃう?」
おそらく、それを察しての質問だったのかもしれない。すぐに思いつくものに使えるものがなければ、修も安心するだろう、と。
「…………はちみつ」
「うん。食べたい?」
いや、と否定する。
「ここは、圧搾機で、採ってる?」
「そうだよ」
「一度に取れる量を、五倍以上にできる」
「…………ごめん、なんて?」
「はちみつが、採れる量を、五倍以上に、できる。その機械が、作れる」
遠心分離機によって蜂蜜を採取する方法は十九世紀オーストリアで考案されたのだが。それ以前は巣を圧搾するのが主流であった。
圧搾する場合、当然だが巣に大きなダメージを与えることになる。が、遠心分離機の登場によって巣にはほとんどダメージを与えることはなくなり、かつ、およそ五倍から十倍の蜂蜜を採取できるようになったのだ。
「足し算や引き算、掛け算や割り算が誰でも簡単にできる機械――計算機が作れる」
十七世紀に機械式計算機が数多く製作され、パスカルの原理で有名なブレース・パスカルもこれを製作したという記録が残っている。パスカルがこの計算機を作ったのは徴税官である父の手伝いをしたとき、為替の計算が面倒だったからだという。
「前に話した、バイクや自転車。馬よりももっと速くて、力強い乗り物を、魔法を使わずに、作れる」
バイクや自転車は歯車に負荷のかかりやすいものの筆頭だろう。前の二つは素数の知識がなくとも別に構わない技術だったが、こればかりはきちんとした知識が必要だ。
「ほかにも――」
「わかった! わかったから!」
呆れた、とばかりに「もぉー……」と声を上げた。
「おさむの話、こーやってくっついてないと、怖くてできないよ」
この国はサトウキビを育てられないため、甘味料は蜂蜜が主流だ。その蜂蜜の生産量が突然五倍以上になれば、市場がどれほど混乱することか。面倒くさい計算を誰でも簡単に行える機械があれば、どれほど多くの商人や政治家を出し抜けることか。
そして馬よりも速い乗り物はいくらでもあるが、魔法を使わないものはこの世界にはまだ存在していない。これこそパワーバランスを大きく崩してしまう知識だろう。
普段は頭を使わないアレクシアだが、そんなことも分からないほどバカではない。
「俺も、すごく怖い」
自分の知識が世界を大きく変える。それはよくあるフィクションの天才学者が持つ、大きな悩みの一つだ。それがどれほどの苦悩か、今の修にははっきりとそれが理解できる。
だからこそ、アレクシアがこうして抱きしめてくれていることが、すごくありがたいものに思えた。
「もうちょっと、こうしてあげよっか?」
「…………うん」
おそらく、こうして抱きしめられているから、思わず弱気になってしまったのだろう。
調教されるのだけは勘弁してほしいが、修は意外と、アレクシアの母性に参ってしまっているのかもしれない。
「しばらくしたら、カタリナのトコに行こ? 翻訳したら、なにか、分かるかもしれないし……ね?」
できるならば、早く元の世界に帰ってしまうのが一番いい。
こんな心配をする必要がなくなるからだ。
それができないのなら――
「今すぐ、覚悟なんて決める必要、ないからね?」
「……うん」
まるでアレクシアに何でも見透かされているようで、しかし、修にはそれが嫌とは思わなかった。
○
「もう、いい、の?」
あいまいな笑顔を浮かべて答える。
「なら、いい、けど……」
カタリナは左手に翻訳したい小説を持ったまま、右手からぼんやりと蛍のように明滅する光の粒をいくつか飛び立たせて、体の回りに浮かべた。
「――ふはっ!?」
同時に、アレックスがおかしな声を上げる。
「あの、カタリナ様? 儀式なしは、少々、心臓に悪いのですが……」
魔術は儀式や呪文でもって安全性を高めなければ、暴走事故の可能性が飛躍的に高まるのだ。
そしてカタリナクラスの魔術師ならば、町一つ吹き飛ばすことぐらい容易い。
そのため、先ほどのカタリナのように儀式なし無詠唱での魔法行使は、アレックスがおかしな声を上げ、ヘンリエッタが苦言を呈す程度には不用意であった。
「……クセで、つい」
「まぁー、なんでも横着したくなるよねぇー?」
「一応、法で定められていますし……町一つ消し飛んだ、なんて冗談にもなりませんわ」
「それは、怖いな」
ガスボンベの近くで、無用心にタバコに火をつけられたような。そんな想像に、修も寒気を感じる。
「以後、注意、すると、して」
カタリナが嬉しそうに、そして若干興奮したように。修にその小説を差し出した。
「だいじょう、ぶ?」
「……ええ、大丈夫です」
