第7章:四面楚歌の待機命令
吉本ごうぞうによる「世紀の責任転嫁ショー」から三日後。
鼠園は、大阪万ミャク協会の薄暗い小会議室に、まるで被告人のように座らされていた。彼の前には、協会の理事たちがずらりと並んでいる。形式上は「特別事情聴取委員会」と名付けられているが、その実態は、鼠園一人を断罪するための魔女裁判に他ならなかった。
委員長席に座る事務総長が、作り物めいた神妙な顔つきで、罪状を読み上げる。
「――鼠園君。君は現場の最高責任者でありながら、我々の度重なる忠告を無視し、非現実的な理想論に固執した。その結果、地盤対策の遅延、基幹システムの選定ミス、そして来場者管理の致命的な失敗を招き、大阪万ミャクの権威と国民の信頼を著しく失墜させた。そうだな?」
鼠園は、冷たい目で事務総長を見返した。
「事実と異なります。地盤対策の縮小を決定したのは吉本さんです。システム業者を選定したのも、年パスの導入を強行したのも、すべて吉本さんの独断だ。議事録にも残っているはずです」
「議事録だと?」
吉本派の理事が、嘲るように鼻を鳴らした。
「あの混乱の中、正式な議事録など作成されていない。あるのは、君が独断でプロジェクトを暴走させたという、ここにいる全員の『証言』だけだ」
仕組まれた罠だった。彼らは、鼠園を陥れるために、公式な記録さえも闇に葬り去っていたのだ。もはや、何を言っても無駄だった。ここは、真実が権力によって塗り潰される場所なのだ。
事務総長は、待っていましたとばかりに、最終通告を言い渡した。
「協会として、君をこのまま職に留めておくことはできない。よって、懲戒解雇を前提とした、無期限の自宅待機を命じる。追って正式な処分を決定する。異論はないな」
それは質問ではなかった。有無を言わせぬ、一方的な追放宣言だった。
鼠園は、何も答えなかった。
ただ、そこにいる全員の顔を、一人ひとり、記憶に刻みつけるように、ゆっくりと見渡した。恐怖に怯える者、罪悪感に目を伏せる者、そして、勝ち誇ったように歪んだ笑みを浮かべる者。
――その顔、決して忘れない。
彼は静かに立ち上がると、誰にも一瞥もくれず、会議室を後にした。
プレハブの事務所を出た瞬間、鼠園の世界は閃光と怒号に飲み込まれた。
「鼠園さーん! 国民を裏切った心境は!」
「責任を取って辞任するんですか!」
「無能プロデューサー! 税金返せ!」
おびただしい数の報道陣が、ハイエナのように彼を取り囲む。マイクが、カメラが、まるで凶器のように彼の顔に突きつけられた。
鼠園は、無言を貫いた。
ここで何を語っても、面白おかしく切り取られ、国民の敵意を煽るための燃料にされるだけだと分かっていた。彼は感情を消し、人々の罵声を浴びながら、押し寄せる波をかき分けるようにして、迎えのタクシーへと乗り込んだ。
その日から、鼠園は社会的に「抹殺」された。
テレビのワイドショーは、一日中、彼を断罪する特集を組んだ。ディズ・リゾート時代の経歴は「傲慢なエリート」の証明として扱われ、匿名の「関係者」たちが、彼の「独善的な性格」を面白おかしく証言した。ネット上には、彼のプライベートに関する真偽不明の情報が溢れ、人格を否定する誹謗中傷の嵐が吹き荒れた。
彼は、一夜にして「輝かしい実績を持つプロデューサー」から「日本中から憎悪される国賊」へと転落したのだ。
都内のタワーマンションの一室。それが、鼠園に与えられた監獄だった。
鳴り止まないインターフォン。絶え間なく届く、殺害予告とも取れるメール。かつては賞賛の言葉を並べていたビジネスパートナーたちからの連絡は、ぴたりと途絶えた。ディズ・リゾート時代の仲間たちでさえ、協会の圧力を恐れてか、誰も連絡してはこなかった。
完全な孤立。四面楚歌。
窓の外に広がる東京の夜景を眺めながら、鼠園は、深い、深い絶望の海の底へと沈んでいくような感覚に襲われた。
俺は、何のために戦ってきたのだろうか。
ゲストのハピネスを追求した結果が、これなのか。
一瞬、すべてを投げ出してしまいたいという、黒い衝動が心をよぎる。
その時だった。
テーブルの上に置かれた、もう一つのスマートフォンが、静かに振動した。
それは、彼が「仲間」とだけ連絡を取り合うために用意した、暗号化された特殊な通信端末だった。
鼠園は、はっと我に返ると、その端末を手に取った。
画面には、短いメッセージが表示されていた。
『主役が舞台から降りたら、ショーが始まらないだろう?』
送り主は、ディズ・リゾートで苦楽を共にした、天才的なハッカーであり、最高の友人だった。
そのユーモアに満ちた言葉に、鼠園の口元に、何日ぶりかの笑みが浮かんだ。
――そうだ。まだ、終わっていない。
――いや、むしろ、ここからが始まりなのだ。
彼は立ち上がると、分厚いカーテンを力強く引き、外の世界の喧騒を完全に遮断した。鳴り響くインターフォンと固定電話のコードを、ためらうことなく引き抜く。
この部屋は、もはや監獄ではない。
誰の目も届かない、誰の耳も入らない、反撃のための完璧な「作戦司令室」だ。
世間が自分を「無能な敗北者」と断じ、油断しきっている今この時こそ、巨悪の喉元に刃を突き立てる、絶好の機会なのだ。
鼠園は、通信端末を手に取ると、返信を打ち始めた。
「ああ、そうだな。最高のショーの準備を始めよう」
四面楚歌の静寂の中、たった一人、しかし決して孤独ではない男の、反撃の狼煙が、今、確かに上がった。




