第2話:コーヒー
「なんだ、この犬小屋は」
職員室へ赴き、教職員に挨拶を済ませ、理事長室へ案内されての第一声がコレだった。
案内役の、頭の薄い数学教師は眉をピクッと震わせたが、すぐに安っぽい笑顔を作り、
「皇堂様にとっては少々窮屈に感じられる部屋かもしれませんが、何卒ご容赦のほどを……」
表面上は笑顔だが、隠しきれない怒りの感情が俺に伝わってくるのが笑えるね。
そんな数学教師のオーラも露知らず、皇堂は、私は己の裕福さを他人にひけらかすような卑しい人間ではないので全く気にしていないぞ、などと火に油を注ぐようなことを言ってやがる。
それにしても、無駄に立派な名前だな、とは思っていたが、コイツは本当にどこかの大会社の社長令嬢か何かだったのか。
でも、何故そんなヤツが、しがない私立の理事長なんかに就任したんだろうか。金持ちの考えることは理解できんな……
俺が自分とは縁遠い人種について思いを馳せていると、いつの間にやら数学教師が退散していた,
これ以上、ここにいると理性が消し飛んでしまう、と判断したのだろう。賢明な判断だ。
「さて、お前。荷物の整理をやってくれ」
皇堂がいきなり切り出す。
「整理だと?」
「そうだ」
俺は部屋を見渡す。
教室よりは遥かに広い部屋に、所狭しと積み上げられるダンボールの山。何箱あるのか数えるのも面倒なぐらいの量だ。
よく見ると、ダンボール1箱1箱に内容物の品目が書かれてあった。
本、書類、CD、DVD、コンポ、テレビ、冷蔵庫、クーラー、簡易コンロ、固定電話、鍋、レトルト食品、パソコン、家庭用ゲーム機、マンガ、同人誌、プラモデル、フィギュア、ポスター……
……明らかに、高校の理事長室には相応しくない代物が大量に紛れ込んでいるように思うのは俺だけなのか。というか、ここに住み着くつもりのなのだろうか。
「あれを全部俺1人で片付けろってのか?」
当然の疑問だった。
「当たり前だろう。私はか弱い可憐な女性だ。重労働をするような体の作りはしていない」
こちらも当然とばかりに、アホなことをほざいてやがる。
「こんな大量の荷物、俺1人で片付けれる訳ないだろう!?何時間かかると思ってるんだよ!」
皇堂は面倒くさそうに返事を寄越してきた。
「だから早く取り掛かれと言っている。さっさとしないと日が暮れるぞ。」
尻を蹴り飛ばされる。
「お前な!さっきから何様のつもり……」
「信号無視に住居不法侵入。職員会議に掛け合ってみればどうなるんだろうか。生活指導の名の下に、とても放送できないような恐ろしい拷問が与えられるかもしれんな。いや、それだけでは甘い。皇堂家の名を使えば、社会的に抹殺してしまうなど容易いか……」
……脅迫のつもりなのだろうか。
信号無視に住居不法侵入がそんな大罪に値するとは初耳だが。
適当に聞き流しておくのも1つの手ではあったが、俺はそうしなかった。
何故かって?
皇堂の眼がマジだったからさ。
コイツはマジメにそう考えているのだろうし、それを可能にするだけの権力も持っているらしいことは先ほどの会話から想像できた。
厄介なヤツに関わっちまったもんだ。厄日だな、今日は……
「はぁ……やればいいんだろ、やれば」
すると、皇堂はニッコリと外見だけは天使のような微笑で、俺に1枚の紙を渡してきた。
「それじゃあ、まずはダンボールの開封。それから、この見取り図の通りに物を配置。電化製品はコンセントに繋ぐのを忘れずにな。その後、この部屋でインターネットとオンランゲームが出来るようにしてくれ。それが済んだら、食料と飲み物の買出し。あ、私は炭酸が大嫌いだから、気をつけろよ。私の好物はブラックのコーヒーだ。よく覚えておけ」
突っ込みどころ満載ではあったが、俺はあえて無視して、生返事を返しさっそく手近なダンボールの開封に取り掛かった。
ダンボールを開ける、内容物を取り出す、見取り図の通りに配置する――この作業を繰り返すこと8時間。
ようやく最後のダンボールが空になった。
言うまでもないだろうが、皇堂は最後まで何一つとして手伝おうともしなかった。
予想外のダンボールの密封強度に悪戦苦闘している俺の横にちょこんと座って、マンガを一心不乱に読み耽っていた。
その姿はなんだか……いや、何でもない。
兎にも角にも、引越しは終わり、俺はギシギシと鳴る体を労わるように揉み解す。
(こりゃあ、明日はヒドい筋肉痛に悩まされるだろうな……)
などと、考えながらしばらく呆けていると、背中に何か硬いものがぶつかった。
振り向くと、1本のコーヒー缶が転がっていた。
その先にはマンガを読んでいる皇堂の姿があった。
「報酬代わりだ。ありがたく受け取れ」
報酬もなにも、コレは俺が買ってきたコーヒーじゃないか。
俺は声には出さずに心の中で呟いた。
その時の皇堂の姿を見ると、突っ込むのは邪推に思えたからさ。
マンガ片手でいかにもついでとばかりに言い放った皇堂だったが、微妙に顔が朱に染まっている。
傲岸不遜がモットーみたいなコイツにも照れという文字は存在するんだな……などと俺が感動していると、
「帰る」
と言い、皇堂はマンガを放り出し、ドアへと向かって歩いていった。
ドアノブに手を掛けると、こちらを振り返らず、
「この辺りで美味しいフランス料理店はあるか?」
と尋ねてきた。
俺は意地でもこっちを見ようとしない皇堂が可笑しくなり、笑いを堪えながら答えてやった。
「美味いかどうかは知らんが、駅前に高そうな店構えの洋食屋があるぞ。」
皇堂は一瞬こっちを振り向くと、信じられないセリフを呟いて部屋から出て行った。
俺は一瞬呆気に取られた。
皇堂は、確かにこう言った。
「ありがとう」と。
夕焼けに照らされる皇堂の顔は、なんだかとっても可憐で美しく映っていた……
と、そこで再びドアが開いた。
「言い忘れたが、明日の朝6時にここに来てくれ。書類仕事を手伝わさせてやる」
……前言撤回。皇堂は、可憐でも美しくもない。