第21章:究極の選択
橋小銭稼が仕掛けたメディア戦略は、あまりにも鮮やかだった。
彼の掲げる「1兆円の経済効果」という甘い蜜の言葉は、閉塞感に喘いでいた大阪の空気を一変させ、多くの市民を熱狂させた。テレビも新聞も、まるで示し合わせたかのように、橋小を「大阪の救世主」と持ち上げ、私たちの「OSAKA CANVASプロジェクト」を、「時代遅れの理想論」と切り捨てる論調で溢れかえった。
状況は、火を見るよりも明らかだった。
このままでは、市民の手で灯した小さな灯火は、巨大な資本とメディアの力によって、いとも簡単に吹き消されてしまう。
「鼠園さん、打つ手は、あるのか?」
事務所の重い空気の中、電堂が、絞り出すように尋ねた。
私は、静かに頷いた。私の目の前には、氷室から送られてきた、橋小の計画の脆弱性を分析した、膨大なデータが広がっている。
「敵の計画は、一見、完璧に見える。だが、ただ一つ、致命的な欠陥がある」
私は、モニターに映し出された一枚のグラフを指さした。
「橋小の計画の根幹は、IRからもたらされる、外国人観光客による莫大な収益だ。だが、その収益予測は、コロナ禍以前の、最も楽観的な数値を、さらに過大に見積もった、極めて希望的観測に基づいたものだ。氷室の分析によれば、現実的な収益は、彼らが謳う数字の、よくて半分。最悪の場合、四分の一以下になる可能性が高い」
「どういうことだ?」
「つまり、彼らの計画は、砂上の楼閣だということだ」
私の声に、熱がこもる。
「もし、収益が予測を下回れば、この巨大なプロジェクトは、莫大な赤字を生み出すことになる。そして、その赤字を補填するのは、誰だ? 外資系のカジノ企業じゃない。我々、大阪の市民の税金だ。吉本の時と同じだ。いや、規模が違う分、より深刻な悪夢の再来になる」
これこそが、橋小が隠していた、不都合な真実だった。
だが、この複雑な真実を、どうやって市民に伝えればいいのか。橋小の「1兆円」という分かりやすい言葉の前では、「リスク」や「不確実性」といった言葉は、あまりにも無力に響いてしまう。
その時だった。
事態を大きく動かす、一本の電話が、大阪府庁からかかってきた。
相手は、あの安田理事長だった。しかし、その声は、かつての傲慢さが嘘のように、狼狽していた。
「鼠園さん、君たちの意見を、正式に聞きたい。いや、聞かねばならなくなった」
安田によれば、あまりにも急進的な橋小の計画に、府庁内部や市議会からも、懸念の声が上がり始めたというのだ。そして、一部の良識派議員の働きかけにより、万ミャク跡地の未来を、最終的に「住民投票」によって決定する条例案が、急遽、可決されたという。
「住民投票だと?」
「そうだ。一ヶ月後に、投票が行われる」
安田は、苦々しげに続けた。
「橋小君の『NEXT GENERATION PLAN』と、君たちの『CANVASプロジェクト』。どちらが、この街の未来にふさわしいか。市民に、その選択を問うことになった」
それは、まさに、青天の霹靂だった。
そして、私たちにとっては、起死回生の、最後のチャンスでもあった。
事務所の空気は、一変した。
絶望は、闘志へと変わっていた。
「面白い! 面白いじゃねえか!」
電堂が、不敵な笑みを浮かべて叫んだ。
「土壇場で、最高の舞台が用意されたってわけだ! メディアが敵なら、俺たちは、俺たちのやり方で、直接、市民に語りかけるまでだ!」
最後の戦いのゴングが、鳴ったのだ。
それは、二つの未来を賭けた、究極の選択だった。
A案:橋小銭稼が率いる「巨大商業施設中心の経済都市」
―――輝かしい未来のビジョンと、1兆円の経済効果。しかし、その裏には、巨大なリスクと、市民が負うかもしれない莫大な負債が隠されている。
B案:私たちが掲げる「住民参加型の公園都市」
―――派手さはないが、市民の手で、自分たちの幸福を、少しずつ、しかし確実に育てていく未来。経済的なリターンは小さいかもしれないが、そこには、金では買えない、持続可能な価値がある。
どちらの未来を選ぶのか。
その重い一票が、大阪の全有権者に、委ねられたのだ。
「行こう」
私は、立ち上がった。
「我々の仲間が待つ、街へ。これが、俺たちの、最後の戦いだ」
事務所の窓から見える、大阪の街の灯りが、まるで私たちの決意を祝福するかのように、力強く、そして、温かく輝いて見えた。




