第27話 二度目の覚醒
俺は知っている。
あと数日――いや、もしかしたら今日の可能性だってある。
とにかく、そう遠くない未来に『魔族軍襲来イベント』が起こる。
それが、ティアの二つ目の死亡イベントだ。
原作『ディアブロ・サーガ』におけるその光景は、今でも鮮明に思い出せる。
舞台は山のふもとの広大な平地。
魔王軍幹部・瞬界のラグナの転移魔法によって、千体近い魔族部隊が一斉に虚空から現れる。
ただ数が多いだけではない。
全員がそこそこの実力を持ち、さらに幹部にほど近い上位個体も混ざっている。
その時、プレイヤーが操作する勇者パーティは、その場に居なかった。
魔力の異常を察知し、駆けつけたたときには、すでにティアが魔族部隊の前に立っていた。
そして、自爆特攻。
命と引き換えに強大な魔力爆発を起こした彼女は、敵軍をほぼ壊滅させる。
プレイヤーはその瞬間を、どうすることもできず見届けるしかなかった。
生存ルートは存在しない。
ラグナ襲撃で生存ルートを辿っても、この集団転移イベントで必ず死ぬよう作られている。
だからこそ、俺は引き留めた。
「自分の命を、そう簡単に差し出すもんじゃない」
俺の声に、月明かりの下で振り返ったティアが目を瞬かせた。
白い衣が夜風にそよぎ、長い銀髪が星の光を反射して揺れる。
「……それでも、私は行きます。それが、私に与えられた使命ですから」
言葉は静かで揺るぎない。
その表情に恐怖はなく、覚悟だけがあった。
俺は短く目を伏せ、吐息をひとつ零す。
「わかった」
止められないなら、共に行くしかない。
つまり、運命を捻じ曲げてティアを救うには……俺一人で、《《千体の魔族を叩き潰す》》しかないということだ。
ティアはこちらへ改めて向き直り、微笑みを浮かべた。
「……あは。本当にありがとうございます。私、誰かにこんなに理解ってもらえたの、初めてです」
その儚い笑顔は、この世の何よりも綺麗だと、心の底から思った。
「でも私は、この生き方を変えることはできません。……それでは」
丁寧に、深くお辞儀をしてから、彼女はゆっくり里の出入り口の方向へ歩き出した。
おそらく、山のふもとへ……決戦の舞台へ、向かったのだろう。
その後ろ姿を見届けてから、俺も庭を後にした。
エミリアとリンの待つ部屋へ戻る途中、脳裏に冷静な計算を走らせる。
千体の魔族。
雑兵ばかりならまだしも、群れには必ず上位個体も混ざる。
そんな連中を、ラグナ一体で手一杯な今の俺が捌ききれるはずがない。
「――ステータス」
久々に、ステータス画面を開く。
淡い光の中に、無機質な数値が並んだ。
――【ステータス】――
STR(筋力):B - 78
AGI(敏捷):B - 82
MAG(魔力):B - 76
VIT(耐久):B - 80
DEX(器用):B - 79
CHR(魅力):B - 75
▼使用可能魔法
・獄雷衝
・雷刻破
・魔雷滅斬
「……やっぱり、無理だよな」
現実を突きつけられ、苦笑が漏れる。
エミリア救済時から、何一つ成長していない。
まあ、そんなに骨のある相手と戦ってないしなあ。
勝率はゼロに等しい。
それでも、行く。
ティアはやっぱり諦めて、エミリアとリンと幸せに暮らす……なんて選択肢は、俺には存在しない。
「ただいま……お?」
借りている一室に戻ると、灯りの下で二人の姿が目に入った。
寝台にはエミリアが上体を起こし、薄い毛布を羽織っている。
その傍らには、包帯を巻かれたリンが椅子に腰掛けていた。
「エミリア、起きてたのか。リンも……看ててくれて、ありがとな」
「……ヴァルド様」
「へへ、褒められた」
俺の姿を見たエミリアが、少しだけ表情を緩める。
リンも同じく笑顔を向けてきた。
「あれ? ……ヴァルド、どうしたの? なんか顔が固いよ」
「……わかるのか」
俺は二人の前に座り込み、言葉を探す。
だが、喉に棘が刺さったみたいにうまく出てこない。
数秒、数分、どれくらいかかったか定かでないが、しばらく躊躇した末に、ようやく言葉を放つ。
「……これから、大きな戦闘に行く。……正直、戻れないかもしれない」
言った瞬間、部屋の空気が一段重くなった気がした。
それでもエミリアは穏やかに微笑み、まっすぐ俺を見た。
「信じております。ヴァルド様は必ず戻ってきてくださると」
「エミリア……」
ポン、と。
隣のリンが肩を優しく叩いてくる。
「ヴァルドなら大丈夫だよ。ボクの時みたいに、カッコよくティアを救ってきて」
「リン……」
リンは口の端を上げ、「バカやってこい」と短く笑う。
冗談のように聞こえるけど、その声は不思議と温かかった。
この二人は、決して軽く見ているわけじゃない。
俺に死ぬ覚悟があることをわかっている。
それでも、笑って送り出そうとしてくれている。
その事実に、胸の奥が熱くなった。
「ありがとう……二人とも」
礼を告げ、立ち上がりかけた――その時だ。
「ちょっと待って」
「お待ちください」
二人の声が、ぴたりと重なった。
思わず足を止める。
視線を向けると、二人して俺の方をじっと見ていた。
「ん、どうした?」
「お顔を、こちらに」
促されるまま、俺はゆっくりと身を屈める。
次の瞬間――
ふわり、と。
左右から同時に、温もりが頬をかすめた。
「……っ!?」
な、なななな……!?
