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第26話 君の使命が他人を守ることなら

 月明かりに照らされた廊下を歩く。

 扉の外に出れば、神の里特有の澄んだ夜気が肌を撫でた。

 昼間は人々の行き来や子どもたちの笑い声が響いていたはずなのに、今は遠くで虫の声が微かに鳴るだけ。

 それと、木々の間を抜ける風が草葉を擦らせる音。

 「やるべきことがある」と口にした時から、向かう先は決まっていた。


 屋敷の間を抜け、裏手の庭へ回り込む。

 そこは月光がよく差し込み、背の高い木々が淡く銀色に縁取られていた。

 そして案の定、彼女はそこに居た。


「――女神よ。どうか……」


 完全には聞き取れない、本当に小さな声。

 白い衣が風に揺れ、静かに夜空を仰ぐ女――ティアが立っていた。

 両手を胸の前で組み、祈るように月を見上げている。

 祈り台や御神体があるわけでもない。

 ただ、夜空そのものに何かを託すような、凛とした佇まい。

 俺は彼女に近づいて、声をかけた。


「……こんな時間に、祈祷か?」


 ティアはゆるやかに振り返る。

 月明かりがその横顔を照らし、睫毛の影が頬に落ちた。


「ヴァルドさん。いえ、少し眠れなくて」


 彼女は視線を落として答える。


「……エミリアさんと、リンさんは?」


 それだけをまず訊くあたり、彼女らしい。

 俺は少し肩の力を抜いて答えた。


「二人とも大丈夫だ。リンはさっき少し喋ったし、エミリアも一度だけ目を開けたよ。今はまた眠ってる」

「そう、ですか」


 短く、しかしはっきりと安堵の息をつく。

 この短い返事の中に、どれだけの感情が詰まっているか。

 それを知っているからこそ、俺は続く彼女の言葉を待った。


「……本来なら、あの攻撃は私が受けるべきでした」


 沈んだ声。

 月明かりの下で、一層彼女の影が濃くなったように思えた。


「何を言ってんだ。誰が受けるべきとか、そんなもん無いよ」

「私が代わりになれば、二人は傷つかずに済んだはずです」


 その言葉に、胸の奥が熱くなる。

 怒りとも悲しみとも違う、もっと複雑な感情だった。


「……なぜ、そんなに自分の命を軽く見る?」

「それが私の使命だからです」


 はっきりとした声色だった。

 ただ、自分の存在意義はこれである、と。

 迷いも疑いもなく、信じきっている。

 短い沈黙のあと、ティアはふとこちらを見つめ、まっすぐな瞳で問う。


「貴方は、何者なのですか」


 彼女の質問に、俺は少し笑って肩をすくめた。


「最初の時にも言ったけど、ただの旅人だよ。勇者に疑われたとき、ティアだって擁護してくれたじゃないか」

「それは……そうした方がいい、と。ふと、思ったのです。なぜかは、自分でもわかりませんが」

「そっかそっか、ありがとな」


 俺は礼を言いながら、ティアの隣に立つ。


「ただの旅人があれほどの戦闘力を持っているとは、到底思えないのですが」


 う、鋭い指摘。


「い、いやあ。旅してるとね、やっぱ魔物とかよく出るからさ、自然とね。うん」


 自分でも苦しい言い訳だということはわかってる。

 そろそろ、限界かなあ。

 エミリアにもリンにも、本当のことを言う時が近づいているのかもしれない。


「そうですか。深くは、聞かないことにします」

「あ、うん。そうしてくれると助かるかな」


 苦笑しつつ後頭部を掻く俺に、「そう言えば」とティアが続ける。


「新婚旅行だ、とも仰っていましたが……あのお二方とは、どういったご関係で?」

「ご、ご関係? えー、と……エミリアは婚約者。で、リンは…………弟子?」

「まあ……お弟子さん」


 強くなりたいからついていきたい、というリンの発言を思い出しながら答える。

 この関係に明確な名前はついて無いけど、強いて言うならそうなるかなって。


「私には、どちらも奥様に見えました。好き合っているのでしょう、と」

「どちらも奥様、か……」


 ぽわんぽわんぽわん……。

 俺の脳内に奥さんモードのエミリアとリンが浮かぶ。

 うおお……激アツだな。

 両手に花じゃんか。


「三人がそれぞれ同意すれば、問題無いと思いますよ。貴族の世界では珍しくないと聞きます」

「えっ? どうして俺が貴族だって知ってるの?」

「あら? 貴族のお方だったのですか?」

「あっ」


 言っちゃった。

 いや別にいいんだけど、バレて困ることはないんだけどね。

 一応、ただの旅人だって申告してたからさ。

 貴族がなんで旅してんだ! てなるしさ。

 俺たちはしばらく無言で見つめ合ったのち、どちらからともなく、笑いあった。


「あは。貴方、案外おっちょこちょいな所もあるのですね」


 月光を反射して淡く輝くその表情に、俺は一瞬、呼吸を忘れた。

 こんなにも儚くて、なのにどうしてこんなに強いんだろう。

 俺は思わず、彼女の華奢な肩を掴んで、両の瞳を見つめる。

 ティアは一瞬驚いたように目を見開き、受け入れたかのように力を抜いた。


「ティアの使命が、他人の命を守ることなら――」


 そこで区切る。 

 ティアの喉が、ごくりと鳴った。


「――君の笑顔を守る。それが俺の使命だ」


 静寂。 

 虫の鳴き声も、風の音も、何もかもが遠ざかる。

 唯一聞こえるのは、俺とティア、二人の心臓の鼓動。

 そして、再び俺は言葉を紡ぐ。


「行くな、ティア」

「……!」


 ティアが息を呑む。


「なぜ、それを……」


 わずかに震えた声。

 俺は目を逸らさずに言う。


「似たようなもんだよ。神託と」


 ティアは目を伏せたまま、しばし沈黙した。

 その肩が、ほんのわずかに揺れたのを俺は見逃さなかった。


 俺は知っている。

 あと数日もしないうちに――いや、もしかしたら今日の可能性だってある。

 とにかく、そう遠くない未来に『魔族《《軍》》襲来イベント』が起こる。


 それが、ティアの2つ目の死亡イベントだ。

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