六 妖刀
「ちはやふる」
裄平が明姫に触れた途端、どこからか声が響いた。
「……!?」
「神代に結びし朱の契り」
裄平が振り返ると、先程内裏で見かけた吉昌の弟子だという少年が半蔀を背にして立っていた。
手に握られた短刀は、目の錯覚か紅く光を帯びている。
「さ、真明殿……!?」
「黄昏に解き」
裄平は必死に記憶を手繰り寄せ少年の名を口にしたが、真明はそれに構わずに詠唱を続けた。
「百鬼散るらむ」
真明の歌に応えるように閃光を放ち、短刀は一気に紅い刃を延ばした。
「……!!」
「裄平殿、貴方ほどのお方が何故このような魔の道に落ちたのですか?」
真明は問うた。
「魔の道とは……?」
裄平はじりじりと背後へとさがる。
空腹感は相変わらず酷く、吐き気をもようした。
「とぼけないで下さい!!貴方の歌が多くの人の生気を吸いとった。あげく、貴方は屍肉を食したのです」
「はて、何のことか……」
言いながら、裄平はちらりと伏せった姫君に目をやった。
美しい黒髪に幾分隠された整った顔立ちは、見覚えがあるような気がした。
甘い香りが裄平を誘う。
ぐらり、と視界が揺らいだ。
──喰らってしまえ
裄平の中の餓鬼が囁く。
──そうだ、明姫の前にこの美童を食ってしまえば良いのだ。
あまりの飢えに、裄平の意識は朦朧とし、欲望を抑えるたがが外れた。
ゆらりと、真明に近付く。
裄平もまた懐に忍ばせていた短刀を取り出し、抜き放った。
「裄平殿……!」
真明の呼びかけも虚しく、裄平は狂ったように短刀を振り回しながら、真明に突進してきた。
(妖め……!)
真明は朱色の刀を構える。
裄平の中に棲まう物の怪を嫌悪した。
二人の間合いが縮まる。
真明が裄平の切っ先を避け、紅の刃を繰り出そうとした刹那──
「待て、真明!斬るな!」
有無を言わせぬ強い声音が真明を制した。
ビリビリと室内に振動が走り、裄平も静止する。
二人が同時に声の元を見遣ると、果たして陰陽頭・安倍吉昌が立っていた。
「陰陽頭殿……!?」
真明の鋭い眼光は何故止めるのかと吉昌に問うているようだ。
「……ご心配には及びません。これなる刀は……」
真明はふっと息をつくと、決意したように告げた。
「妖のみを斬る……妖刀です」
「……!」
吉昌は一瞬だけ両目を見開き、しかしすぐにふっといつもの冷静な表情に戻る。
「……だが、斬るな。これは人間だ」
吉昌が紡ぐ、その言葉もやはり静かなものだった。
「吉昌ぁ……、何故ここに……?」
裄平は落ち窪んだ眼をぎょろぎょろと動かした。
狂気が裄平を押し潰そうとしていた。
「言魂を使い、貴方の執念が篭った上の句を下の句で封じた。先日貴方の代筆した歌によって倒れた明姫の元に現れるよう、仕向けたのだ」
歌合にて吉昌の詠んだ下の歌。
裄平が「ひめゆり」に「姫君」とかけていたのに対し、「その姫君を殺たのだろう」と暗に詠み込んだ。
また、「あやめ」には魔を祓う花「菖蒲」をかけたのだ。
言葉は力を持ち、同じく呪いを帯びた歌を打ち破った。
「そこに居る明姫は、私の式神だ」
吉昌の発言に呼応し、臥せっていたはずの明姫がふっと掻き消える。
帳台には呪符だけが残されていた。
「……!?」
「裄平殿……」
吉昌は真明にさがるように合図すると、裄平へと踏み出した。
裄平はぶるぶると全身で震え出し、双眸は赤く充血していた。がくりと膝をつき、呻き声をあげる。
「ぐぐぅ……あぁぁあ」
「陰陽頭殿っ、やはり妖が……!」
真明が身構える。
「違う。人間だ」
吉昌はきっぱりと断言した。
「けれど、屍を食すなど同じ人間の仕業とは……」
「思えないか、真明」
吉昌は淡々と続ける。
その声音には怒りも悲しみもなく、ひたすらに厳かで。
「人の世に仇を成すのは妖だけとは限らない」
「それは……っ」
真明は言葉につまった。
真明自身、人間にも深い闇があることを知っていた。
「この男の美しいものに対する執念が歌に呪を持たせた。けれど、この男自身は生身の人間だ。屍を喰らったのも、あくまでこの男の意思」
吉昌は飢えに喘ぐ裄平の前に屈み込む。
「裄平殿、貴方の手に入れたかった『あはれ』とは屍の姫君達か?」
吉昌の淡々とした声が苦しみもがく裄平の耳に届き、裄平は呻きながら顔をあげた。
「ぐぅ……ッ、よし、まさ……ど……の」
「今のご自身を見てみられよ。死体を貪る姿を。到底あはれとは言えまい」
「ああぁぁぁ!!」
裄平は両手で顔を覆った。
「その飢えは貴方の思い込みだ。欲望が産んだ幻なのだ」
真明は今吉昌は何を感じ、何を見据えているのだろうと思った。
その表情からは憎しみも憐憫も読み取れなかった。
「歌の呪いは反古した。貴方はもう歌を詠むことができないだろう」
「あぁあぁぁ…………!!」
吉昌の声を聞いてか聞かずか、裄平はのたうちまわりながら、喚いた。
濁った眼からは涙がとめどなく流れている。
その有様は駄々をこねる童子のようであった。




