第12章:ショーを始めよう
ホテル「インペリアルパレス大阪」の宴会場「鳳凰の間」は、偽りの栄光と、欺瞞に満ちた祝祭感に包まれていた。
天井からは、成金趣味のシャンデリアが眩い光を放ち、給仕たちが運ぶ高級シャンパンの泡が、招待客たちの虚栄心をくすぐるように弾けている。誰もが、大阪万ミャクという名の巨大な失敗作のことなど忘れたかのように、笑顔でグラスを交わし、媚びと打算に満ちた会話に興じていた。
その喧騒を、私は会場の隅、巨大な円柱の陰から、冷徹な観察者の目で見つめていた。
電堂が用意した「某IT企業の社長秘書」という架空の肩書と偽の招待状は、いとも簡単に私をこの心臓部への潜入を許した。今はまだ、誰も私の存在に気づいていない。
インカムから、電堂の声が小さく響く。
『鼠園さん、聞こえるか? そっちはどうだ』
「ああ、問題ない。最高の地獄への指定席だ」
『ハハッ、言うねえ。こっちも準備万端だ。黒沢がスクリーンを完全に掌握した。あとは、あんたの合図を待つだけだぜ』
私は、ステージに目をやった。
司会者の高揚した声が、会場に響き渡る。
「皆様、長らくお待たせいたしました! これより、本日のメインイベントに移らせていただきます! 我らが大阪の未来を、そして日本の未来を切り拓く男! 吉本ごうぞう先生に、ご登壇いただきましょう! 盛大な拍手でお迎えください!」
割れんばかりの拍手と歓声の中、スポットライトを浴びて、吉本ごうぞうが満面の笑みで登壇した。まるで、凱旋を果たした英雄のように、彼は聴衆に手を振り、深々と頭を下げる。その一挙手一投足が、計算され尽くした政治家のパフォーマンスだった。
彼は、マイクの前に立つと、わざとらしく一つ咳払いをして、悲劇の指導者を演じるかのように、神妙な面持ちで語り始めた。
「皆様。この大阪万ミャクは、決して、平坦な道のりではございませんでした。開幕当初の混乱。一部の心ないメディアからの、事実無根のバッシング。私も、会長も、断腸の思いでございました」
会場が、同情的な静けさに包まれる。
吉本は、この空気こそが自分の独壇場だと確信し、さらに言葉を続けた。
「しかし! 我々は、決して諦めなかった! 大阪の、日本の底力を見せつけ、この未曾有の国難を、見事に乗り越えることができたのであります!」
再び、大きな拍手が沸き起こる。
「そして、この成功体験を糧に、私は、次なる大阪の夢を、皆様にご提案したい! この万ミャク跡地に、アジア最大級の統合型リゾート、IRを誘致し、大阪を、世界が羨むエンターテインメント都市へと生まれ変わらせる! これが、私の最後の御奉公でございます!」
会場の興奮は、最高潮に達した。IR計画に群がろうとする、欲望に満ちた拍手が嵐のように吹き荒れる。
吉本は、その興奮を全身に浴び、恍惚の表情を浮かべた。
彼は確信していた。自分の勝利は、もはや揺るぎない、と。
鼠園は、その光景を、ただ静かに見つめていた。
インカムに、短く、そしてはっきりと告げる。
「――電堂。ショーを、始めよう」
『了解。最高のショーの、始まりだ』
吉本が、スピーチを締めくくろうと、大きく息を吸い込んだ、その瞬間だった。
彼の背後にそびえ立つ、巨大なメインスクリーンが、何の脈絡もなく、プツリと暗転した。
「ん? どうした?」
吉本が怪訝な顔でスクリーンを振り返る。会場も、何事かとざわめき始めた。
次の瞬間。
漆黒のスクリーンに、一つの映像が、音もなく映し出された。
それは、どこかの高級料亭の一室。
テーブルの上には、札束がぎっしりと詰められた桐箱。
そして、その桐箱を、満面の笑みで受け取っている男の顔が、大写しになった。
――吉本ごうぞう、その人だった。
「なっ!?」
吉本は、言葉を失い、凍りついた。
会場のざわめきが、どよめきへと変わる。
映像は、止まらない。
画面は、氷室が作成した、冷徹なまでに分かりやすいグラフへと切り替わった。
『大阪万ミャク 資金流動図(裏帳簿)』という、禍々しいタイトル。
万ミャクの予算が、なにわジオテックやデジタル浪速といった企業に流れ、そこから何層ものペーパーカンパニーを経由して、最終的に『明日の大阪を創る会』という名の、吉本の政治資金団体に吸い上げられていく金の流れが、一本の赤い矢印で、無慈悲に示されていた。
「こ、これは! 捏造だ! 誰かの陰謀だ!」
吉本が、マイクに向かって金切り声を上げる。
だが、その声は、次の瞬間に映し出された、決定的な証拠によって、虚しくかき消された。
スクリーンに映し出されたのは、吉本の銀行口座の、入出金記録そのものだった。
ペーパーカンパニーからの入金額と、彼の口座の入金額が、完全に一致している。
会場は、水を打ったように静まり返った。
誰もが、息を飲む。
シャンパンの泡が弾ける音さえも聞こえない、絶対的な沈黙。
スポットライトを浴びたまま立ち尽くす吉本の額から、脂汗が滝のように流れ落ちていた。
彼の、そして彼の帝国が、音を立てて崩れ落ちていく、その瞬間。
私は、会場の後方、円柱の陰から一歩踏み出し、深く、息を吸い込んだ。
「――今だ」。
インカムから聞こえる電堂の合図と、自分の心臓の鼓動だけが、やけにクリアに響いている。
私は、マイクも持たずに、しかし、この会場の誰にも届くように、腹の底からの声を、静寂へと放った。
「――吉本さん。あなたのショーは、もう終わりです」
一斉に、驚愕と好奇の視線が、ナイフのように突き刺さる。その視線の海を、モーゼのように割りながら、私は、ステージへと続くレッドカーペットを、一歩、また一歩と、踏みしめて進んだ。スポットライトを浴びて立ち尽くす、あの男の、絶望に歪んだ顔が、スローモーションのように見えた。
「――聞こえるか、吉本」。
「お前が終わらせたはずの、主役の登場だ」。
ステージの上から、幽霊でも見たかのように、震える声が聞こえてくる。
「ね、鼠園! なぜ、お前が、ここに!」
私は、ステージの階段を一段、また一段と上りながら、マイクを奪い取ると、地獄の底から響くような、静かで、しかし、どこまでも重い声で、言い放った。
「ここからは、私のショーの時間だ」




