二 発端
「陰陽頭殿!」
内裏で歌合が催される当日の早朝。
吉昌は自分を呼ぶ声に眠りを妨げられた。
仕方なく起き上がり、単衣のまま 簀子へ出る。
初夏とはいえ、早朝は流石に風が涼しかった。
中庭の池からは朝霧が立ち上っている。
「陰陽頭殿、朝早くから申し訳ありません!」
そこにいたのは明姫、こと藤原真明だった。
いつもの壷装束ではなく、水干を纏い漆黒の髪は一房にまとめていた為、一瞬誰だか判断しかねた。
そういえば、この者は男子であったのだと眠気に霞む頭の中で今更ながらに思い出す。
「……何だ、このような時刻に」
不機嫌そうに吉昌が呻く。
普段が無表情であるために、真明にとってその表情すらもの珍しかった。
それに、白い単衣に身を包み髪をさらりと流した様は、まるで女人のようでどきりとする。
否、吉昌はれっきとした女性なのだ。
真明が明姫として暮らしているの同様、吉昌もまた男として暮らしていた。
その理由はお互い語ったことがないが。
「申し訳ありません。けれど、取り急ぎ陰陽頭殿に視ていただきたいものがあるのです!」
真明はもう一度詫びをいれると、慌てた様子でまくし立てた。
「……何だ?」
吉昌は未だ覚めやらぬ頭で、真明の黒々とした大きな瞳は小動物のようだと何となく思う。
「実は女房のひとりが病にかかってしまって……」
「ならば、薬師を呼べば良いだろう」
「それが、どうも様子が妙なのです」
真明が首を振りながら言う。
「文を握りしめたまま倒れ、息こそあれど身体がどんどん冷たくなっています。しかも、ぶつぶつと何事か口の中で呟き続けているので、耳を近付けてみれば……」
真明は躊躇うように一旦言葉を区切り、続けた。
「歌を詠んでいるのです」
「歌?」
「はい。握りしめていた文に記された歌のようです」
真明が、これがその文ですと丁寧に折られた紙を差し出す。
吉昌はそれを受け取り、目を通した。
『うばたまの
長々し夜を
嘆くとて
明けぬればこそ
偲びけるなむ』
(長く暗い夜を嘆いておりましたが、明けると思えばこそ耐えられるのです。夜明けの名を持つ姫君よ、お慕いしております)
「これは……」
「ええ、本来ならば私に宛てたものでしょう」
興味本位か、それを女房が開けてみたのだろう。
文には恋慕とは異なる禍々(まがまが)しい気配が立ち込めていた。
吉昌は目を細める。
脳裏に、真雪から聞いた件の流行り病が過ぎった。
「これは………呪だ」




