第19章:過去からの使者
クラウドファンディングの大成功は、プロジェクトに大きな追い風を吹かせた。私たちの事務所には、メディアからの取材依頼や、市民からの応援の手紙が、ひっきりなしに舞い込むようになった。安田理事長も、世論の盛り上がりを無視できず、渋々ながら、万ミャク跡地の一部を市民公園として暫定的に使用することを、許可せざるを得なかった。
小さな灯火は、確かな熱を帯びて、周囲を照らし始めていた。
そんなある日の午後、事務所のインターフォンが鳴った。来客の予定はない。渡辺が訝しげにモニターを覗くと、そこには、安物のスーツを着こなし、神経質そうにタバコをふかす、見覚えのある中年の男が立っていた。
「あの人」
モニターを見た私は、眉をひそめた。
男の名は、前川。
かつて、吉本ごうぞうの寵愛を受け、大阪万ミャクの基幹システムを欠陥だらけのまま受注した、あの「株式会社デジタル浪速」の、元社長だった。
彼は、事件後に会社が倒産し、自身も詐欺容疑で執行猶予付きの有罪判決を受けていた。まさに、吉本に利用され、そして、あっさりと切り捨てられた男。いわば、私にとっては、因縁の相手の一人だった。
「何の用だ」
ドアを開けた私は、警戒を隠さずに言った。
前川は、私の顔を見るなり、深々と、地面に額がつくほどに、頭を下げた。
「この度は、誠に誠に、申し訳ございませんでした!」
その声は、かつての傲慢さが嘘のように、弱々しく震えていた。
「謝罪なら、受け取るつもりはない。あなたのせいで、どれだけの人が迷惑を被ったと思っている」
「はい。重々、承知しております。私は、万死に値する男です」
前川は、顔を上げられないまま、続けた。
「ですが、どうしても、鼠園さんにお伝えしなければならないことがあり、今日、参りました。このままでは、また、同じ過ちが繰り返されてしまいます!」
事務所の中に通された前川は、震える手で、一枚のメモをテーブルの上に置いた。
そこには、一人の政治家の名前が記されていた。
――『橋小銭稼』。
「橋小?」
電堂が、その奇妙な名前を見て、首を傾げた。
「ああ、あの若手の国会議員か。最近、テレビでよく見かけるな。『大阪の改革』とか言って、威勢のいいことばかり言ってる、吉本派の若手筆頭だ」
「その通りです」と前川が頷く。
「橋小は、吉本先生が、最も目をかけていた男。いわば、吉本の政治的な後継者です。そして、彼は今、水面下で、吉本先生が夢見た、あのIR計画を、復活させようと動いています」
前川が語った内容は、衝撃的なものだった。
橋小銭稼は、吉本が失脚したことで白紙に戻ったIR計画を、形を変えて再び実現させるため、外資系の巨大カジノ資本や、大手デベロッパーと、極秘に交渉を重ねているというのだ。
「奴らの狙いは、あなた方が盛り上げている、その市民公園計画を、徹底的に潰すことです」
前川の目に、憎悪の光が宿った。
「奴は、あなた方の活動を『素人がお遊戯で盛り上がっているだけだ』と嘲笑い、その上で、世論がそちらに傾ききる前に、圧倒的な経済効果を謳った、大規模な再開発計画を対案としてぶつけ、一気に勝負を決めるつもりです。安田理事長も、とっくに奴らと繋がっています」
安田が、私たちの計画を頑なに拒んでいた、本当の理由。
大手企業が、協力に二の足を踏んでいた、見えない壁の正体。
そのすべての裏に、この橋小銭稼という、新たな「敵」の存在があったのだ。
「なぜ、その情報を、我々に?」
氷室が、鋭い目で前川を問い質した。
「あなたに、メリットはないはずだ」
前川は、ゆっくりと顔を上げた。その顔は、後悔と屈辱に、深く歪んでいた。
「メリットなんて、ありませんよ。あるのは、罪滅ぼしの気持ちと」
彼は、拳を握りしめた。
「あの連中への、復讐心だけです」
彼は、吉本に忠誠を誓い、汚い仕事にも手を染めた。だが、いざ事件が発覚すると、すべての責任を押し付けられ、蜥蜴の尻尾のように切り捨てられた。会社も、財産も、社会的信用も、すべてを失った。
「吉本も、橋小も、同じ穴の狢だ。人を、夢を、ただの金儲けの道具としか思っていない。あなた方がやろうとしていることが、正しいことなのかは、私には分かりません。ですが、少なくとも、奴らのやり方が、間違っていることだけは、確かです」
過去からの使者がもたらした、予期せぬ情報。
それは、私たちにとって、新たな脅威の出現を告げるものであると同時に、敵の正体と、その戦略を知る、またとない機会でもあった。
前川が帰った後、事務所は重い沈黙に包まれた。
ようやく灯した小さな灯火を、消し去ろうとする、巨大な嵐が近づいている。
「面白いじゃないか」
最初に口を開いたのは、私だった。
私の顔に、恐怖の色はなかった。むしろ、その口元には、不敵な笑みさえ浮かんでいた。
「敵の顔が見えた。戦略も、分かった。ならば、やることは、一つだ」
私は、仲間たちの顔を見回した。
「最高のショーで、返り討ちにしてやるだけだ」
新たな敵の出現は、ドリームチームの結束を、むしろ、より一層、強く固めることになった。
決戦の時は、近い。




