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序
その男は、物心ついた頃から美しいものが好きだった。
何故だか解らない。
絹の唐衣、庭の杜若、暮れなずむ夕日、黒髪の姫君。
これらの美しさにはいつか終焉が訪れる。
だからこそ、一層「あはれ」と感じた。
やがて、愛づる気持ちが執着に変わるのに、そう時間はかからなかった。
もっと美しいものに近付きたい。
それらを我が手に納めたい。
行き場のない情念は、歌にすることで抑えつけた。
積もる欲望とは裏腹に、歌は雅事を好む都人に認められ始めた。
歌に篭った情感が非常にあはれだと人々の心を打ったのだ。
気がつけば、「あはれの歌仙」と呼ばれていた。
けれど、男の心は満たされることがなかった。
それどころか、人々の期待に答えなければならないという重圧が男を苛むようになっていた。
次第に自分自身が俗物に汚されていくような気分に蝕まれていく。
男は渇望した。
真のあはれを我が手に……!




