第11話 奴隷になるはずだった君を
すっかり夜も更けたころ。
アグネアの町には、静けさが満ちていた。
灯りの少ない街路は薄暗く、風はぴたりと止まり、空には雲ひとつない。
まるで、これから始まる夜の異変を予感しているかのようだった。
そんな中、俺は自警団の訓練場の前にひとり立っていた。
月明かりを浴びた地面には、俺の長い影が落ちている。
「……そろそろ、約束の時間のはずなんだが」
誰もいない路地を見回し、俺はひとつため息をついた。
もしかしたら、もう人さらいと接触してしまったのでは。
胸の奥に、嫌な想像がざわりと浮かぶ。
「いやいや、それはタイミング良すぎるだろ。いくらなんでも」
自分で自分にツッコミを入れていると、カツカツと小気味よい足音が耳に届いた。
「ごっめーん! 遅れちゃった!」
元気いっぱいの声とともに、月影の路地からリン・アーカーが現れた。
「リン! いや、大して待ってないぞ」
俺が返すと、リンは小さく息を切らしながら駆け寄ってきた。
どうやら走ってきたようで、額にはうっすら汗が滲んでいる。
推しが俺の元に駆けてくる……!?
しかも汗を垂らしながら……!?
もう他に何も要りません。
ありがとう、神様。
「ふぅ……ちょっと寝ちゃっててさ。夕飯のあと、ベッドの上でちょっとだけ……のつもりだったんだけど、気づいたらこんな時間」
あはは、と笑うリンに、俺は微笑んで首を振る。
「気にするな。まだ時間には余裕がある」
「そっか。なら、よかった」
肩の力を抜いて安堵する彼女の表情がまた可愛い。
油断すると、今日の目的すら忘れそうになるレベルだ。
危ない。
「あれ、そういえばさ」
リンがきょろきょろと辺りを見回す。
「あの女の子、一緒じゃないの? ほら、婚約者さん。えっと……」
「エミリアか?」
「うん、そうそう。その子」
「彼女は――」
◆◆◆◆◆◆
宿の一室。
窓の外には、夜の帳がしっかりと降りていた。
俺は腰の剣帯を締めながら、静かに窓辺に立つ。
外灯の少ないこの町では、月明かりだけが頼りだった。
「さて、と。そろそろ時間だな」
独り言のように呟いたその瞬間、背後で布の擦れる音がした。
エミリアが、椅子から立ち上がった気配がする。
「ヴァルド様……やはり、お一人で?」
落ち着いた声だった。
どこか納得しているような、そんな響き。
「……! さすが、察しがいいな」
最初からそのつもりだった。
これから俺は、夜の町を巡回する。
相手は人さらいの一味。
俺一人ならよそ見したって勝てる相手だが、今回はリンもいる。
敵が複数人で囲んでくることを考えると、二人の少女を守りながら戦うのは、できれば避けたかった。
「ふふ。わかりますよ。だって、宿に入った時からずっとそわそわしてましたもの」
まるで全部見透かしていたかのように、彼女は言う。
俺は返す言葉を失った。
まいったな、これほど読みが鋭いとは。
「きっと、私を残していく時に、どう言えばいいか考えていたのでしょう?」
手を胸元にそっと重ねた彼女は冗談めかして笑うが、その眼差しは真っ直ぐだった。
エミリア、俺のことわかりすぎだな。
「そんな気遣いしなくたって、いいんですよ。私は信じていますから。ヴァルド様は、必ず戻ってくるって。……それも、しっかり目的を達成されて」
その言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。
「ありがとう。帰ってきたら、いっぱいイチャイチャしような」
「っ……! も、もうっ……」
頬を真っ赤にしながら顔を背けるその仕草も、また完璧に可愛い。
そして小さな声で、そっと呟かれた。
「…………お待ちしております」
◆◆◆◆◆◆
「愛してるよエミリア……『私もです、ヴァルド様……』エミリア……『ヴァルド様……』」
「あーあーあーっ! そんなとこまで詳細に再現しなくていいっての!」
甘い記憶に浸っていた俺を、リンの叫び声が現実に呼び戻す。
「そうか? ここからがいいところだったんだが」
「一人でやってよね……まったくもう」
リンはため息をついたあと、腰に手をあててにこっと微笑んだ。
「それじゃ、しっかり見回りして、無事に帰らないとね」
