四 顕現
小野俊道は、今だ立ち込める蒸し暑さに帳台で寝返りを何度も繰り返していた。
(眠れぬ……)
今夜はやけに目が冴えている。
昼間、吉昌の屋敷を出た後も幾人か術者の元を訪ねたが、誰ひとりとして絵巻物の乙女をこの世に現すことが出来なかった。
俊道は自分の隣に寝かせた絵巻物をそっと撫でた。狂おしいため息が漏れる。
(やはりこの恋を添い遂げることは難しいのだろうか……)
これまで数多の女人と恋を楽しんできた俊道であったが、このような気持ちは始めてだった。
絵巻の乙女のことを想うだけで、どうしようもなく胸が苦しい。
正直、自分でも意外だった。
先日亡くなった友人の形見として受け取った絵巻物に、ここまで心を奪われるとは。
(嗚呼、夢でも良い。この乙女を抱きしめられたなら……)
俊道がそう心の奥で祈った時だ。
ふぅっと、耳元で微かに呼吸の音がした。
「……?」
怪訝に思い起き上がってみると、絵巻物がことことと、風に煽られたように揺れている。
やがて、絵巻物はひとりでに赤い紐が解かれ、くるくると広がった。
「これは、何としたことか……!」
呆ける俊道の前で絵巻物からふわりと甘い香りの靄が立ち上った。
靄はみるみる人の姿をとり、やがて俊道が恋い焦がれて止まない乙女が現れた。
描かれたままの美しい姿で、俊道に笑いかける。
「お逢いしとうございました」
艶やかな唇から、小鳥のさえずりのような軽やかな声音を乙女が発した。
「これは夢か……?」
辺りにはいつの間にか、絵巻に在ったような霧が立ち込めている。
俊道は興奮に震える手で乙女の頬に触れた。
乙女の肌はひんやりと冷たかったが、確かに感触があった。
「貴方様が強く呼んで下さったから、あたくしはこうして絵図から出てこれたのですわ」
乙女はそっと、頬にあてられた俊道の手に自分の手を重ねる。
俊道はぐらりと目眩を覚えた。
「誠に……?」
「ええ。あたくしも……貴方様をお慕い申し上げているのです」
乙女は頬を染め、はにかんだ。
俊道は胸の高鳴りを抑え切れず、乙女を引き寄せ、抱きしめる。
「……あ……」
「嗚呼、夢でも構わぬ!私はそなたにこうして触れたかった」
俊道はかつてないほどの熱意をもって、乙女を抱く手に力をこめた。
乙女も恥じらいながらも俊道の背中にその細い腕を回す。
二人は静かに口づけを交わした。
「……そなた、名は何という……?」
俊道が余韻に浸りながら尋ねた。
乙女は目を伏せ、困ったように笑う。
「あたくしには、貴方様にお教えできるような名前がございませんわ」
俊道は優しく乙女を見つめた。
「では、貴女を蓮花の君とお呼びしよう。その絵巻の泉に浮かぶ蓮の花のように可憐だから」
「ああっ、俊道様!嬉しゅうございます。ずっとお傍におりますわ」
半蔀から差し込む月明かりが、新たに生まれた恋人たちを照らし出す。
だが、月光が壁に映し出す影は、俊道のものしかなかった。




