八 揺るぎないもの
「……裏切られた復讐のために人間の男達の魂を食ってきたのか?」
「黙れ!!」
吉昌に正体を暴かれた蓮花は、絶叫した。
霧がさざ波のように蓮花から広がり、周囲を靄が包み込む。
「……!?」
ふいに真明を心地良い眠気が襲い、その誘惑に身を委ねそうになる。
半ば夢心地になりながら、真明はがくりと膝をついた。
「はははっ!どうだ?この快楽には逆らえま……」
蓮花の高笑いを遮るように、藤色の袿を纏った女が靄の合間から現れ、舞うような優雅な動きで蓮花を叩いた。
蓮花は後方へと吹き飛ばされる。
「なっ……!?」
「おいたはあきまへんえ」
吉昌に召喚された式神・藤はにっこり笑うと間髪入れずに第二撃を繰り出した。
「ぐぁぁ……っ!!」
蓮花は床へとたたき付けられる。
同時に靄は消え去り、真明は呪縛から解放された。
「何故動けた……!?」
蓮花は態勢を立て直しながら、印を組む吉昌を睨み付けた。
「……男を操る術は私には効かぬ」
吉昌は淡々と答える。
蓮花は舌打ちをすると、みるみるその姿を豹変させた。
髪はうねうねとそれ自体が意思を持っているようにうごめいている。
眼は黄色に光り、肌という肌は苔色に変色し、鱗がぬめりと並んでいた。
鋭く尖った歯がびっしり並んだ口からは細長くなった赤い舌がちろちろと覗いている。
「……っ!避けろ!」
吉昌の声に合わせて、真明が飛びのく。
二人が立っていた場所に蓮花が裂けた口から水を吹き付けた。
床はじゅっと音をたて焼け爛れた。
「陰陽頭殿……!これは……!?」
「……毒だ。触れればただでは済まぬぞ」
蓮花は藤の攻撃を器用にくぐり抜けながら、吉昌に突進し、またも毒を吹き掛ける。
「真明、その剣であの絵巻を貫け」
吉昌は蓮花の追撃を回避しつつ、床に転がった絵巻物を示した。
真明は頷き、朱色の刀を握りしめ絵巻物へと向かう。
「させるかぁぁっ!!」
蓮花は方向を変え、真明に襲いかかった。
「藤!!」
「あい」
藤が躊躇なく蓮花を蹴り飛ばす。
ささっと裾を整えながら、藤は相変わらず余裕の笑みを浮かべていた。
「あんさんの相手はうちどすえ」
「人間に使われる分際がぁっ!!」
蓮花は猛り狂い藤に攻撃の矛先を変えた。
その隙に真明は赤い刃を絵巻物に向けて垂直に構える。
絵巻物の中で男たちの魂を宿した実が悲痛な面持ちを浮かべている。
木の幹にも苦悶に歪む男の顔があった。
「安らかに眠って下さい」
祈るように呟くと、真明は思い切り絵巻物に刃を突き立てた。
『おおぉ……ぉお……お』
突風が絵巻物から巻き起こり、男たちの怒号が辺りにこだました。
次々と黒い影が放たれては虚空へと消えていく。
最初に絵巻物を拾った旅人、その後次々と絵巻物の所有者となった者たち。
絵巻物に捕われていたそれらの魂が解放されたのだ。
「やめろぉぉぉっ!!」
蓮花の絶叫を余所に、最後には法師の形に見える影がゆらりと絵巻物から現れ、煙のように空中に溶けていった。
残された絵巻物から木の絵は失くなっている。
「貴様らぁっ!!」
蓮花が藤を振り払い、吉昌に飛び掛かる。
吉昌が呪文を詠唱しながら、懐から筆と絵巻物を取り出した。
「急急如律令!!」
吉昌が声高に唱えると、糸に絡めとられたかのように蓮花の動きがぴたりと止まる。
「ぐ……、貴様……!!」
蓮花がもがき喘ぐ。
「蟒蛇、お前を再び絵巻物に封印する」
吉昌は手に持った巻物をさっと広げ、藤が片端を引き、支えた。
吉昌が握る柄から房の部分まで黒い筆がほのかに光を帯びている。
「嫌だ……!」
一瞬、蟒蛇の姿が人間の乙女へと変わり喚いた。
そして、吉昌がひと呼吸おき、筆を走らせようとしたその時だ。
「やめろ、吉昌!!」
いつの間に自由を取り戻したのか、俊道が蓮花をかばうように立ちはだかった。
「と……しみち……様……」
金縛りにされた蓮花が呻いた。
蓮花は驚きに黄色に濁った双眸を見開いている。
その姿は、人間の乙女の顔立ちの中に薄く蛇の片鱗を残していた。
「退け、俊道」
「退かぬ!」
俊道が吉昌を睨みつける。
吉昌は語調を強めた。
「その女は蟒蛇だ。お前の魂をも食おうとしたのだぞ?」
「構わぬ!蓮花に食われるなら本望だ」
俊道は怯まずに言い放った。
蓮花が小さく息を飲むのが聞こえる。
「俊道……様……?ど……して?」
「蓮花、愛する者を守るのに理由はいらぬのだ」
吉昌がため息を吐く。
「その蟒蛇は人間の魂を喰らい過ぎた。もはや人間の魂を食わなければ生きられぬだろう。人間に害を為す以上放ってはおけない」
「しかし、人間だとて……」
「確かに、獣の世界の理に倣うならば弱肉強食だといえるだろう。だが、人間を守るのが私の役目だ」
吉昌と俊道の視線が交差する。
俊道が覚悟を決めたように、唇を結んだ。
「ならば、私も蓮花と共に封印してくれ」
「え……!?」
真明が思わず声をあげる。
吉昌も意表をつかれたように俊道を凝視していた。
「……何故そこまでする?」
「蓮花を愛しているからだ」
「一時の感情に流されるな。綺麗事を並べたところで後悔するぞ」
「そうではない、吉昌」
俊道は膝を折り、そっと蓮花を抱きしめた。
術のせいか、或いは次の動作が思い付かないように蓮花は硬直している。
「蓮花は……逢瀬を重ねている間もずっと寂しいと叫んでいるように見えた。私は彼女の傍にいて、少しでもその哀しみを軽減したいのだ。例え呪いによって虜にされているのだとしても、私はいっこうに構わぬ」
蓮花がはっとしたように顔をあげた。
「俊道様……あたくしは……」
「蓮花、そなたの真実がどうであったとしても、傍にいたい。これは私の我が儘だ」
吉昌が再度ため息をついた。
「……理解に苦しむな」
「吉昌、お前はお前の正義を貫けば良い。私は私の信念に従う」
俊道は蓮花を抱きしめながら、吉昌を見つめた。
俊道の狩衣に顔を埋めた蓮花の瞳から涙が零れ落ちる。
「……本当に良いのだな?」
「頼む」
「今ならまだ戻れるが」
「私を誰だと思っている?恋に生きる男、だぞ?」
俊道が笑った。
「一生に一度の恋をしたのだ。命をかけるのも悪くない」
吉昌は頷くと、筆を握りなおした。
すうっと息を吸い込むと、すらすらと巻物に筆を滑らせていく。
模写が進むにつれて、抱き合った俊道と蓮花の姿がほのかに輝き、薄くなっていった。
間もなく、吉昌の写生が終わりを迎える。
完全に消え去る寸前に、俊道が吉昌に微笑んだ。
「ありがとう」