それを読むのに若干の恐ろしさこそあるものの、修は意外なくらい、それをすんなりと受け取っていた。
「ボクがいっぱい慰めてあげたからねぇー!」
「……レクシー?」
「あはは。ヘティが心配するよーなことはなかったよー?」
「どうだか」
どういう心配なのかは、まぁ、修にも想像がつく。
「兄弟は娼婦要らずで羨ましいなぁ」
「お前ぶん投げるぞ?」
心の底から羨ましそうに声を上げたアレックスをひと睨みして、修はカタリナの傍に座る――と、アレクシアが唇を尖らせた。
「おさむ、ボクの隣じゃ、嫌?」
「翻訳するから、原文は、読みやすい位置のほうがいいだろう?」
「それもそーか。じゃ、ボクはここ、座るねぇー?」
納得したように、しかし当然の如く、そして強引に修の隣へと座る。二人ならばゆったりと座れるソファーは、やはり三人ともなればいささか窮屈だった。
そしてアレックスがまたぞろ「色男よなぁ」と呟いたが、睨んでもさっぱり懲りないアレックスはもう無視することにした。
「書き出し、は?」
「えっと……私は、つまるところ、転生者である」
「――最期の、言葉と、同じ……」
うっとりとした声が出る。
きっと長く追い求めてきたものの答えを聞いて、恍惚としてしまっているのだろう。
「今わの際にそう言ったんだってさ」
親族らは、遺産に関する話かと耳をそばだてていたらしい。
「はじめ、は、暗号、だと、思われてね……」
「がっくりと来たらしいですわね」
「そーらしいねぇー」
「相続は生前に行っておくべきだろうに」
「終わらせたからこそ、ですわ」
「隠し財産、みたいな……」
思わず「どれだけ儲かっていたんだ……」と妙な勘繰りをしてしまった。
「そんな、ことより」
はやく、続きを――カタリナが完全に密着するほどに迫る。
「おさむぅー?」
やわらかいふたつのものに挟まれて、思わず鼻の下が伸びてしまったらしい。笑顔のアレクシアになにやら怖いものを感じ、慌てて小説のほうに視線を落とした。
「えーっと……私は、日本の北海道生まれで……いわゆる、道産子で、ある」
コンサド、とは道産子を逆から読んだだけだということは気付いていた。サッカーチームに、似たような名前のものがあったからだ。
「私は、しがない言語学者であった。新しく言葉を覚えるのが苦痛ではあったが……って、ただの手記ですね、これ」
赤ん坊時代は身動きが取れなくて不便であった。なまじ言葉を知っていたからこそ、言葉を覚えるのが大変だった。知遅れと思われたりして苦労した。精神が老人だったので、周りから浮いていた。そのせいでイジメがあった……、
「しかも、ほぼ愚痴ですね」
数ページに渡り、自分の半生で溜まりに溜まった愚痴が綴られていた。
「それは、また……」
「……うぇー」
「聞くに堪えんなそれは」
「すごい、価値……!」
おそらく学者だからこそその価値が分かるのだろう。アレクシアたちが嫌そうな顔をするなか、カタリナだけが、目をキラキラとさせている。
「えっ?」
認識の違いに思わずカタリナ以外が声を上げ、
「え……?」
そしてカタリナも自分との認識の違いに思わず声を上げた。
「……価値、すごく、ない?」
「ああ……まぁ、確かに。こういうのは、歴史家がよく参考にしている、と聞いたことがありますし」
「でしょう?」
「……そうなんですの?」
「ボクが知るわけないじゃん」
「ですわね」
「ちょっとぉー?」
「俺には聞かんのか……まぁ、知らんのだが」
話が通じるのは、修とカタリナぐらいだ。
一人だけ、ハブにされたアレックスがしょんぼりと肩を落とす。
「でも、そうすると……これ、ちょっと不味いんじゃないですかね?」
ようするに、悪口やら批判やら、ともすれば闇に葬られた当時の実状なども乗っているかもしれないと、カタリナに問いかけた。
実際にそれほど深い闇を抱えている手記とは思えないが、念のためだ。
「だい、じょうぶ。私が、責任を、もって、管理、する」
「そうですか」
「どうせ、ぜんぶ、見てきた、し」
――いったい幾つなんですか。
思わず口に出してしまいそうになったが、複数の意味で聞くのが怖くて、修は返事の言葉すら飲み込んで、黙ってうなづく。
「管理するっていわれても、おさむは、あげないよ?」
「……けち」
管理対象に修自身が入っていたようで、頭越しに、まるで犬猫の親権のようにやり取りされる。その相手が女とはいえ、修は複雑な心境だった。
ついでにアレックスのにやけ顔がムカつくので、いい気にもなれなかった。
○
『おおぉおぉぉ………………!』
アレクシアの苦しげな唸り声が聞こえる。
