第4話 王都? 褒章? ご遠慮します
グルザガン討伐の翌朝。
食卓に漂う香りは、いつもと変わらなかった。
焼きたてのパン、香ばしいベーコン、湯気を立てるスープ。
ただ、空気だけが明らかに違っていた。
「いやあ、昨日は見事だったな、ヴァルド」
父が最初に口を開いた。
昨日まで一言も名前を呼ばなかったその口が、今は朗らかに俺を見ている。
「まさかあんな化け物を一撃で……。
聞けば、最近この辺りで被害が多発していた銘魔物らしいじゃないか。まさに、神懸かり的な活躍と言っていい」
「ほんとさ!」
ディランが笑いながら俺の肩をぽんと叩く。
「いやー、俺はずっとお前には才能があるんじゃないかって思ってたんだよ。見込み通りってわけだ!」
白々しいな。
とってつけたような薄っぺらい笑顔。
「あー、それで。昨日も話した王都での褒章の件だが」
父がスープを啜りながら言う。
「お前も一緒に来るといい。王太子殿下にもぜひ、お前の武功をお伝えせねばな。
ひょっとすると、殿下直属の近衛騎士に抜擢されるかもしれんぞ」
「いえ、それはお気遣いなく」
俺はパンをゆっくり裂きながら、笑顔で答えた。
「ど、どういうことだ? 殿下に謁見できるチャンスなんだぞ?」
「そうよ。ここで殿下に気に入っていただければ、レイヴンハルト家も名門の仲間入りよ!」
慌てて両親が口を走らせる。
必死だなあ。
まるで昨日までとは別人みたいだ。
俺は一度小さく深呼吸をして、にこやかな笑みを顔面に貼りつけてから口を開いた。
「――俺、《《家族じゃない》》んじゃなかったでしたか?」
空気が、一瞬だけ静かになった。
父の手がぴたりと止まり、母の表情が固まる。
兄は視線を伏せ、ごくりと喉を鳴らした。
「ですからどうか俺のことは気にせず、皆さんだけでどうぞ。
……ああ、犬でも連れてった方がマシ、でしたっけ。
使用人に準備させておきましょう。仰る通り、空気が和むと思いますよ。」
にこりと笑って言ってやった。
はー、ちょっとスカッとした。
ヴァルドは何も言い返さなかったけど、今の俺にはしっかりその時の記憶も受け継がれてるからな。
それが家族たちに対する嫌悪感を沸き上がらせる。
「…………」
誰も、何も言えなくなっていた。
昨日まで好き放題に俺を貶していた口が、今はただ沈黙している。
まあ当然だ。
この家の役立たずが、今や村の英雄なのだから。
そんな最悪な空気の中。
俺の隣で、小さくちぢこまっている少女がひとり。
エミリアだった。
いつものメイド服ではない。
純白のレースがあしらわれた、華やかすぎない上品なドレス。
村で買える中で一番高いものを、早速昨日の晩に用意したものだ。
それはもちろん、使用人としてではなく『婚約者』として俺の傍に居てもらうため。
昨夜、俺は確かに宣言した。
エミリアと結婚します、と。
その結果、彼女は今こうして俺の隣に座って食事を取っているのだ。
つい昨日まで、自分の主人だった者たちといっしょに。
「……あれ、エミリア。あまり進んでないな」
俺はスプーンを置き、彼女の皿をちらりと見る。
「もしかして、好みの味じゃなかった? それなら」
軽く手を上げて、給仕のメイドに視線を送る。
「シェフ、変える?」
「ええっ!? い、いえっ、違いますっ!」
エミリアが慌てて手を振った。
「とっても美味しいですっ! ただ、その……慣れてなくて、緊張してて……っ」
顔が真っ赤だ。
ドレスの襟元を指でぎゅっと握って、目を泳がせている。
可愛い。
この一連のやり取り、尊すぎる。
「ならよかった。無理しなくていいからな」
俺が笑いかけると、彼女はこくこくと頷いた。
視線は膝の上。
スプーンを持つ手が、ほんの少し震えていた。
隣で何か言いかけた母の口元が動いたが、俺がギロリと睨むと、それは言葉にならなかった。
俺は気にせず、もう一口スープを口に運んだ。
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食後。
俺は自室のベッドに寝転がって、天井をぼんやりと見つめていた。
あの場でエミリアを隣に座らせたこと。
家族をあしらった皮肉なやり取り。
どれも、演技じゃない。
心からそうしたいと思った。
ただそれとは別に、どこかで、薄く引っかかる感覚もあった。
「あー……俺は、原作を壊したんだなあ」
思わず、そんな言葉を口走ってしまう。
本来なら、この村は滅びるはずだった。
焼け跡と血塗られた手記だけが残されて。
その遺された痕跡が、プレイヤーの涙腺を刺激する構成だったのだ。
だが、それはもう起こらない。
あの運命は俺が捻じ曲げた。
……本当に、これで良かったのか?
そう考えてしまうのは、たぶん、
自分がこのディアブロ・サーガを愛したファンであり、プレイヤーだったからだ。
そして。
「ってことは、《《他の推し》》も救えるってことだよな」
ポツリとつぶやいた。
実はエミリア以外にも、俺には『推し』がいた。
奴隷となった少女戦士に、人族を守るため魔物に自爆特攻をした予言の巫女、など。
原作では、彼女たちは一様に悲惨な運命を辿った。
それを何度も、何度もプレイして、何とか生き永らえさせることができるルートが無いか探って、そして何度も諦めた。
だが今なら、変えられる。
俺はこのゲームの裏ボス、ヴァルド・レイヴンハルト。
勇者にも魔王にも属さず、強敵との死闘を求めて世界を彷徨い、唐突にプレイヤーへ襲いかかる理不尽系害悪ボス。
何度倒しても強化されて復活し、最終的には全ステータスが限界突破。
勇者や魔王を超える単騎性能を得て、裏ダンジョンでプレイヤーを待ち構えることになる。
つまり世界の進行とはそれほど関係ない存在だ。
そんな本編に関与しないキャラだからこそ、俺は物語の裏で、自分の物語を歩むことができる。
だが果たして、本当にそんなことをしても良いのだろうか。
勝手な個人の思想や都合で、世界を改変してしまってもいいのか。
いや、もうすでにやっちゃってると言われればそうなんだけど……今なら引き返せる。
「……はあ、どーすればいいんだ」
俺はそんなことを考えながら、深くため息をつくのだった。




