第40話 人斬りと失墜
「人斬りが出たぞー!」
怒号を発しながら、通りを駆け抜ける人々。
「始まったか……行くぞ」
俺は最後の一口を呑み込むと、席を立った。
通りへ出ると、人の波がこちらへ雪崩れ込んでくる。
叫び、泣き、逃げ惑う人々。
その向こうで、ひとりの男が血まみれの斧を振り回していた。
「グ…………ルル……」
男の目は虚ろに白く濁り、涎を垂らしながら呻いている。
理性の欠片もなく、ただ斬りつける操り人形のような動き。
「こ、怖いです……」
「大丈夫だ、後ろへ」
震えるミリィを、そっと背後に隠す。
「ボク、抑えようか?」
剣の柄に手をかけるリン。
「いや、少し待っていれば……」
「下がれー! 我々に任せるんだー!」
来たな。
同じ柄のジャケットを身に着けた集団。
恐らく、この小人族の町の自警団だ。
連携の取れた動きで、危なげなく数人がかりで組み伏せた。
暴れた人斬りの男はしばらく抵抗したが、やがて膝をつき、血の泡を吐いて倒れ込む。
「やっと大人しくなったか……って、アレ?」
「た、炭鉱夫のゴルドさんじゃないか……?」
「嘘だろ、あんなに大人しい人が!?」
ざわめく群衆の声。
倒れた男は虚ろな瞳で天を仰ぎ、掠れ声をもらした。
「……俺は……いった、い……なに、を……」
そこまで言って、力なく首を倒す。
意識を失ったのだろう。
周囲に居る野次馬みんなが、気絶した男の素顔に驚いている。
だが俺の視線は、別のものに釘付けになっていた。
先ほどまで彼が振り回していた、斧だ。
地面に転がったその斧は、ただの道具ではなかった。
黒い靄のような瘴気を纏い、じわじわと石畳を焼き焦がしている。
「……呪具」
ティアが小さく呟いた。
お、さすが神託の巫女さまだ。
ご名答。
眺めていると、自警団のひとりが斧を拾い上げた。
次の瞬間。
「ぐっ……ルル、アァァアアアアッ!」
白目をむいて、首筋に太い血管を張り巡らせる。
斧から漏れ出た瘴気が、握った手から腕、肘、肩……と、全身に纏わりついた。
「乗っ取られたな」
「ええ。解呪しない限り、連鎖は終わらないでしょう」
呪具、とは。
その名の通り、呪いの魔力を込めて作られた道具である。
呪いの効果は様々。
力が入らないようになるとか、しゃっくりが止まらないようになるとかって可愛らしいものから、使用者が死に至るような危険なものまで。
目の前で自警団の一人が振り回している斧にかけられた呪いは、恐らく『自我を失って錯乱状態になる』みたいな効力だろう。
「そ、それでは……あの斧をどうにかしない限り……?」
エミリアが不安げな顔で問う。
俺はこくりと頷いた。
「そうだな。だけど心配いらない、俺が壊す――」
「――いえ、私に任せて下さい」
雷を放とうとした俺を制止し、ティアが一歩前へ出た。
銀髪をなびかせた彼女は、両掌を交差した状態で突き出し、小さく唱える。
「……解呪」
掌から放たれた淡い青白の光は、ゆっくりと暴れる男に近づく。
そして触れた瞬間、ふわっと広がった。
「ガ……!?」
霧散した光の粒子が斧の瘴気に吸着し、天へ引っ張り上げる。
全ての瘴気が取り除かれたとき、自警団の男は斧を取り落し、地に伏した。
からんからんと乾いた金属音が鳴る。
「もう大丈夫です。呪いは解かれました」
おおー、と周囲から感嘆の声が漏れる。
「流石です、ティアさん!」
「うーっ、良いとこ持ってかれたー!」
「すごいです……まるで女神さまみたいです」
ぱちぱちぱち、と全員で拍手。
はっはっは、そうでしょうそうでしょう。
俺の推しは凄いんですよ。
いやそれにしても、ティアは呪いを解くことができるのか。
斧自体を壊してしまえば、それ以上呪いの影響を受けることは無いから、別に困りはしなかったんだけど……こっちのやり方の方が人も傷つける心配ないし、スマートだなあ。
「どれどれ、この斧はいったい何なんだ……?」
また別の自警団の男が、斧を拾い上げた。
そして柄の部分を見て、顔色を変えた。
「こ、これは……!」
周囲の市民も覗き込み、次の瞬間ざわめきが怒号に変わる。
その男はきょろきょろと周囲を見渡し、そしてこちらへ視線を向ける。
ぷるぷると斧を握った腕を振るわせながら、彼は口を開いた。
「ドルハード工房の銘が打たれてあるぞ!」
その言葉に、視線が一斉にミリィに集まる。
彼女は真っ青になって首を振った。
「ち、違います! そんなモノ知りません!」
だが、彼女の小さな叫びは罵声にかき消された。
「ドルハード工房が呪具を……!?」
「そういやあ、あそこは代替わりしたばかりじゃなかったか?」
「ちょうどいい! 町に災いを呼ぶ店なんて要らねえよ!」
「閉じちまおう! あんな工房は今すぐ!」
一人の文句がやがて束になり、怒涛の勢いになってミリィを突き刺す。
怯えるミリィの肩を、エミリアが必死に抱きとめた。
「やめてください! 彼女は何も……!」
その傍らで、リンは今にも飛び出しそうに拳を握りしめていたが、俺が腕を掴んで止めた。
「落ち着け。今やっても火に油だ」
「でもっ!」
「俺が必ず証明する」
リンは唇を噛み、悔しそうに引き下がる。
ティアは流石、落ち着きはらった様子で、群衆を無言で見渡していた。
そこへ、灰色の外套を羽織った男が人垣を割って進み出た。
「静まれ! 鍛冶ギルド、監査官だ!」
低い一喝に、群衆がわずかに押し黙る。
鍛冶ギルドとは、小人族の主産業である鍛冶業を取り締まっている組織。
監査官は冷たい視線を工房に向けた。
「本件は炉審にて裁定する。明日正午、会堂にて公開審問を行う」
その言葉に市民たちは口々に「当然だ!」と叫び、散り散りに去っていった。
残された俺たちの前に、沈黙が落ちる。
ミリィは膝をつき、震える手で顔を覆って泣いていた。
エミリアが必死に背をさすり、リンは拳を震わせ、ティアは目を伏せて祈るように佇む。
これが、このミリィ・ドルハードというキャラクターの悲惨な運命。
『冤罪による鍛冶資格の剥奪』である。
だが、そんな結末にはさせない。
推しを泣かす奴は、たとえどんな巨大な組織だろうが、俺が許さない。




