一 拐(かどわ)かされた姫君
その日、陰陽頭・安倍吉昌の元に、藤原中将が娘・明姫に仕える随身がひとり血相を変えて駆け込んで来た。
「陰陽頭殿……っ、安倍吉昌殿はいらっしゃっいますか!?」
随身が息も絶え絶えに声を張り上げていると、母屋の奥から吉昌が怠そうに現れた。
「……何だ?騒々しい」
白い狩衣を纏い、烏帽子を着けず長髪をさらりと流した吉昌は、どこか人間離れした美しさがあった。
随身は男だと思いながらもどぎまぎする。
「し、失礼します!某、明姫様にお仕えしている者です!」
随身は勢いよく頭を下げると、すぐにばっと顔を上げて吉昌を懇願するように見た。
「実は吉昌殿にお頼み申したいことがございまして……!」
随身は慌てながらも、どこか落ち着きなく視線をきょどきょどと動かす。
「……何だ?」
吉昌が先を促すと、「はっ!」と随身が恐縮したように言葉を続けた。
「じ、実は……我が主、明姫様が掠われてしまったのです!」
随身が泣きそうに眉をゆがめる。
「明姫が……?」
吉昌は先日会ったばかりの明姫の姿を思い浮かべた。
朱色の妖刀を持ち、軽快に刀を捌く男装した姫君。
否、「男装」では無い。
それこそが、都の男達の注目を集める美姫の正体なのである。
明姫は誠の名を真明と言った。
その偽りの姫君が何者かに拐かされたというのだ。
「……姫を拐かした者は分かっているのか?」
吉昌はさして慌てた様子もなく尋ねた。
随身はこれには少々面食らった。
「は!それが……天狗……なのです」
随身は自分で口にしていることが信じられないように、首を振る。
「天狗?」
「はい!我々が明姫様達と連れだって紅葉狩りに北の山を訪れた時です。突然若い天狗が表れて、疾風の如く明姫様を奪い去って行ったのです!」
随身は頭を抱え、ぶるぶると震えた。
「某、天狗を見たのは初めてです!我々随身も、家隆様も全く歯が立ちませんでした。吉昌殿、どうか、どうか姫様を……!」
随身の手前口にすることはしなかったが、吉昌はあの真明が簡単に妖にどうにかされることはないだろうと思った。
むしろ、あっさり天狗にさらわれたことに半ば呆れながら呟く。
「何をしてるのだ、あの者は……」




