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第25話 あなたの想いは私の想い

 白いシーツにエミリアが沈んでいる。

 胸はかすかに上下しているが、肌は蝋細工のように冷たい。

 瞳を閉じて静かに眠るその姿は、まるで水面に落ちた花弁のように儚かった。

 

 窓から差し込む月明りが、頬の輪郭を柔らかく縁取り、その横顔に陰影を落とす。

 薬草と焚き染めた香木の匂いが、静まり返った室内に淡く漂っていた。


「エミリア……」


 俺はその枕元に座り、しばし彼女を見つめる。

 ここは神の里のティアの家。

 一室を借りて、負傷したエミリアとリンを休ませている。


 あの戦いの後、俺はエミリアを背負い、雷刻破(クロノ・ブレイク)で山を駆け下りた。

 勇者とティア、そしてリンは後から到着。


 ティアはほぼ無傷。

 リンは脇腹を深く切られており、同じ部屋で安静を取ることになった。

 勇者は肩にぽっかり穴が開いていたが、本人曰く「問題ない」そうで、

 ティアは勇者にも休息を勧めたが、あの男は独りでさっさと下山してしまった。

 口癖のように「一刻も早く」と言っていたからな。

 仲間と合流し、次の舞台に進みたいのだろう。


 その結果、この部屋には三人だけ。

 木の壁に囲まれた落ち着いた空間で、時折ランプの揺れる炎が影の形を変える。

 時間は流れているはずなのに、針が止まってしまったような、不穏な静けさ。

 やがて、向かいの寝台からリンの声がした。


「なんで、そんな顔してんの……」


 俺は目を合わせず、低く返す。


「リン……。すまない、本当にすまない」


 その二言だけで、胸の奥の自己嫌悪がぶり返す。

 握った拳が膝の上でじっとりと湿る。


「なにが『すまない』なの?」


 見ると、リンは枕元から少し首を起こし、こちらに視線を向けていた。


「……俺の、せいだ。俺がしくじったから、リンも、エミリアも……」

「そんなことない!」


 バフッ! と勢いよく布団を叩く。

 直後に「いてて」と顔をしかめるリン。


「戦って、ちゃんとあの魔族を撃退したじゃん。ボクだって肩をやられたけど、命に関わるほどじゃない。エミリアだって深手は負ったけど助かった。ティアも生きてる。……ね、何も失敗なんかじゃないよ」


 枕元からこちらを見つめるその目は、妙にまっすぐだった。

 口元に浮かんだ微笑みは、気休めでも嘘でもなく、本心から俺を安心させようとしているのが分かる。

 本当に……何て性格の良い子なんだ。


「……客観的に見れば、そうなのかもしれない」


 俺は低く呟き、唇を噛みしめる。


「でもな……俺にとっては、命より大事な存在が傷ついたんだ。守り通すことができなかったのは、やっぱり俺の判断が間違ってたからだ」


 リンはしばらく黙って俺を見ていたが、やがてふっと息を吐いた。


「ボク、そういうヴァルドも嫌いじゃないけどさ。あんまりくよくよしてると……背中、蹴っ飛ばしちゃうぞ」


 口調は軽いのに、不思議と胸に染みる。

 その冗談めいた優しさに、ほんの一瞬だけ肩の力が抜けそうになる。

 だが、俺の胸の奥に絡みついた自責の念は、まだほどけそうにない。


 もっと早く動けていれば。

 もっと賢く立ち回っていれば。

 もっと俺が強ければ。

 そうすれば、このベッドで眠る彼女の顔を、こんな風に見ずに済んだはずだ。


 と、その時だった。

 エミリアの長いまつ毛が、風に揺れる草のようにわずかに震えた。

 ゆっくりと瞼が持ち上がり、翡翠の瞳が薄闇の中にきらりと姿を現す。

 その色はまだ曇っていて、何かを探すように揺れていた。


「……ヴァ、ルド、様」


 糸のように細く、掠れた声。

 それでも、確かに俺を呼んでくれていた。


「エミリア!」


 椅子を蹴るように立ち上がり、思わず声が張り上がる。

 焦点の合わない瞳が、俺を求めて彷徨っている。

 俺は迷わずベッドへ身を乗り出し、その顔を間近で覗き込んだ。


「ヴァルド様……そこに、いらっしゃるのですね……」

「ああ、いる。いるぞ……! 本当に……すまない、俺がしくじったばっかりに……」


 額の汗が一筋、頬を伝う。

 だが彼女は、自分の怪我や痛みを口にすることなく、ただ静かに問いを紡いだ。


「――ティアさんは……救えたのですか」

「なっ……」


 胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。

 自分が傷ついたというのに、真っ先に気にかけるのが他人だなんて。


「ああ……救えた。救えたよ。エミリアのおかげで」


 俺がそう告げると、彼女の唇がかすかに緩み、安堵の色が瞳に宿った。


「……それは、よかった」


 吐息のような一言とともに、まぶたが静かに閉じられる。

 ふと嫌な予感がよぎったが、耳に届いたのは規則正しい寝息だった。

 その音を確かめ、深く息を吐く。

 安らかな寝顔を見つめながら、俺は考える。

 

 ――本当の意味で、まだ救えたわけじゃない。


 確かに、ティアの死亡パターンの一つ、ラグナを足止めして相打ちになるルートは潰せた。

 だが、原作にはもう一つ、彼女が悲惨な最期を迎えるイベントが存在している。

 そして今の状況は、勇者がティアと共闘したときの流れと同じ。

 ラグナを退け、神の里でティアと別れ、山のふもとで仲間と合流し、亜大陸へ渡る準備を進める。

 原作通りならば、明日か明後日には、あの忌まわしいイベントが訪れるはずだ。


 エミリア。

 お前の想いは、絶対に無駄にしない。


「リン、エミリアを見ていてくれ。俺にはやるべきことがある」


 振り返り、真っ直ぐに告げると、リンは力強く頷いた。


「……! うん、任せてよ」


 そしてにこりと笑みを浮かべ、茶化すように言葉を重ねる。


「次は四人旅かな~?」


 その笑顔を俺はしっかりと胸に刻んだ。


 必ず全員を、救うために。

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