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陰陽の如く  作者: とうご智
【第三章】 左近衛少曹、後神に引かるる語

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四 後神(うしろがみ)



都の人々が寝静まった子のねのこく、吉昌と真明は左近衛少曹・橘惟次の屋敷を訪れた。


惟次は萎縮しつつ、自ら出迎えた。

不思議そうに真明を見る惟次に、吉昌は自分の弟子だと説明する。


「それはそれは……!ささ、どうぞ、奥へ」


二人は惟次の後に続いて台盤所廊だいばんどころろうを渡り、北対きたのたいへと足を踏み入れた。


帳台に吊された布の奥から、微かな寝息が聞こえてくる。


惟次の北の方・秋野だ。


「まだ、何もおっしゃってませんね」


真明が声を潜めて確認した。


「……しばし待つ」


吉昌はぽつりと告げると、秋野を見張るような形で床に腰をおろした。


真明と惟次もそれにならう。


「あの、吉昌殿……。妻は……秋野はどうなのでしょうか?」


惟次が心配そうに帳台と吉昌の顔を見比べる。


「……」


吉昌は無言のまま、帳台を見つめ続けた。


「ご心配されなくとも、きっと陰陽……師匠が何とかしてくれますよ」


オロオロと狼狽している惟次を真明が小声で励ます。


それでも惟次は不安を拭い切れないのか、膝の上で握りしめた拳がかすかに震えていた。


緊張感が張り詰めたまま、時間が刻一刻と過ぎていき、気が付けばうし四つを回っていた。


秋野は相変わらず安らかな寝息をたてており、寝言を言う気配はない。


さすがに睡魔が真明を襲い始めた頃、吉昌が静かに立ち上がった。


「吉昌殿……?」


惟次が不安そうに見上げるなか、吉昌は懐から香炉を取り出し、香をくべ始めた。


「……私はこれにて退散する。この香には破魔の力がある。ひとまず、今夜はこれで大丈夫だろう」


室内に甘く、それでいて酒のように芳醇な香りが広がった。


「し、しかし……っ」


このような時刻まで付き合わせたことを気に病んでか、惟次は吉昌を止めようとして言い淀んだ。


「で、では、外までお見送りを……」


「それには及ばない」


二人のやり取りを見守っていた真明に強烈な眠気が押し寄せる。

それを何とか気力で押し止め、その場を去ろうとする吉昌の後を追う。


「惟次殿は北の方についててあげて下さい」


真明はそう言って振り返ったが、惟次の目も心なしかとろりとしていた。




橘惟次宅を出た吉昌と真明は、しんと静まり返った朱雀大路を並んで歩いた。


月は霞みがかっており、都の闇はいつもに増して深い。


「惟次殿は……何というか、近衛府にしては腰の低い方ですね」


真明は、惟次と同じく近衛府に務める厳格な父と、いつも威張り散らしている兄を思い出しながら言った。

そういえば、以前兄が惟次のことを臆病でうだつの上がらない男だと、耶喩混じりに愚痴を零していた。


「……」


吉昌は手に松明を持ち無言で歩く。


真明もそれ以上言葉は口にせず、しばし完全な沈黙が辺りを支配した。


ふと、松明の炎が揺れる。


真明が吉昌の松明に視線を向けると同時に、後から真明の一房に束ねた髪が引っ張られた。


強い力ではないが、数回呼び掛けるように繰り返される。


「?」


「振り返るな!」


真明が背後を確かめようとするのを吉昌が制止する。


「……後神だ。振り返れば命は無い」


吉昌の言葉に真明は息を飲み、前方を見たまま懐の護刀を握りしめる。


吉昌が口の中で転がすように呪文を唱えた。


突然、吉昌の肩が掴まれ、強引に振り向かせるように勢いよく引っ張られる。


「……急急如律了キュウキュウニョリツリョウ!!」


ぱあぁぁぁん!!!


流れに任せて振り返ると同時に吉昌は力強くまじないを唱え、閉じた扇で肩を掴んだ何者かを振り払った。


「陰陽頭殿!!」


真明が素早くまじないの歌を詠みあげると、抜き身の短刀が朱色に光り、腰刀の尺までその刀身を延ばす。


真明は体勢を整え身体ごと後を振り返った。


「!」


吉昌と真明の目に飛び込んできたのは影だった。


最初は松明が映し出す建物の影かと思えたが、影は人形ひとがたのように揺れながら立っていた。

まるで、人間の影が独立したような奇妙な姿だ。

影はふしゅるふしゅると息をしているようだった。

右手にあたる部位は、刃のように長く、鋭く尖っている。


影は陽炎の如く輪郭を揺らしながら再び襲い掛かかってきた。


その刃を真明が紅き刃で受け止める。


ガキキィィィン……!!


鈍い音と供に、影が唸る。影は執拗に攻撃を繰り返し、真明もそれに応じた。


普段、姫君として暮らしているとは思えない剣さばきだ。

真明の背後では、吉昌が印を組み、呪文を輪唱している。


「ぐぁぁぁっ」


影は真明から一歩引き、苦しみ悶えるように激しく形を波うたせた。

そして狂ったように真明を飛び越え、吉昌へ突進した。


「……!!しまった……!」


真明が慌てて振り返る。


「陰陽頭殿……!」


「藤!!」


真明と吉昌はほぼ同時に叫んでいた。


ふわりと藤模様の袿を纏った女房が虚空から突如現れ、影と吉昌の間に割って入る。


「あい」


藤はにっこりそう答えると、袖を振り、吉昌に斬りかかった影を一薙ぎした。


影は後方へと弾かれる。


「藤殿……!?」


目を白黒させる真明に、藤が微笑む。


「おおぉぉ!!」


呻きながらもんどりを打つ影に、吉昌が高らかに告げた。


「真の姿を現せ……!」


影が嫌だとかぶりを振るように大きく揺れたが、抵抗も空しく、纏っていた闇を引きはがされた。


「うぁあぁあっ」


「……!!」


苦痛に咆哮したその顔。


今だ影を身体に残してはいるが、闇に浮かんだのは、左近衛少曹・橘惟次の顔だった。

 


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