推しの、推し様からの、両頬同時キス……!?
ぐわあああああああああああああああ!!!!
脳内で雷鳴が轟き、視界の端で何かが爆ぜた。
温もりが離れ、エミリアが小さく息を吸う。
頬をほんのり染めながら、恥ずかしそうに微笑んだ。
「……応援、です」
反対側に視線を移せば、リンは真っ赤な顔で視線を逸らし、唇を尖らせている。
「お、お守りだからっ!」
あかん。
可愛い。
あきません。
可愛すぎる。
胸の奥で鼓動が爆発し、「ドクン、ドクン、ドクン」と、全身に血を送り出す音がやけに大きく響いた。
血流が加速し、筋肉の奥で何かが解放されていく感覚。
「え、あ……これは……! ステータス……!」
二人が傍に居るのも気にせず、俺はステータス画面を表示する。
先ほどと、数値が書き換わっていた。
――【ステータス】――
STR(筋力):S - 112
AGI(敏捷):S - 109
MAG(魔力):A - 98
VIT(耐久):S - 105
DEX(器用):A - 96
CHR(魅力):S - 110
▼使用可能魔法
・獄雷衝
・雷刻破
・魔雷滅斬
「う、おおおおおおおおおっ!!」
「きゃっ……!?」
「ひううっ!」
覚醒、来た……!?
二度目の……!?
原作において、このヴァルド・レイヴンハルトというキャラクターは、プレイヤーの前に何度も立ちはだかるボスだ。
撃退されるたびに強くなり、さらに厄介になって現れる。
その最初の覚醒条件は、魔物に襲われて瀕死になること。
それは設定資料集にも、はっきり描かれていたから知っていた。
だが、二度目以降の進化の経緯は不明。
普通に修行しての成長なのか、それとも何か特別な出来事があったのか。
だからこそ、俺もそのきっかけを掴めずにいた。
――だが、まさかこのタイミングで……!
「は、はは……はっはっは! いける……いけるぞ!」
笑いと涙が一気に込み上げる。
胸が熱い。
全身が震える。
「ありがとう、エミリア!」
感情のままに彼女を抱きしめ、額を寄せて唇を重ねた。
「きゃ……っ……」
頬を赤らめ、ぱちぱちと瞬きを繰り返すその表情が、胸に突き刺さるほど愛おしい。
「ありがとう、リン!」
振り向くなり、そのまま同じく口づける。
「え、あ――ん、ふ……っ」
肩まで真っ赤に染め、目を見開いたまま固まるリン。
初めは全身が硬直させていた彼女だが、やがてふにゃりと力が抜ける。
ああ、可愛い。二人とも可愛すぎる。
「ありがとう、二人とも!」
勢いよく立ち上がると、二人はしばらく瞬きを忘れたように俺を見上げていた。
エミリアは頬を染めたまま、うっとりと目を細めて。
リンは口元を指で押さえながら、ぼんやりと俺を追っている。
二人のそのとろんとした眼差しが、背中を押す温もりになった。
「必ず帰る! 待っててくれ!」
俺はそれだけ言って、部屋から出る。
戸口を開けると、夜の冷たい空気が頬を撫でた。
月明かりの下へ、一歩、また一歩と踏み出す。
千体の魔族が待つ、地獄へ向かって。




