第31話 好きになってしまいました
山の空気は、どこまでも澄んでいた。
昼過ぎだというのに、神の里の道には人が出ていない。
鳥のさえずりと、遠くの水音。
木立の隙間から差す光が石畳をまだらに照らしている。
ティアの家を出た俺と、両脇を固めるエミリアとリンは、のんびりと里の出入り口へ向かって歩いていた。
もちろん、三人とももう旅支度は整っている。
一昨日の戦闘で負った傷も、ほぼ癒えている。
「これで、ティアさんは救えたんですよね?」
エミリアが、柔らかい声で尋ねてきた。
「ああ、そのはずだ」
頷いて返す。
ラグナの襲撃に魔族軍襲来。
ティアの死亡イベントは二つともぶっ潰したからな。
これからさらに危険なことは……無い、と思うが。
でも、原作からけっこうストーリー捻じ曲げてるからなあ。
ぶっちゃけ、どうなるかわからん。
だからこそ一緒に旅して俺の目の届く範囲に居てほしいのはあるけど、彼女も彼女でやることがある。
「次は、どなたかをお救いに?」
「あー……そうだな。次は亜大陸だな」
「えっ、別の大陸に行くんですか?」
「そうだよ」
人大陸に居る推しはエミリア、リン、ティアの三人。
もう全員救っちゃった。
次は亜大陸の三人だなあ。
と考えていると、隣でリンが目を丸くする。
「でも海が荒れて無理なんじゃ……だから勇者も女神の涙を取りに来たんでしょ?」
「普通はそうなんだけどな」
にやり、と俺は口の端を上げた。
亜大陸に行くためには、海を渡る必要がある。
何の対策もなく行こうとすると、大渦に阻まれて即ゲームオーバー。
そこを通るために女神の涙が必要になる、のだが。
ごく限られた正解の座標を突っ切れば、女神の涙なんぞなくても、渦をすり抜けて亜大陸へ行けてしまうのだ。
当然、ゲーム的には想定外のルートだが……原作RTA時には必須行動だったな。
だって、この女神の涙周りのイベント全スキップできるんだもん。
「でもまあ、その前に船を手に入れないとな」
「そうですねえ……すみませんが、私には当てはありません」
「いいよいいよ、何とかするさ」
いくら渦にハマらないルートを知っていても、船が無ければしょうがない。
「あ、じゃあさじゃあさ。ティアさんに『女神の涙の予備ください』って頼んでみる?」
冗談交じりに言うリン。
「ええ? きっとありませんよ」
エミリアは微笑む。
「……それにしても、ティアさん、どこに行ってしまったのでしょう。最後に挨拶をしたかったのですが」
「族長だし、忙しいんだよきっと」
「そだねえ、昨日も一日バタバタしてたもんなあ」
うんうん、と頷く。
推しが生きて、自分のやりたいことを前向きにやっているなら、それでいい。
そんな話をしながら、俺たちは里の入口へと近づいた。
「……おや?」
そこには、なぜか人だかりができていた。
「ボクたちの見送り……なわけないか」
首をかしげていると、村人の一人が俺たちを見つけ、大声を上げた。
「おーい! 来たぞ、開けてやれ!」
その声を合図に人波が左右に割れ、視界の奥に人影が現れる。
その正体は――。
「――ティア!?」
大きなリュックを背負い、軽やかな旅装束に身を包んだティアが、そこに立っていた。
肩までの銀髪が朝日を受けて輝き、亜麻色のマントがふわりと風に揺れる。
背丈以上はありそうな荷物を背負ってなお、その背筋はまっすぐで、眼差しは凛としていた。
「……あは」
悪戯っ子のような笑みを浮かべるティア。
「そ、その恰好は……?」
「私も、貴方様の旅に同行させていただけないかと」
「ええっ!?」
心臓が一拍跳ねた。
願ってもない話だが、あまりに急すぎる。
「急な話で申し訳ありません。長の後継者決めや、挨拶回りなどで忙しくて……。里の皆から、こんなに餞別をいただいてしまいました」
