第7話 青の少女
冷たい風が頬を撫でていく。
馬を駆る俺の前に、少女の華奢な体がすっぽりと収まっていた。
「……ヴァルド様、そろそろ真面目に手綱を持っていただけませんか?」
普段より少し低い声音で、むすっと言い放つ彼女――エミリア・モルフィード。
その冷たい言葉とは裏腹に、彼女の耳は真っ赤に染まっていた。
彼女は元々は我が家の従者であり、現在は婚約者。
そして何より、俺の『推し』の少女である。
「手綱? 持ってるぞ?」
「両手で、持ってください」
あ、それは無理です。
なぜなら片手は君の腰に回ってるから。
その手にさらに力を籠めて、彼女の体を引き寄せる。
「あう」
そのまま俺は彼女の後頭部、柔らかな栗色の髪に顔をうずめる。
「すんすんすんすん」
「かっ、嗅がないでください! 臭いですよっ!?」
「大丈夫、落ち着く香りがする」
「~~~っ! もうっ!」
こんなことをしても大丈夫。
だって今は馬の上。
下手なことをすると落ちちゃうもんね。
身動きできないね。
されるがままなの可愛いね。
「この辱めも、あと半日の辛抱です……」
エミリアがぼそっと呟いた。
推しを救う旅に出て、今日で七日目。
目的地は大陸北東にある町、アグネア。
「そうだな、今日の夜には着くはずだ。久しぶりの風呂と柔らかい寝床だな」
俺の言葉に、エミリアの華奢な肩が少しだけ緩んだ。
旅立ちの時、家族に「エミリアさえ居れば何もいらない」と啖呵を切りはしたが、何もしなくても温かい食事や広い風呂、清潔なベッドが用意されていた環境から、一気に変わって今や野宿続き。
俺は大丈夫だけど、エミリアはきっと辛いだろう。
うう、早く何とかしてあげたいな。
「あ、そういえば。アグネアって、どんな町なんですか?」
「何の変哲もない地方都市だ。特に名物とか、目立ったものは無い」
「はあ。でも、そこに居らっしゃるんですよね? ……『救いたい人』が」
「……ああ」
そう。
エミリアの言う通り、そこには俺の『推し』が居る。
「どんな方なんですか?」
「どんな……」
彼女のことを思い浮かべると、自然と口元が緩んだ。
「ひたむきで、頑張り屋で、正義感が強くて。自分を曲げない、まっすぐな子だ」
俺が答えると、エミリアは少しだけ沈黙し、ぽつりと尋ねた。
「……美人な方ですか?」
うん。
嫉妬してるね。
俺はたまらず両手でエミリアを抱きしめ、すりすりと頭に頬ずりした。
「エミリアは可愛いねえええええ」
「あううっ、た、手綱! 危ないですって!」
彼女は慌てて大声を出す。
その仕草がまた可愛くて、俺は無言で天を仰いだ。
――尊い。
「早く手綱持ってください!!」
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アグネアの町にたどり着く頃には、空はすっかり夜の帳に包まれていた。
街は故郷の村よりずっと大きく、建物も背が高い。
通りの明かりが眩しくて、エミリアは物珍しそうにきょろきょろしていた。
俺はと言えば、「推しの住む町に来た」という事実だけで、胸が騒ぐ。
そわそわと足を早めながら、まずは宿屋へと向かった。
「――満室だよ」
「え?」
「当たり前じゃないか。こんな夜更けに入って来たって、部屋なんか開いてないよ」
俺は愕然とした。
ゲームだと、いつ宿屋に行っても泊まれてたけどな。
現実だとそうもいかないのか。
「そこを何とか、泊まれないか?」
「うーん……泊めてあげたいのは、やまやまだけどねえ」
無理そう。
確かこの町には、他に宿は無かったはず。
諦めるしかないか。
「どうしましょう……また、野宿でしょうか……」
不安げなエミリアの声。
あああ、そんなしょぼくれないで。
そうだよね、やっとまともな場所で寝れると思ってたのにね。
泊ってる他の旅人たち、やっちゃおうかな。
破壊と殺戮の衝動出しちゃおうかな。
そしたら部屋に空きが出るもんね。
などと考えていると、女将がポンと手を打った。
「町長さんの屋敷を頼ってみたらどうだい? 大きなお屋敷に住んでらっしゃるし、旅人を泊めてくれることもあるよ」
「町長……?」
俺は思わず声をひそめた。
町長か……あんまり関りたくないなあ。
うーん。
「最近、物騒な事件も起きてるしね。人さらいが出るって噂で、野宿は危ないよ」
「人さらい……! それなら、ぜひ町長様のお屋敷をお訪ねしてみましょう」
エミリアが前向きに頷く。
俺は内心で「野宿のがマシだぞ」と思いつつ、エミリアが嬉しそうにしてるのを見て、仕方なく頷いた。
「……よし、行こうか」
町の外れに構えられた大きな屋敷。
門の向こうに灯りが揺れている。
それがアグネアの町の長――『ドルマン・ジョーヴァー』の邸宅である。
「わあ、レイヴンハルト家よりも大きい……」
エミリアが屋敷を見上げて言う。
確かに、貴族でもないイチ町長が持つには大きすぎる屋敷だな。
あの男に貸しを作るのは癪だが……背に腹は代えられない。
門に手をかけようとした、その瞬間。
「――待てッ!!」
闇の中から、甲高い声が飛び出した。
風を切る音とともに、目の前に何者かが躍り出てくる。
俺は咄嗟にエミリアの手を引き、俺の背後に移動させた。
フードを被った小柄な影。
抜き放たれた長剣が、月明かりに閃いた。
「怪しい奴! 名を名乗れ!」
と言いながら、何者かは剣先をこちらに向けて踏み込んでくる。
間髪入れず襲いかかってくる相手に、俺は防御姿勢を取る。
「名乗る猶予くらいくれよ!」
こちらも即座に抜剣。
敵の攻撃を受け止める。
正確で、無駄のない踏み込み。
素人の動きじゃない。
「防がれたっ……!」
ハラリ。
フードが風に煽られ、落ちた。
「なっ――!?」
現れたその顔に、俺の意識が弾け飛ぶ。
長く伸びた青い髪が、ひとつに結ばれて揺れている。
瞳は夜空を思わせる瑠璃色。
強い意志が宿った眼差し。
現れたのは――
――二人目の推し『リン・アーカー』だった。




