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陰陽の如く  作者: とうご智
【第二章】 歌人、屍肉を喰らふ語

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一 歌仙



『貴女を想うと夜も眠れません。愛しい貴女に一目でもお会いできたら、私のこの悩みも晴れましょうに』


女房から受け取ったふみには丁寧な文字で、このような内容の歌が綴られていた。

文にきしめられた香は、今都で流行りのものである。


明姫は自分でも気付かないうちに大きなため息をもらす。


「下手くそな歌!」


後から覗き見していた葵が、貴族の娘らしからぬ悪態をついた。


「こんな歌で交際を申し込むだなんて、身の程知らずですわ!」


「葵殿」


明姫は苦笑する。


最近、平安の都では藤原中将の娘に明姫なる美少女が居ると専ら評判になっているらしい。

それに、春先の怨霊騒ぎ以来彼の陰陽頭に見初められた姫君として箔が付いたのである。


もとより色事に目が無い都の男たちが、我先にと競って明姫に連日恋文や贈り物を届けに参上するようになったのだ。


「というよりも、私には元々お答えすることが出来ませんから」


明姫は複雑そうに笑った。


明姫が殿方に答えられぬ理由わけ

それは明姫が実は男子おのこだからである。


「そう……ですよね!そうだわ!まったくもう!噂とは何と無責任なものでしょう」


葵は心なしか嬉しそうに顔を輝かせたかと思うと、すぐに頬を膨らませて文句を言った。


この妹姫のくるくる変わる表情の豊かさが明姫は好きだった。


「そういえば、兄上。今度の庚午かのえうまの日に宮廷で歌合うたあわせが行われるのですって!今を時めく歌仙、坂上裄平さかうえのゆきひら様もご参加されるそうですわ」


葵が随身ずいじんから聞いたらしい情報を得意げに披露する。


葵は器用にも、明姫を他に人が居る時は「姉上」、二人きりの時は「兄上」と呼び分けた。明姫は万が一のため「姉上」と統一したほうが良いのではと何度か提案したが、頑なに兄と呼ぶのだった。


「坂上裄平殿……?」


「ええ、今都で一・二を争う人気の歌人ですの。詠まれる歌がとても美しくて……『あはれの歌仙』と呼ばれているとか。あの御方に歌を送られたら断れる女性なんていないのではないかしら」


葵がうっとりと夢見るように言った。


正直なところ明姫には分かりかねる感覚だが、それほどまでに魅力的な和歌となれば多少なりとも興味は引かれる。


(『あはれの歌仙』か)


手元の文に目を落とし、明姫は内裏で行われるという歌合に思いを馳せた。




「流行りやまい……?」


内裏で公務を済ませて帰宅した安倍吉昌あべのよしまさは、正装から狩衣かりぎぬへと着替えようとしていた。


初夏を迎えるだけあって、烏帽子えぼしはさすがに暑苦しく、これも取り外す。


「ええ、何でも奇妙な病らしいですわ」


妻の真雪は吉昌の着替えを手伝いながら言った。その翡翠色の瞳が不安そうに揺れる。


「年頃の男女が何の前触れもなく発熱して、臥せったまま次第に身体が冷えて行くらしいです。そのまま他界される方がほとんどなのですって」


なるほど、と吉昌は思った。


ここ最近都に妙な気配が立ち込めていると感じたのは、この病の蔓延る(はびこる)気配だったのだ。


「原因は?」


答えが判ってないことを知りながら、一応尋ねてみる。


「解りません。病にかかった者に共通点は一切ないようです。不幸中の幸いか、近くにいる者に伝染することはないそうですわ。ただ……」


「ただ?」


「死体が……失くなることがあるそうで」


「失くなる?」


「ええ。文字通り、消えてしまうのですわ」


真雪が声をひそめる。


「一部では鬼の仕業とも」


それが真実ならば、吉昌の領分だった。


宮廷付き陰陽師の頭。

天皇の毎日の吉凶を視ることをはじめ、加持祈祷、そしてあやかしや怨霊といった類のものを調伏ちょうぶくし、都の平穏を守護するのが吉昌に課された役目なのだ。


直に主上から勅令が下るだろう。


(しかし、妙だな)


吉昌は心の中で呟いた。


(妖の気配がしない)


魑魅魍魎ちみもうりょうが現れる時の陰鬱とした空気。

都の方々で小さな騒ぎこそ起これど、ここ最近吉昌はそういった空気を感じたことがなかった。


近々内裏で歌合が行われ、多くの人々が宮廷に出入りすることになるだろう。


(厄介なことにならなければ良いが……)


吉昌は大きなため息をついた。




歌人・坂上裄平さかうえのゆきひらいおりに若い公達きんだちが訪れたのは、夕暮れ時だった。


カナカナカナとひぐらしの鳴き声が辺りに響き、なんともいえない空虚感を駆り立てている。


「坂上殿にぜひとも代筆をしていただきたいのです!」


若い公達が力を込めて身を乗り出す。

お世辞にも見目が良いとはいえない青年だったが、若さゆえの目の輝きには生命力が溢れていた。


一方の裄平は、歳は二十八ほどであろうか。


骨張った顔は土気色をしており、眼はぎょろぎょろと落ち着きなく動いている。


「代筆とは……?」


聞くまでもなく恋文にしたためる歌であろうことは予測がつく。

昨今、裄平の名声を聞き付けて、歌の代筆を頼みにくる若者が後を絶たないのだ。


「私には只今恋い慕うお方がいます。藤原中将の大君、明姫様とおっしゃるのですが、この方が大層な美少女だそうでして」


若い公達はうっとりと切ないため息を漏らした。

女性の外出が制限されているこの平安のご御時世、顔を見ずに噂だけで恋に落ちるのは珍しいことではない。


「何でも陰陽頭である安倍殿のご寵愛を受けてらっしゃるそうです。それほどの美姫とあらば、男としては是非お逢いしたいもの」


「ほう」


公達の力説ぶりに、思わず裄平も聴き入る。


「しかし、お恥ずかしながら、私は歌のほうがからっきしなのです。そこで『あはれの歌仙』といわれる坂上殿のお力をお借りできればと参った次第です。坂上殿の歌は恋愛祈願よりも効くとお聞きしましたゆえ」


裄平は長々と続く公達の口上に耳を傾けながらも心は決めていた。


「謝礼は弾みます」


公達が期待をこめた熱い眼差しで裄平を見つめる。


「分かりました。私のつたない歌でよろしければ、一つお詠み致しましょう」


「誠ですか!?」


「ええ。ただし、謝礼は必要ございません。私も歌を唯一の愉しみとしております故」


「おおっ。何と殊勝でいらっしゃることか…!」


公達が嬉しそうに、感嘆の声をあげた。

しかし、裄平の関心は別のところにあった。


(欲しい……!)


希代の陰陽師を魅了するほど美しい姫君。裄平は生唾を飲み込む。


裄平の腹がぐるると獣のように鳴った。



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