くるり、と彼女は背のリュックをこちらに向ける。
リュックのサイズはかなり大きかったが、それでも中身がこぼれそうなほどパンパンに膨らんでいた。
「そ、そうか。それで忙しそうにしてたんだな。……でも昨日は『使命を全うします』って」
「ええ。ですから、この通り」
「……?」
彼女の言葉の真意を理解できず、首を傾げる。
「貴方様に言っていただいて、気づいたのです。もう少し、自分の幸せを願ってもいいのではないか、と」
「……うん、それは、そうだと思うよ」
「私の使命は、他人を守ること改め――大切な人、貴方様の傍にいること。です」
「え」
思わず素っ頓狂な声をあげる。
状況が理解できず左右を見る。
エミリアは、にこにこしていた。
まるでこうなるのを予見していたかのような余裕っぷり。
リンは大きく目を見開きながら、言葉を絞り出そうとしていた。
「……そ、それは、まさか……その、ヴァルドのことが……?」
ティアは、こくんと小さく頷いた。
その頬はほんのり紅く、けれど瞳は真っ直ぐ俺を射抜く。
「……《《好きになってしまいました》》……あは」
「ええええええええええっ!?」
脳内でドカンと大爆発。
視界が真っ白になり、思考は一瞬で雲散霧消。
いやいやいやいや待て待て待て!
推し三人目からの告白って何このイベント!?
幸せの洪水で溺れ死ぬんじゃないの俺!?
いやでも死ぬなら今でいいかも――あやっぱりもう少しこの天国を味わってからでもいいですか。
俺が口をパクパクさせて硬直していると、ティアがすっと両手を広げてきた。
「え、あ……え?」
意味を測りかねて戸惑う俺に、彼女は少しむくれて唇を尖らせる。
「……私にはしてくださらないのですか? お二方には、昨日あんなにしてらっしゃったのに」
……は?
「そんなことないよおおおおおおおお!」
反射でダッシュ。
勢いのまま全力ハグ。
ふわっと抱きしめた感触は、柔らかく、温かく、そしていい匂い。
「きゃっ……!」
「かっっっわいいねえええええええええ!!」
理性が蒸発し、そのまま軽々と抱き上げぐーるぐると回る。
ティアの銀髪が光の輪みたいに宙を舞った。
「あーっ! ずるい! ボクも!」
リンが勢いよく背中に飛びついてくる。
「ちゃんと言ってなかったけど、ボクも……ボクも大好きなんだからなっ!」
細い腕がきゅっと腰に回り、背中に小さな重みとぬくもりが重なる。
「ふふ、また賑やかになりそうですね。えいっ」
エミリアまでもが、軽やかに跳びついてくる。
裾がふわりと舞い、柔らかな頬が俺の首にかすかに触れた。
「……ちなみに、私は大大大好きです。リンさんより上ですよ、ふふっ」
「なっ! ず、ずる! ならボクは大大大大大大――」
「あは。では私は、愛しています」
「ええっ!? い、いきなりそんな……くそぉ、また強敵だ……!」
おい待て、これ、俺、今、え。
推し三人に同時に抱きつかれて、愛を囁かれている……?
これ以上の生きる意味が存在するのか!?
いやない!!!
生きててよかったああああああああああ!!!!
「はっはっは、幸せそうだなあ」
笑い声に振り向けば、里の男衆が腕を組んでにやにやしている。
「ティア様は幼い頃から、里のためにご自分を捧げてこられた。……もっと幸せになってもらわないと困るさ」
年配の男がそう言い、頷いた。
胸の奥が温かく膨らんでいく。
これから先、どんな困難が待っていようとも、この三人を守り抜く。
それが俺の使命だ。
ぎゅっと三人を抱きしめ、俺は歩き出した。
エミリアの微笑み、リンの赤くなった頬、ティアの少し照れた横顔。
全部まとめて、この腕の中に。
こうして俺たちの新しい旅路が、静かに始まった。




