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幕間 その言葉は甘美なる毒のようで

 血肉の焦げた匂いと、雷鳴の残響。

 ()けた大地を縦横無尽に駆け回り、凶悪な魔族軍を次から次へと減らしていくあの姿が、今も脳裏に鮮やかに焼きついて離れない。

 全身傷だらけで、血に濡れ、荒い息を吐きながら。

 それでも彼は、ひたすら剣を振るい続けていた。

 やがて、戦いが終わり、倒れ込んで空を仰ぐ彼。


「……お前の命は、世界より重い」


 ズガンと、脳を金づちで叩かれたような気がした。

 その言葉を口にしたときの声。

 低く掠れ、けれど決して揺らがない響き。

 巫女として『命は世界のためにある』と教えられてきた彼女にとって、それは天地をひっくり返すほどの衝撃だった。

 自分の命は、他人のために使うものだと思っていたのに。

 彼は違うと断言したのだ。


 胸の奥が、まだじんじんと熱を帯びている。

 あの一言は甘美な毒のよう。

 思い出すたびに、心を痺れさせる。


「……ふう」


 ため息をひとつ。

 今日は彼らが里を旅立つ日だ。

 まだ夜の帳が完全に明けぬ早朝。

 『神託の巫女』と『神の里の長』という2つの重責を背負う少女――ティア・カサンドラは、その務めを果たすべく、鏡台の前で身支度を整えていた。

 だが、櫛を持った手はすぐに止まり、気がつけば鏡に映る自分の顔に、彼の姿を重ねてしまう。

 

「い、いけません、長である私が、このような……」


 ぶんぶんとかぶりを振って、彼の温かい微笑みをかき消す。

 よそ事を考えては、「私は巫女。使命は人々を救うこと」と言い聞かす。

 しかしいくら否定をしようとも、彼の言葉が胸の奥で反響する。

 「お前の命は、世界より重い」と。

 矛盾が心を揺らす。

 抗えば抗うほど、その響きは甘く絡みついて離れない。


「…………はあぁ」


 また、大きくため息。

 もう考えるのはおしまい。

 そう思った、その時だった。


 ――ぐわん


 頭の奥で鐘が鳴るように、意識が揺さぶられた。

 視界が暗転し、世界が遠のいていく。


「ッ……」


 この感覚は、幼い頃から幾度も経験したことがある。

 そう、これこそが神託。

 今のように、現世から遠ざかるような錯覚が訪れ、そして世界が輪郭を取り戻していくのだ。


「……ここ、は」


 そこには、光の道を歩く彼の姿があった。

 ヴァルド・レイヴンハルト。

 漆黒の鎧を纏いながら、確かな歩みで進んでいく。

 その周りを囲むのは、見目麗しい女性たち。

 ひ、ふ、み……九名ほどだろうか。

 まだ見ぬ美女たちに紛れ、エミリアとリンの姿もあった。

 そして――


「――私、も……?」


 皆が幸せそうに笑っていた。

 心から楽しげに、誇らしげに、彼の隣を歩いていた。

 その光景はあまりにも温かく、胸が詰まるほど美しかった。


「あ……ッ」


 もう少しだけ見たい、と思ったのもつかの間。

 再び視界が暗転し、ティアは現実に引き戻される。

 神託は、終わった。


 あれは、本当に神託だったのだろうか。

 大好きな彼とともに、気を許した仲間とともに、自由気ままに旅をする光景。

 それはティアにとって、あまりに《《都合の良すぎる夢》》であった。

 望みが強すぎて、幻覚を見てしまったのだろうかと思ってしまうほど。

 けれど先ほどの、世界がぐるぐる回るような感覚は、紛れもなく神託が訪れる時のそれ。

 内容こそ怪しいが、その『見え方』に違和感は何一つ抱かなかった。

 つまりそれは、紛うこと無き『神託』であって、必ず訪れる未来――


 ――ポタリ


 息を呑む。

 気づけば頬を伝い、握った拳の上に落ちる雫。


「……いいんですか。私、幸せになっても……」


 震える声が、誰に向けるでもなく零れた。

 神託でその光景を見た、ということは、それはすなわち女神様が「そうしなさい」と背中を押してくれたということで……。

 しばらく逡巡したのち、ティアは涙を拭い取った。

 鏡に映る自分を見据え、帯に手をかける。

 巫女の装束を解きながら、息を吸い込む。


「こうしては、いられません」


 もう巫女としての務めだけを胸に抱くのではない。

 一人の人間として、一人の女として、あの人の隣に立つ。

 今度こそ、その手が止まることはなかった。




------




 里の入り口は()の光に照らされ、人々のざわめきに包まれていた。

 旅立つティアを見送ろうと、老若男女が集まっている。


「いやあ、まさかティア様が……寂しくなりますなあ」

「バカ! 行きづらくなること言うんじゃないよ!」

「そうそう。ティア様はボクより小さい頃から、世界の皆のために頑張って来たんでしょ? たまには好きなことやらないと、息が詰まっちゃうよ」

「う……そりゃそうだ。すまねえ、ティア様」

「まったく……どっちが大人だかわかりゃしない」


 呆れたような女の言い草に、どっと笑いが起きる。

 ティアはそんな里の者たちからの温かな声を受け、一人ひとりに言葉を返していた。

 その時。


「おーい! 来たぞ、開けてやれ!」


 そんな声が人の輪の外側から飛び、群衆が左右に割れていく。

 差し込んできた視線の奥に、漆黒の鎧に身を包んだ人影。


 彼。

 彼だ。

 ヴァルド・レイヴンハルト。


 兜を外したその顔は、整いすぎているほど整っていて。

 黒曜石のように鋭い瞳が、こちらをまっすぐ射抜く。

 陽光を受けて光る漆黒の髪は、息を呑むほど凛々しかった。

 ヴァルドの姿を見ただけで、胸がとくんと跳ねる。


「――ティア!?」


 ヴァルドが驚いたように目を見開く。

 その様子がおかしくて、可愛らしくて、あまりに愛おしくて。

 ティアは思わず、微笑んでしまった。


「……あは」


 小さな吐息のような笑み。

 その瞬間、胸の奥で確信する。

 自分がもう巫女としてではなく、一人の乙女として、彼の未来に歩み出してしまったのだ……と。




=====================================

あとがき

 これにて第3章、ティア・カサンドラ救済編完結です。

 読者の皆様、ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございます。

 少しでもお楽しみいただけましたら、ぜひ、ブックマークや評価(★)をいただけると嬉しいです。

 皆様からの応援が、何よりの励みになります。

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