翻訳の途中で突然「おさむ、出てって!」と怒鳴られたときはどういうことかと思ったが――どうやら、食あたりか何かだったらしい。
屋敷の外、庭でカタリナの照明に照らされた修は、その唸り声がいまだ聞こえるこの場所にいることに対して、何か申し訳ない気分になってしまった。
「大丈夫かな……」
「ん?」
追い出されたのは修だけだったのだが、つられて外に出たアレックスが、修の呟きにすぐさま反応して空を見上げた。
「暗殺者の星が見える」
本当に空を見上げるだけなんだ、と思いながら、
「どういう意味だ?」
そう問いかけた。
「直球に、忍び寄る厄災の暗示だな。死の予兆としても出るが、その時はもっと輝きが強いから……まぁ、今回はせいぜい二、三日といったところか」
アレックスは、ただちに命に危険はないと断言。
「それにここには、カタリナ様がいるしなっ!」
アレックスは、同じく釣られて外に出てしまったカタリナのほうを見た。
「……食あたり、は、ちょっと、無理」
「なんとっ!?」
「悪いの、出さないと、身体に、悪い……治せなくは、ないけど」
「治せなくもないんですか……」
「まる、一日、安静に、してくれる、なら」
たった一日安静にすることを条件に、今すぐ治すこと自体はできるらしい。
修は改めて、魔法のチートを思い知った。
「でも、そうしたら、どうしましょう……」
なんで彼女まで外に出ているのだろう、という疑問はさて置き、ヘンリエッタが困ったように呟く。
「明日は、決闘、ですのに……」
「あっ」
決闘の代理人は、アレクシアの大事な収入源の一つ。
これを受けないと、アレクシアはとうぶんスープとジャガイモというわびしい食生活になってしまうらしいことは、修たちが帰ってきたときにヘンリエッタが言っていた。
「代理人の、代理人か……?」
果たしてそんな事が可能なのか、修は、ヘンリエッタに問いかけるような視線を送る。
「ええ、可能ですわ。当日に、予定していた代理人が代理人として立てない、それもまた、神の思し召しですもの」
あくまでも、神に全てを委ねる。それが神明裁判だ。
当日に代理人として立てなくなる程度で止められるようなものでもないし、代理人の代理人が立つということもまた、よくあることだ。
「じゃぁ、私、が……」
「カタリナ様はダメですわっ! 戦争が始まってしまいます!」
「そんな、大げさ、な……」
「失礼ですが、カタリナ様、決闘で相手を殺さないように手加減できます?」
「……ごめん、なさい」
決闘で命を落とすことはある。
落とすことはあるが、わざわざ命を奪うようなことをしてはならない。でなければ、意図して人を殺すために決闘を申し込む者が一定数は出てきてしまうからだ。
決闘で相手を殺せば、最悪、死刑もありうるという。
「赤毛の方は?」
「――良くぞ聞いてくれたっ!」
アレックスが突然、ポーズを取る。
「我こそはスクリーヴァ領バクスター村の占星術師にして、村一番の金剛無双! アレクサンドロス・バクスターである!」
「……それで、勝つ自信はありますか?」
「なに、倒れなければいいのだろう?」
「金剛無双ってそれ、タフってだけですのっ!?」
「ケンカで負け無しなのは本当だぞ?」
「ええい、聞いた私がバカでしたわっ!」
「なんとっ!?」
決闘はおおむね先に血が出たほうが負け――ファストブラッドという形式をとる。
一見して危険なように聞こえるが、血を出すためにちょっと引っ掻いたり擦りむかせたりすればいいだけだから、イメージに反して意外と負傷の少ないルールなのだ。
金剛無双とはすこぶる相性の悪いルールでもある。
「……修様」
「へ、ヘンリエッタさん自身は……?」
「酷いですわっ! 私は文官ですのよ!! 言っておきますが、私、表の街道をちょっと走るだけで倒れますわよ!?」
戦闘力が低い云々よりもまず、絶望的に体力がないらしい。
「修様は、格闘技を少々たしなんでおられると、仰ってましたわよね?」
「――だ、ダメだヘンリエッタ嬢っ! 兄弟は、ダメだ!」
突然思い出したかのようにアレックスが声を上げる。
「兄弟は……教会の暗部の人間だ……っ!」
「ちょ、おま、お前本当にぶん投げっぞ!?」
「な、なんですって……っ!?」
「ヘンリエッタさーん!?」
「そん、な……まさ、か……!」
「カタリナさんまでちょっとー!」
アレックスの衝撃発言(?)にヘンリエッタはよろめき、カタリナは愕然としたようすで、立ちすくむ。
「どう収拾つけりゃいいんだよ、これ……!」
そして修は、つらい頭痛を我慢するように、頭を抑えた。




