プロローグ
よく、心の傷を癒すのは時間だけだ、という。
よく、失恋の傷を癒すのは新しい恋だけだ、という。
私はどちらも信じていない。 なぜなら、私が癒されていないから。
今でも時々、彼を思い出しては胸がきゅるりと痛くなる。
フランス文学史についてしゃっべている、フランスがまるっきり似合わないハゲワシ教授のノッペリ
した声が私の耳を駆け抜けてゆく。手は機械的に黒板を写していた。
首をぐるりと360度回転させる。
がりがりという音が本当に聞こえてきそうなくらいに、ハゲワシの言葉を書き写している学生たち。
鏡をみて、マスカラをこれでもかというほどぬっている女子。
どこかのイケメンアイドルの雑誌かなんかを見て、きゃあきゃあ騒いでいる女子たち。
無意識に彼を探している自分に気づき、自分に対して溜息をついた。
(まったく、こんなところにいるわけないのに。)
この世にいるかどうかも分らないのに、いく先々で目が勝手に彼を探す。
「はるっ」
晴実という名前を縮めて、私を呼ぶ声が頭の中でフラッシュバックする。
よく通る、透きとおり、まるで水のような、私が今まで一番綺麗で、大好きな声だった。
好きなアーティストも一緒で、映画もアニメも色も同じ。
少女漫画並に一緒だった。
よく似合う濃い空色や、ミント色、私の好きな茜色のTシャツを着ていて、小さい子供たちと走り
まわっていた彼が好きだった。
もう4年も前のこと。
忘れたくてしょうがないほど苦しいのに、忘れようと思う度、記憶という名の水がたっぷり入った
ビニール袋に穴を刺したように、司さんとの記憶が頭の中に零れてゆく。
当時クラスメイトだった女子までもが「晴実とあの人ってお似合いだよねー」
という程私たちは素晴らしいカップルだったのだ。
司さんは23歳で身長は170cm。韓国の俳優のだれかに似ていると、うっとりした目で話してい
る主婦を見たことがある。
私はその時17歳で、165cmだ。一般的にみればまあまあの美人でスタイルもよかった。
男子に告白されたことも数えきれないほどある。
一度も良い返事をしたことはない。
晴実は理想高すぎだよ、とよく友達にいわれたものだ。
それこそ美人の特権でしょ、と切り返したら、ひんまがってるわねぇと苦笑された。
いつの間にか、ハゲワシの講義は終わっており、それぞれ荷物をまとめていた。
いそいでノートを写し、支度をして外にでた。
見上げると、空はすっきりと晴れ渡っていた。
「今日は司さん色ね。」
ひとりつぶやき私はいつものお店に向かった。