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第17章:見えない壁

「役人が動かないなら、市民を動かす」

 私の号令一下、ドリームチームの新たな戦いが始まった。私たちがまず取り組んだのは、「OSAKA CANVASプロジェクト」を、机上の計画から、目に見える「現実」へと変えることだった。


 その最前線に立ったのは、渡辺だった。

 彼は、かつての気弱な青年という面影はもはやなく、情熱と誠実さを武器に、跡地周辺の地域コミュニティへと、自らの足で飛び込んでいった。


「僕たちは、この場所に、新しい大阪の顔を作りたいんです! 皆さんの手で!」

 商店街の会合、町内会の寄り合い、地元のNPO法人のオフィス。彼は、どこへでも出向き、プロジェクトの理念を、自分の言葉で、懸命に説いて回った。


 一方、電堂は、メディアという武器を手に、空からの援護射撃を開始した。

 彼は、旧知のウェブメディアの編集長を口説き落とし、「負の遺産から、未来の希望へ」と題した特集記事を組ませた。跡地で始まった小さなマーケットの活気や、渡辺の地道な活動を、情緒的に、そして戦略的に報じる。この記事は、SNSで共感を呼び、少しずつ、しかし確実に拡散されていった。


 私と氷室は、裏方に徹した。

 私たちは、プロジェクトに賛同してくれる可能性のある、志の高い中小企業の経営者や、若手のクリエイターたちをリストアップし、一件一件、頭を下げて協力を仰いだ。


「我々には、まだ実績も、大きな資金もありません。あるのは、未来へのビジョンだけです。どうか、力を貸してください」

 私たちの熱意は、少しずつ、人々の心を動かし始めていた。


 渡辺の話に共感した商店街の店主が、週末のマーケットへの出店を約束してくれた。電堂の記事を読んだという若い母親たちから、「子供たちが遊べる場所を作ってほしい」という応援のメッセージが届いた。私のビジョンに賭けてみたいと、ある地元の設計事務所が、無償で公園のコンセプトデザイン作成を申し出てくれた。


 小さな成功が、波紋のように広がっていく。

 しかし、その波紋が、ある一定の大きさに達した時、私たちの前に、巨大で、そして「見えない壁」が、立ちはだかった。

 それは、大手企業や、影響力のある地元の名士たちを説得しようとした時に、顕在化した。


「いや、話は非常に面白いと思うんですよ」

 ある大手建設会社の役員は、愛想の良い笑みを浮かべながらも、決して目を合わせようとしなかった。


「ですが、まあ、その府や市の正式な後援がないプロジェクトに、弊社としてコミットするのは、少し難しいと言いますか」

「前向きに検討はさせていただきます」


 地元の銀行の頭取は、そう言いながら、私たちが持参した資料を、見ることなくテーブルの隅に追いやった。その目は、「面倒事を持ち込むな」と、雄弁に語っていた。

 誰もが、口を揃えて「素晴らしい計画だ」と褒め称える。

 しかし、いざ「では、ご協力を」と本題に入った途端、途端に口を濁し、曖昧な返事に終始するのだ。

 最初は、その理由が分からなかった。


 だが、何人もの有力者と会ううちに、私たちは、その壁の正体に気づき始めた。

 それは、「しがらみ」という名の、この国に深く根を張った、古くからの呪いだった。


「みんな、怖がっているんだ」

 ある夜、事務所に戻った私は、重い口を開いた。

「吉本は、いなくなった。だが、彼が長年かけて作り上げた、利権と癒着のネットワークは、今も亡霊のように、この街を支配している」


 吉本派の議員、彼と蜜月の関係にあった企業、恩恵を受けてきた業界団体。

 彼らは、表立っては何も言わない。

 だが、水面下で、私たちのプロジェクトに協力しようとする者に、無言の圧力をかけているのだ。

「あのプロジェクトに関わると、どうなるか、分かっているだろうな」と。


 安田理事長のような役人が動かないのも、ただの事なかれ主義だけが理由ではなかった。彼らもまた、その「しがらみ」の中で、身動きが取れなくなっているのだ。


「どうすりゃいいんだよ」

 電堂が、苛立たしげに髪をかきむしる。

「敵の顔が見えねえんじゃ、戦いようがねえじゃねえか」


 まさに、その通りだった。

 吉本ごうぞうという、明確な「悪役」がいた時は、まだ戦いやすかった。

 だが、今、私たちが対峙しているのは、誰の心の中にも潜む、「波風を立てたくない」という弱さや、「長いものに巻かれろ」という打算が生み出す、巨大な「空気」そのものだった。

 それは、かつて私を孤立させ、魔女裁判へと追い込んだ空気と、全く同じものだった。


 事務所に、重い沈黙が流れる。

 せっかく見え始めた希望の光が、分厚い霧の中に、再び閉ざされようとしていた。

 その沈黙を破ったのは、意外にも、それまで黙って話を聞いていた渡辺だった。


「あの、僕、思うんです」

 彼は、まっすぐな目で、私を見た。

「大きな壁を、正面から壊すことばっかり考えてましたけど壁を乗り越えるんじゃなくて、壁の向こう側にいる人たちに、直接、声を届けることはできないんでしょうか」


「どういうことだ?」

「大手企業や有力者が動かないなら、もう、いいじゃないですか」


 渡辺は、吹っ切れたような顔で言った。

「僕たちの仲間は、商店街のおっちゃんや、子育てしてるお母さんたちです。そういう、名もなき普通の人たちの『やりたい!』っていう声を、もっと、もっと、たくさん集めるんです。一つひとつは小さくても、その声が何千、何万と集まれば、それは、どんな壁よりも大きな力になるんじゃないでしょうか」


 その言葉は、暗闇の中に差し込んだ、一筋の光だった。

 そうだ。なぜ、私たちは、また「上」を動かすことばかり考えていたんだ。

 私たちの戦い方は、いつだって、名もなき人々の「ハピネス」を起点にすることだったはずだ。

 私は、大きく、頷いた。


「渡辺君、君の言う通りだ。私たちは、戦う相手を見誤っていた」

 見えない壁を、壊すのではない。

 壁の向こう側に、壁を無視して、新しい世界を、自分たちの手で創り上げてしまえばいいのだ。


「電堂、戦略を切り替えるぞ」

 私の目に、再び闘志の炎が灯った。

「ターゲットは、大企業じゃない。この街に住む、すべての人々だ。大阪中を巻き込む、最高に楽しい『お祭り』を仕掛けるぞ」

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