第36話 槌音の芽吹き
「よーし、着いた着いた!」
赤い大地を踏んだ瞬間、靴底からじん、と伝わる。
潮っぽいだけじゃない。
鉄の粉が風に溶けていて、舌の奥に微かな渋みが残る。
海面の向こう、黒い岩礁が歯のように並び、波が白く砕けていた。
「わぁ……! 地面が赤いです!」
エミリアが裾を押さえ、目を丸くする。
「何だっけ、えーと、あ……あ……あかはま?」
「赤鉄の浜、ですね。空気がとても鉄っぽいです」
リンのおとぼけをティアがすかさずカバー。
それを聞いたエミリアは屈んで掌に砂をすくい、指の間からさらさらと落としていた。
俺は岸を背に、内陸の方角を確かめた。
「うし、じゃあ行くぞ。目的地はそう遠くないはずだ」
「今度の目的地は、どのような場所なんですか?」
問うエミリアの声は、心なしか弾んでいる。
うん、わかるよ。
初めての土地だもんね。
俺も同じだ。
胸の奥が、少しだけ早く打っている。
「鉄都ドランメル。小人族たちの住む町だよ」
「ドワーフ!? うわぁ~っ! 本当にいるんだ!」
「私もおとぎ話の中でしか、聞いたことがありません」
リンがぴょこんと飛び跳ね、ティアが小首を傾げる。
亜大陸とは、人族でも魔族でもない『亜族』が住む大地。
まあ、早い話が『それ以外』である。
精霊族、獣人族、小人族、etc……。
人口の少ない多様な民族が、それぞれの領土と文化を守って共生している場所だ。
「ドランメルは炭鉱と鍛冶が盛んだから、リンは良い剣が見つかるんじゃないかな」
「剣!? よーっし! みんな、ボクに続いて!」
青いポニーテールをたなびかせながら走るリン。
残された俺たち三人は顔を見合わせて笑い、遅れて後を追うのであった。
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道は浜から緩やかに上がり、低木の影が続く。
赤土に踏み跡が重なって、荷車の轍が深い。
香るのは乾いた草の匂い。
それと、たまに風向きが変わると鍛冶煙の匂いが微かに混じる。
ドランメルが近い証拠だ。
「ねえねえ、そんなに鍛冶が盛んならさあ。パンも美味しそうだよね」
……?
よくわからない意見だ。
が、推しの言葉は全肯定。
なるたけ真剣な表情を作って、うんうんと頷いて見せる。
「リンさん、鍛冶とパンは関係ないと思います」
「え、あ、そんな真面目に返されると思ってなかった。うん、それはその通りだね」
などと他愛のない会話を交わしながら、小一刻も歩かないうちに、道の先がざわついているのが見えた。
荷を高く積んだ商隊の馬車が路肩で止まっている。
車輪のあたりに集まる影。
二頭の馬が鼻を鳴らす。
近づくと、先頭の馬車の後輪が斜めに傾いていた。
輪鉄が外へずれ、木の輪がきしむ音を立てている。
「ったくよー! 早くしねえと商談があるってのに……!」
耳の長い若い商人が、額に汗を滲ませていた。
肌は砂漠色で、睫毛がやたら長く、喉元が張っている。
これは……ラクダ系の獣人族だろう。
腰に帳面を提げ、荷を気にしては足元を見、落ち着きなく視線を往復させている。
その隣で腕を組む女は落ち着いていた。
「輪鉄が冷えて縮んだか。……仕方ないけれど、ここで外れるとはね」
そこまで言って、女が俺たちに気づいた。
「旅の者か。通行の邪魔をしてすまない。少し待ってくれれば、なんとか……」
「いや、別に邪魔になってないよ。それより、無理に走ると折れるぞ」
俺が言うと、彼女は苦い顔で頷いた。
「分かってはいるんだが、納期ってやつがあってな――」
そこで、馬車の陰から小さな影がぴょこんと現れた。
短い足、分厚い手袋、腰に吊った折りたたみの火床。
顔は幼い。
だが目がまっすぐで、火種みたいに明るい。
「お困りのご様子! ここはアタシに任せてくださいっ!」
その子は、迷いなく後輪に膝をついた。
「まあ、可愛らしい」
「え」
エミリアが口に手を当てて微笑んだその横で、俺は思わず声を漏らす。
この少女こそ、俺が求めていた亜大陸一人目の推し。
小人族の少女――ミリィだった。
「な、なんでここに……!?」
ああ、待て。
心の準備という儀式を俺はまだ執り行っていない。
こういうのは段取りが大事だ。
まず遠目に観察し、情報を集め、呼吸を整え、心を固め、ヲタクとしての在り方を――
「おい、君、子供だろう。遊びなら他を当たってくれ」
「ふむふむ、なるほど。この部分がこうなって……ははあ、これならすぐに……」
女商人が言ったのを、彼女は聞いていない。
いや、聞いていないのではなく、聞こえていない。
集中が極端に高い。
いい、そういうところ、いいです。
仕事の間は世界から切り離されるタイプ、大好きです。
「それでは早速作業に取り掛かりますっ。よいしょー!」
ミリィは満面の笑みをこちらに向けたかと思うと(本当に可愛いね)、道端に火床を置いた。
そして素早い手つきで炭をくべ、火打金を打つ。
ぱちりと火花が走る。
ふいごを一度、二度。
火は小さく唸り、赤から橙へ、橙から白に近づく。
腰の革袋から取り出したのは細長い鉄片。
先端を熱に飲ませ、鋼の匂いが道に満ちた。
「輪鉄は生きています。合わせ目、ここですね。少しだけ開くから、熱して締め直しをっ」
彼女は輪鉄の合わせ目を見つけると、手持ちの釘材を取り、赤熱した先端を小槌で叩いて頭を作る。
仮のピンだ。
合間に、緩んだ楔を抜いて掃除。
木の粉がふわりと舞った。
手つきに迷いがない。
「き、君。多少の心得はあるようだけど、本当にできるのかい? 壊したらどうしてくれる?」
姉御肌の女が、念のための一言を放つ。
ミリィは短くうなずいた。
「責任は、取ります」
ズギュウン。
かっこいいー!




