第15章:夢の跡地から、もう一度
あれから、一年。
日本の社会を揺るがした「万ミャクゲート事件」の喧騒は、日々のニュースの奔流の中に掻き消され、人々の記憶からも薄れ始めていた。
吉本ごうぞうは、裁判で前代未聞の実刑判決を受け、今も塀の向こうにいる。彼が築き上げた欲望の塔は、跡形もなく解体された。
そして今日、私は、再びこの地に立っていた。
かつて「夢の島」と呼ばれ、今は「負の遺産」の象徴となった、大阪湾岸の広大な埋立地。
秋の穏やかな日差しが、解体もされずに放置された、くすんだ色のパビリオンの残骸を照らしている。風が吹くと、錆びた鉄骨が、まるで亡霊の呻き声のように、寂しげな音を立てた。
ここは、巨大な夢の墓場だ。
金と権力に食い荒らされた、巨大な夢の、残骸が広がる場所。
「ひどい景色だな」
私が誰に言うでもなく呟くと、隣から声がした。
「ああ。だが、ここから始めるんだろ?」
声の主は、黒沢だった。彼の後ろには、氷室、すっかり精悍な顔つきになった渡辺、そして電堂もいる。
事件の後、私たちは、一つの会社を立ち上げた。
その名は、『株式会社ドリーム・ダスト・インキュベート』。
夢の残骸の中から、新たな価値を孵化させる、という意味を込めて。
私たちの最初の仕事は、この大阪万ミャク跡地の再生プロジェクトに、コンサルタントとして参加することだった。もちろん、国や府からの正式な依頼ではない。ほとんど無報酬に近い、ボランティアのような仕事だ。
「しかし、相変わらず役所の連中は頭が固いぜ」
電堂が、うんざりしたように頭を掻いた。
「この跡地をどうするかって会議、もう半年もやってるが、出てくる案は『巨大ショッピングモール』だの『タワーマンション』だの、どこにでもある金儲けの話ばかり。何の哲学も、夢もねえ」
「数字しか見ていないからよ」
氷室が、冷静に分析する。
「彼らの命題は、この土地が生んだ巨額の負債を、いかにして回収するか、だけ。そこに住む人々のハピネスなんて、KPI(重要業績評価指標)には入っていないのよ」
まさに、万ミャクが失敗した構図の、繰り返しだった。
私は、静かに言った。
「だから、我々がやるんだ。彼らが見ようとしない、本当の価値を示すんだ」
私は、パビリオンの残骸の向こうを指さした。
その先には、広大な空き地が広がっている。本来であれば、巨大なホテルやアトラクションが建設されるはずだった場所だ。
だが今、そこに広がっているのは、どこからか種が飛んできたのか、たくましく根を張り、可憐な花を咲かせている、名も知らぬ野草の群生だった。
そして、その空き地の一角に、小さな賑わいが生まれていた。
地元の農家が新鮮な野菜を売る、小さなファーマーズマーケット。
若いアーティストたちが、自らの作品を並べる、手作りのアートギャラリー。
キッチンカーでやってきたカフェの周りでは、近所の親子連れが、楽しそうに笑い声を上げている。
それは、渡辺が中心となって、地域の人々に声をかけ、少しずつ、少しずつ育ててきた、ささやかなコミュニティだった。
「行政は、最初『許可なく土地を使うな』ってうるさかったんですけどね」
渡辺が、誇らしそうに、そして少し照れながら言った。
「でも、ゴミだらけだったこの場所が、だんだん綺麗になって、人が集まるようになったら、何も言わなくなりました」
巨大な資本も、政治家の号令も、そこにはない。
あるのは、自分たちの手で、自分たちの居場所を、少しでも楽しく、豊かにしたいという、人々の小さな、しかし確かな意志だけだ。
「これだよ」
私は、その光景から目を離さずに、呟いた。
「これこそが、私が本当に創りたかったものなのかもしれない」
ディズ・リゾートで創り上げたのは、完璧に管理された、美しい箱庭の中の夢だった。
だが、ここにあるのは、不格好で、未完成で、けれど、そこに生きる人々の息遣いが聞こえる、本物の「日常」という名の、夢だ。
「俺たちの次のショーは、これだ」
私は、仲間たちに向き直り、宣言した。
「この場所に、商業施設でも、タワマンでもない、まったく新しい価値を創り出す。国や行政を、そして世界を、あっと言わせるような、最高のショーをな」
それは、途方もなく困難な挑戦であることは、誰もが分かっていた。
だが、彼らの目には、不安の色はなかった。
あるのは、かつて夢の国で最高のショーを創り上げていた時と、何ら変わらない、プロフェッショナルとしての、静かで熱い高揚感だけだった。
欲望の塔は、崩れ去った。
だが、夢の残骸が広がるこの大地から、今、新しい物語が始まろうとしている。
それは、誰かに与えられる夢ではなく、自分たちの手で創り出す、未来の物語だ。
私は、秋の空を見上げた。
その空は、私が大阪に初めて来た日に見た、絶望的なまでに濁った灰色ではなく、どこまでも高く、そして澄み渡るような青色をしていた。