「ああ、もちろんだ」
俺とリンは、そうして東西に別れ、町を見回ることにした――と見せかけて。
「……さて」
俺はすぐに訓練場裏の路地を折れ、建物の影からこっそり彼女の背中を追い始める。
「ふっふっふ……。嘘をついてすまん、リン」
だが俺には、やらねばならぬ使命がある。
それは、君を守るということ。
そう遠くない未来、人さらいの一味に連れ去られてしまう君を。
原作では、プレイヤーが初めてアグネアの町を訪れた時に受けることができる、そう難度の高くないサブクエスト。
それが、この『人さらい事件解決クエ』。
実はリンは、このクエストが受注可能になる時には既に、人さらいの魔の手に落ちてしまっている。
そして町人からの聞き込みや、町の探索などから情報収集をすることで、人さらい一味のアジトを見つけることができるのだが……。
時すでに遅し。
肝心のリンはとっくに奴隷として売られており、結局救うことはできない運命にある。
「しかも、なあ……」
後に訪れる、とある町で聞くことができるのが――
「――青い髪の奴隷少女が、他の奴隷をかばって……」
という、悲惨な末路。
そんなの……やってられるかよ。
俺はどうにかして彼女を救えないか、色んなパターンを試した。
RTAばりにイベントをスキップして、最速でアグネアの町に来てみたり、他の全キャラを仲間にしてからクエストを発生させてみたり。
あらゆるフラグを確かめてみた。
でも、何をどうしても、無理だった。
「……今日は、聖歴1372年、第5月の18日」
原作通りの時系列であれば、そろそろリンがさらわれてもおかしくない時期だ。
でも、さすがに初日でビンゴってことは……。
「ん?」
リンの動きが止まった。
路地の数メートル先で、彼女の背筋がピンと張り詰める。
何かがいる。
それを察知したように、彼女はそっと手を剣に伸ばした。
次の瞬間。
「――魔物っ!? なんで町中に……!」
鋭い声が夜を裂いた。
飛び出してきたのは、三体の魔物。
狼のような姿をした、夜行性のモンスター――シャドウウルフだ。
ちょ、マジで今日来るのかよ!
完全にフリになっちゃったじゃんか!
と俺が脳内でツッコミを入れる間にも、リンは既に戦闘態勢を取っていた。
「ハァ!」
抜いた剣を前に構え、ぐっと腰を落とす。
次の瞬間、地を蹴った。
一陣の風のように、シャドウウルフに向かって突進。
無駄のない体の運び。
重心の移動も素直。
それでいて、ちょっと踏み込みが浅いのが逆にたまらない。
ああ、可愛い。
真剣に戦ってる姿って、なんでこんなにも心を撃ち抜くんだろう。
ってバカ、戦闘中だぞ俺!
「――っは!」
気を取り直し、俺は建物の陰から飛び出した。
ちょうど一体のシャドウウルフが、横合いからリンに跳びかかろうとしていた。
俺は鞘付きの剣を思いきり振るい、獣の顎を真横から叩く。
ガンッという音と共に、魔物の体が軌道を逸らして地面を転がった。
そのまま俺は、滑るようにリンの背へ回り込む。
「背中は任せろ」
「ヴァルド!」
振り返ったリンの表情に、驚きと安堵、そして一瞬の照れが入り混じっていた。
「反対方向へ行ってたんじゃ……!」
「お前のピンチには、いつだって駆け付けるさ」
「な、なに言ってんの!」
ふたり、背中合わせ。
息を揃え、せまり来るシャドウウルフに向き直る。
「グラウッ!」
一体が低く唸りながら跳びかかってきた。
俺は踏み込み、短く剣を振る。
斬撃と同時に空気が裂け、獣の体が吹っ飛んだ。
同時にリンも的確な横払いで、二体目の爪を打ち払い、反撃の突きを放つ。
「キャイィン!」
たまらず悲鳴を上げるシャドウウルフ。
中々やるじゃないか。
彼女の戦闘データは無かったが、毎日訓練に明け暮れているだけはある。
「グ……グルゥ!」
最後の一体の情けない咆哮を合図に、三体は揃って逃げ出した。
「逃げた!」
リンが言う。
「追うぞ!」
「うん!」
彼女は力強く頷いた。
俺たちは走る。
リンの横顔が月明かりに照らされて、キラキラと光っていた。
ああ、今度こそ。
君を。
君の命を、君の名誉を。
君の全てを救う物語を。
ここから始めるんだ。




