第20章:最後の敵
過去からの使者、前川が残した警告は、数週間を待たずに、現実のものとなった。
その日、テレビのニュース番組に、颯爽と登場した一人の男の姿に、事務所にいた私たちは息を飲んだ。
男の名は、橋小銭稼。
元弁護士という経歴を持ち、歯に衣着せぬ鋭い弁舌と、メディアを巧みに利用するパフォーマンスで、若者を中心にカリスマ的な人気を誇る、新進気鋭の国会議員。そして、獄中の吉本ごうぞうが、自らの後継者として最も目をかけていた男だった。
「――大阪の未来を、一部の素人たちによる、感傷的なおままごとに任せておくわけにはいきません!」
橋小は、テレビカメラの向こうの視聴者を、まっすぐに見据えながら、明快な口調で言い切った。その手には、分厚いパネルが掲げられている。
「私が提案するのは、感傷ではありません。数字に裏付けされた、確かな未来です!」
彼が発表したのは、「OSAKA NEXT GENERATION PLAN」と名付けられた、大規模な再開発計画だった。
それは、私たちの「OSAKA CANVASプロジェクト」を、まるで子供の砂場遊びだと嘲笑うかのような、圧倒的な規模と具体性を伴っていた。
外資系の巨大カジノ企業を中核とした統合型リゾート(IR)。
世界的なブランドが軒を連ねる、巨大ショッピングモール。
そして、富裕層向けの超高層タワーホテル群。
パネルには、最新のCGで作成された、きらびやかな未来都市の完成予想図が、これでもかとばかりに映し出されている。
「この計画が実現すれば、大阪には、年間1000万人の新たな観光客が訪れ、5万人の雇用が生まれ、そして、1兆円を超える経済効果がもたらされます! これこそが、停滞する大阪を復活させる、唯一の処方箋なのです!」
橋小のプレゼンテーションは、完璧だった。
複雑な問題を単純化し、「夢」を「数字」に置き換え、人々の欲望を的確に刺激する。それは、かつての吉本が得意とした手法を、より洗練させ、より現代的にアップデートさせた、恐るべき扇動術だった。
彼の登場は、それまで私たちのプロジェクトに好意的だった世論の風向きを、一夜にして変えてしまった。
「やっぱり、公園なんかより、儲かる話の方がええわな」
「橋小さんの言う通りや。夢だけじゃ、飯は食えん」
「若くて、実行力がありそうだ」
SNSには、橋小を支持し、私たちを「理想論ばかりの夢想家」と揶揄する声が、溢れかえった。クラウドファンディングで集まった5000万円という金額さえも、橋小が提示した「1兆円」という巨大な数字の前では、霞んで見えた。
事務所の空気は、重く沈んでいた。
「やられたな」
電堂が、苦々しく吐き捨てる。
「敵は、俺たちのやり方を、完全に研究し尽くしている。市民参加だの、SNSだの、俺たちが得意としてきた土俵で、俺たちを遥かに上回るやり方で、世論を奪い去っていった」
橋小銭稼は、ただの大物政治家の後継者ではなかった。
彼自身が、メディア戦略と大衆扇動の、恐るべきプロフェッショナルだったのだ。
そして、彼の背後には、潤沢な資金を持つ外資系企業と、吉本の残党たちが形成する、強力な利権ネットワークが、黒い影のように控えている。
私は、テレビの画面の中で、自信に満ちた笑みを浮かべる橋小の顔を、黙って見つめていた。
――これが、最後の敵か。
吉本ごうぞうは、古いタイプの、剥き出しの欲望の怪物だった。
だが、橋小銭稼という敵は、違う。
彼は、「改革」や「未来」といった、耳障りの良い言葉でその欲望をコーティングし、自らを正義だと信じて疑わない、より現代的で、そして、より厄介な怪物だった。
「どうする、鼠園さん」
渡辺が、不安そうな顔で私に尋ねる。
「このままじゃ、僕たちが灯した火が、消されてしまいます」
その時だった。
私の、プライベート用のスマートフォンが、静かに震えた。
画面に表示されたのは、意外な人物からの、短いメッセージだった。
『ショーの主役が、敵役に食われてどうする。最高のフィナーレを見せてみろ』
送り主は、黒沢だった。
そして、立て続けに、氷室からもメッセージが届く。
『敵の計画、分析完了。一点、致命的な欠陥あり。資料を送る』
かつての夢のチームは、決して、解散したわけではなかった。
彼らは、それぞれの場所から、ずっと、この戦いを見守り、そして、いつでも動ける準備を整えていてくれたのだ。
私の目に、再び、あの静かで、しかし、決して折れることのない闘志の光が宿った。
「ああ、そうだな。ショーは、まだ終わっちゃいない」
私は、仲間たちの顔を見回すと、力強く、宣言した。
「敵が、巨大な未来都市の計画をぶつけてきたのなら、我々は、たった一人の人間の『ハピネス』から始まる、未来の物語を提示するだけだ」
巨大な数字か、個人の幸福か。
偽りの希望か、真実の夢か。
どちらが、人々の心を本当に動かすのか。
最後の戦いの舞台は、整った。
それは、大阪という街の、未来の魂を賭けた、最終決戦だった。




