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第8話 五年前の惨劇

「リン、か……!?」


 思わず口に出ていた。

 目の前の少女が剣を構えてこちらを睨んでいる。

 その瑠璃色の瞳、凛とした声、躍動する肢体。

 それは、原作の資料集で何度も見た姿。

 しかし今この瞬間、それは紛れもなく生きた現実だった。


「な、なんでボクの名を……!?」


 少女――リン・アーカーが警戒心を露わに剣を構え直す。

 はあ……その険しい表情すら愛おしいね。

 思わず、にやけそうになる頬を抑えるのが精一杯だった。


「本当に怪しい奴だなっ!」


 叫んだ瞬間、彼女は地を蹴った。

 鋭い踏み込み。

 迷いのない剣筋。

 小柄な体に宿った爆発的な加速。

 俺はどうしても、彼女に対して手が出せなかった。

 推しが目の前で躍動している。

 その事実だけで、胸がいっぱいになる。

 だから、俺はただ……。


 受けて、受けて、受けまくった。


「守ってばかりで、情けない奴め!」


 怒号と共に、リンが飛び退く。

 そして、大きく息を吸い込んだ。


「いいさ! ボクの必殺――」

「――情けなくなんかありませんっ!」


 叫んだのは、エミリアだった。


「えっ!?」


 乱入者の姿を見て、リンの動きが止まる。 


「キミ、さらわれそうになってたんじゃ……?」


 リンが眉をひそめる。

 エミリアは一歩前に出て、俺の腕をぐっと取った。


「さらわれる? そんなまさか。この方は、ヴァルド・レイヴンハルト様。私の……こ、こ、婚約者さまですっ!」


 静寂。

 俺の脳内は爆発した。


「……死んでもいい」 


 ついつい言葉が零れ落ちる。

 顔を真っ赤にして言い切ったエミリアに、俺は魂の底から感謝した。

 リンはというと。


「あ、そ……そ、そうだったんだ。こんな夜更けに女の子連れて歩いてたからさ、ひ、人さらいかと……えっと、ゴメン!」


 と、頭を下げながら「たはは」と笑った。

 いいよ。

 いいよ全然。

 むしろ間近で動いてるとこ見られて幸せだったよ。

 天国かと思っちゃった。


「誤解が解けたようで、よかったよ」


 どうにか口に出した俺は、気を取り直して話しかける。


「それはそうと、キミに用事が」

「人の屋敷の前で何をしておる!」


 咆哮のような声に遮られた。

 屋敷の門が開かれ、数人の護衛を引き連れた男が姿を現す。

 その体は豚のように肥え、下膨れの顔には脂汗が滲んでいる。

 この男こそ、アグネアの町の長、ドルマン・ジョーヴァー。

 彼は細い目でこちらを一瞥し、リンに気づくと鼻を鳴らした。


「む? またキサマか……。騒ぎを起こすなと、何度言えばわかる?」


 リンの顔から血の気が引いた。


「う……そ、それじゃっ……!」


 そのまま背を向け、走り去っていく。

 俺は彼女の小さな背中を見送った。

 予想外なファーストコンタクトだったが、彼女が無事で何よりだ。

 推しが、確かにこの世界で生きている。

 それだけで、胸がいっぱいだった。


「それで? どちら様で?」


 ドルマンの問いかけに、俺は振り返る。


「旅の者だ。宿に泊まれなくてな」


 ドルマンはニコリと笑う。


「いやはや、そうでしたか。よろしければ、今宵は我が屋敷にてお休みください。ちょうど今、夕餉の準備をしていたところでして……ご一緒にいかがかな?」

「まあ、お食事まで……!」

 

 エミリアが安心したように表情を綻ばせる。

 俺は少し間を置いて、笑みを作った。


「……お言葉に甘えさせていただきます」




------




 広々とした食堂。

 長いテーブルに並べられた皿には、豪勢な料理が並んでいた。

 ドルマンは終始にこやかに、俺たちをもてなしている。


「いやあ、それにしても。若い男女の二人旅など、羨ましい限りですな。して、その旅の目的は?」

「新婚旅行みたいなものですよ」

「――っ!?」


 俺の適当な返しに、エミリアが咳き込む。

 ドルマンはにこにこと笑っていたが、その目はどこか冷たい。


「それは結構なことで。……ですが最近、このあたりでは人さらいが多発しておりましてな。自警団が総力を挙げておりますが、なかなか尻尾が掴めんのです」

「人さらい……宿屋の女将さんも、おっしゃっていましたね」

「そうでしょう、そうでしょう。特に美しい女性は狙われやすい。お嬢さんもお気をつけて」


 にやり、とドルマンの口角が上がる。

 気持ち悪い顔だな。

 エミリアもドン引きしてるぞ。

 

「町長として恥ずかしい限りではございますが……この町には、長居しない方がいいかもしれませんな」

「お気遣いありがとうございます。ですが、ヴァルド様はとってもお強――」

「いえ、そうさせてもらいます」


 エミリアの言葉の続きを制す。

 ドルマンは笑ったまま、ナイフで肉を切りながら言う。


「それがよろしい。人さらいだけでなく、物騒な娘もおりますしな」


 リンのことだな。

 ドルマンの言葉に、エミリアが反応を示す。


「先ほどの方、ですよね」


 ドルマンはグラスを置き、ゆっくりと頷いた。


「ええ。あれは、元自警団長であるガレッドという男の娘です」

「自警団の……。でも、なぜそんな方が、あんな……」


 続きを飲み込むように、エミリアが視線を伏せる。

 ドルマンは重々しくため息をついた。

 まったく、芝居がかった動作だな。


「……五年前、この町は大きな災厄に見舞われました。魔物の群れが突如として襲来したのです」


 エミリアの肩が、微かに震えた。

 あの夜を思い出したのだろう。

 彼女の中の記憶が疼いているのが、よく分かった。

 ドルマンは、まるで英雄譚を語るように話を続ける。


「自警団の奮闘により、被害は最小限に抑えられました。ですが、その直後です。当時の団長だったガレッドが、魔物を誘導していたという証拠が見つかりましてな」

「そんな……」


 エミリアから小さな声が漏れる。

 ドルマンはそれを肯定するように、ゆっくりと首を振る。


「もちろん、彼は責任を問われ……そして処罰されました。あの娘は、父の罪を認めようとせず、今なおこの街にしがみついている。まったく、始末に負えませんよ」


 エミリアは返す言葉を失った。

 無理もない。

 知らない土地で、初対面の町長から語られる裏切りと死の話。

 彼女のような優しい子が、どう受け止めればいいというのか。

 俺は黙って、冷めかけた肉を咀嚼する。

 心の奥で、怒りが泡立つのを感じていた。


 ……よくも、ここまで白々しく語れるものだな。

 《《全てが嘘》》だと知っているからこそ、その笑顔が、乾いた声が、どうしようもなく耳障りだった。


「……お客様にする話ではありませんでしたな。さ、食事が冷めてしまいますよ」


 ドルマンは悪びれもせず、にこやかに笑ってみせた。

 俺はナイフを置いた。

 今ここで、この醜い豚の喉を裂くことだってできる。

 だが、それはまだ早い。

 こいつが奪ったものを、推しの尊厳を、過去を。

 取り返してからでなければ。


「ごちそうさまでした」


 エミリアがかすかに頭を下げ、俺も立ち上がる。


「おい、案内して差し上げなさい」


 使用人が黙って一礼し、俺たちを奥の部屋へと導いた。

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