第39話 鉄都の朝は早い
――カン、カン、カン。
かすかな金属音が夢を揺らした。
まだ薄暗い時間だというのに、胸の奥を叩かれるようなその響きで目が覚める。
音は下の階から聞こえているようだった。
階段を下りると、赤銅色の短髪を揺らしながら忙しなく動き回るミリィの姿があった。
髪は寝癖で少し跳ねているのに気にする様子もない。
炉の前で木箱を運び、道具を磨き、手際よく準備をしている。
額にかいた汗を指先で乱暴に拭っては、また次の作業へ。
まるで小さな体すべてで、工房を支えているようだった。
俺は、しばらく見惚れてしまっていた。
推しが夢中で作業に向かっている。
これ以上の尊さがあってたまるか。
「……おはよう」
声をかけると、ミリィがびくりと肩を揺らした。
「わっ……す、すみません! 起こしてしまいましたか?」
慌てて道具を下ろし、こちらに駆け寄ってくる。
「いや、最高の目覚ましだよ」
思わず本音が漏れる。
「毎日この音で目を覚ましたいくらいだ」
「は……はわ……」
みるみる赤く染まっていく頬。
両手を胸元でおろおろさせる姿に、俺の寿命がまた縮んだ。
いや、逆に延びたかもしれない。
そんなやり取りをしていると、階段の上から眠たげな声が落ちてきた。
「ふわ……よく寝ました……」
エミリアが小さくあくびをしながら降りてくる。
続いてリンが勢いよく飛び出した。
「あー、ひっさしぶりに広々寝られた! 最高だ!」
満足げに腕をぐるんと回して伸びをする。
「……静謐な夜でした」
ティアも裾を整え、静かに髪を掻き上げる。
「ホントにありがとーミリィ。ボクたち、普段宿に泊まる時は四人で一部屋か、贅沢して二部屋だからなあ」
「はわっ、そうだったんですか! それは良かったです。うち、以前は職人さんたちが住み込みで働いていましたので、部屋数だけはあるんです!」
三人のプリンセスは、久々の一人部屋にたいそう感激した様子だった。
ぐー。
工房に鳴り響くお腹の音。
その主は、先ほどまでせわしなく働いていた、小さな職人だ。
「さ、作業に夢中で朝ごはんを忘れてました……」
ミリィは悲しげな顔でお腹をぽんと抑える。
「食材はありますか? もしキッチンを貸していただけるのであれば、私が作りますよ」
エミリアが優しく微笑む。
そうだよね、元々メイドさんだもんね。
家事はお茶の子さいさいだ。
「いえっ! お客様の手をわずらわせるわけにはっ! ……そうですっ、アタシがよく行く食事処があるんですが、そこへ行くというのはどうでしょう?」
「外で朝食か。いいな、行こう」
ミリィの提案で、俺たちは通りに出た。
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朝のドランメルはすでに賑わっていた。
通りの両脇には炭袋を担いだ職人たちが行き交い、早くも炉の煙が上がっている。
石畳を踏むたび、昨日よりも強い鉄の匂いを感じる。
「皆さん、朝が早いんですね」
エミリアが目を丸くする。
「職人さんは炭鉱に行ったり炉の準備をしたりで、どうしても早起きなんです。だから通りの店も、この時間から営業してるんですよ」
誇らしげに説明するミリィ。
「着きました! こちらですっ」
案内されたのは、年季の入った一軒の建物だった。
「……とても、時の移ろいを感じるお店ですね」
ティアがぽつりと呟く。
皿とナイフ、そしてフォークの描かれた看板が、煤けて色を失っている。
営業中なのかそうでないのか……というよりは、人が住んでるのか廃墟なのか、わからないような外観だ。
そんな店に、ミリィは一瞬の躊躇もなく入る。
俺たちも続いて入店。
「いらっしゃ――おぉ!? ミリィ嬢ちゃんじゃねぇか! 久しいな!」
「はいっ、お久しぶりです!」
カウンターの奥で出迎えた店主は、しわくちゃの顔に人懐っこい笑みを浮かべていた。
ミリィは店主に挨拶すると、こちらへくるりと向き直る。
「祖父とよく来ていたお店です。とっても美味しいんです!」
「この方たちは……ミリィ嬢の客人かい?」
俺たちを見て、店主は少しだけ目を細めた。
その視線は、どこか探るようでもあった。
「はいっ。色々とお世話になったので、昨晩は工房に泊まってもらったんです!」
「へえ……どちらさんで?」
「旅の者だ。この町で少し装備の補強をしていきたくてな」
「旅の者……ねえ。それじゃあ――」
応じると、さらに細かい質問が返ってくる。
出身は? どこから来た? どこに向かう? 旅の目的は?
俺はその全てに、詰まることなく即答していく。
「もう! 質問ばかりじゃ困っちゃいますよ!」
やがて、ミリィが抗議し、ようやく店主は苦笑して頭を下げた。
「悪い悪い。最近は物騒だからな。人斬りが横行してるって噂でよ」
そう言って、卓にパンやベーコンエッグのセットを並べていく。
注文はまだしていないはずだが……朝食は決まったセットがあるのだろうか。
一通り並べ終わった店主は、ふきんで手を拭きながら続けた。
「それに、爺さんから頼まれててな。ミリィを見守ってやってくれって」
「なるほど、それでボクたちが怪しく見えたわけだね」
リンが得意げに頷く。
店主は「気を悪くしたらすまん」と笑った。
「いや、大丈夫だ。警戒するのは当然だよ」
「ええ。人斬りだなんて……本当に恐ろしい」
俺たちは「怖い事件だな」と話を交わしながら食事を続けた。
半分ほど食べ進めた、そのときだった。
「――人斬りだ! 人斬りが現れたぞ!!」
店の外から聞こえてくる男の怒声。
「なにィ!? 人斬りだと!?」
「噂をすれば、ということですかね」
「ボク、ちょっと手合わせしてみたいっ!」
「……私たちが不幸になる未来は見えません。きっと、大丈夫でしょう」
騒然とする店内で、俺は口に含んでいたパンを嚥下した。
「――始まったか」




