第9話 自警団の訓練風景
目を覚ますと、隣にエミリアがいた。
シーツに包まった白い肩、安らかな寝息。
その姿を見た瞬間、昨夜の出来事がぼんやりとよみがえってきた。
……はあ、可愛かったなあ。
「エミリア、おはよう」
声をかけると、彼女はゆっくりと目を開ける。
そして俺の顔を見た途端、頬を赤く染めた。
「……おはようございます、ヴァルドさま……って、わ、私、お洋服がっ」
「まだいいじゃないか。もう少しこうしてても」
慌てて服を着ようとする彼女を後ろから抱き留め、うなじに顔を埋める。
「ひうっ、く、くすぐったいです……!」
腰に回した手が、ゆっくりと下がっていき――
――コン、コン
「朝食のご用意ができました」
使用人の声が部屋の外から聞こえてきた。
くそ……タイミング良すぎだろ。
神よ、俺になんて試練を寄越すんだ。
「ほら、ヴァルド様! お着換えしましょう!」
慌てて着替えを済ませ、エミリアと連れ立って食堂へ向かう。
ドルマンは既に席に着いており、笑顔で俺たちを迎えた。
だが俺の心はもはや、こいつの醜い笑顔などどうでもよかった。
この町で、推しを守る。
運命を変える。
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朝食後、礼だけ言って屋敷を後にした。
アグネアの通りを並んで歩いていると、エミリアがふと口を開いた。
「それで……いよいよ『救いたい人』のもとへ行くんですか?」
「ああ、そうだな。確かこっちだったはずだが」
「ええと。ひたむきで、頑張り屋で、正義感が強くて、自分を曲げないまっすぐな子……でしたっけ」
「よく覚えてるな……というか」
俺はくすりと笑って言った。
「もう、会ってるよ。俺たち」
エミリアが目を見開く。
「え? えっ? ……ま、まさか」
「うん。リンだよ。昨日の襲い掛かって来た子」
「~~~っ!」
エミリアはしばしフリーズした後、ぷいっと俺から目を逸らした。
「…………美人な方、でしたね」
顔は見えなかったが、そのジト目オーラは伝わってきた。
エミリア、相変わらず最高に可愛い。
そんなことを話していると、目的地に到着した。
そこは自警団の訓練場。
町の中心部にある、道場のような建物だ。
窓の外から、中をのぞき込む。
「……見当たりませんね、リン様」
「うーん、ここにいるはずなんだが」
俺がそう答えた次の瞬間、エミリアが「あ」と指を差した。
訓練場の隅、床に膝をついて、雑巾がけをしている少女の姿があった。
青いポニーテールが揺れるたびに、首筋を汗が伝っていく。
「お掃除を、してらっしゃいますね」
「……うん」
訓練場の中から「そこまで!」と声が飛ぶ。
どうやら休憩に入ったようで、団員たちが装備を外して各々体を休めだした。
エミリアはと言うと、急いで水を汲みに行き、団員たちに手渡して回っていた。
「雑用係……といった雰囲気です」
エミリアの言葉に、俺は頷きを返す。
彼女の手つきに迷いはない。
誰よりも早く、誰よりも丁寧に、当たり前のように雑務をこなす。
そして自分の仕事が終わってから、一人、空いた訓練場の片隅で、剣を振り始めた。
「ヴァルド様のおっしゃっていたこと、わかるような気がします」
「……だろ。良い子なんだよ」
そんな様子を見ていたら、訓練場の中から男たちがぞろぞろと出てきた。
「ふいー、中は暑くてかなわねーよ」
「おいおい、またやってるぞアイツ」
「見てると辛くなってくるよな。入団してもう2年? 後から入った奴らが正規団員になってんのに、アイツはまだ雑用だ」
「なんでそこまでして、しがみついてんだか」
「そりゃ、親父の名誉挽回が目的なんだろ。でもよお……なあ?」
「裏切り者の娘は、裏切り者。それは変わらねえよ」
エミリアの拳が、ぎゅっと握られていた。
「酷い……あんな言い方しなくても……」
俺は男たちの方へ歩み出た。
「ん? なんだよ、あんちゃん……旅人か?」
「ああ。ちょっと見ていきたいんだ。構わないか?」
「へえ。珍しいことする奴もいたもんだな。別に良いと思うが……ちょっと待ってな。団長に聞いてくる」
そう言って男は中へ戻っていった。
ほどなくして案内され、訓練場の中央へと入っていく。
そこにいたのは、金髪をなめらかに結い上げた長身の男。
若く、整った顔立ち。
「やあ、私はアグネア自警団の団長、ザック・リカートと申します」
声が澄んでいる。
舞台俳優でもやれそうな、通る声だった。
金髪を肩で束ねた青年――ザックは、爽やかな笑みを浮かべながら右手を差し出してくる。
その仕草はどこまでも紳士的で、礼節正しい好青年を体現していた。
「……ヴァルド・レイヴンハルトだ」
俺も形式的に名を返し、軽く頭を下げる。
「見学とのこと、歓迎しますよ。ちょうど今から訓練を再開するところです。ご期待に沿えるかは分かりませんが……どうぞご覧ください」
場に向き直ったザックが手を叩くと、団員たちが一斉に整列し、再び訓練が始まる。
木剣を構え、かけ声と共に斬り込む音が響く中。
「ザック団長……」
控えめな声が上がった。
リンだった。
訓練の隅で雑巾を置き、額の汗を拭いながら、まっすぐにザックを見つめていた。
「……あの、隅の方でいいので、ボクも訓練に参加させてください!」
一瞬の沈黙。
「貴様は仮団員だ」
先ほどまでとは打って変わって、ザックの声が冷えきったものに変わる。
温度のない、無機質な音。
「訓練に参加する資格はない」
「っ……」
それでもリンは、引かなかった。
言葉にわずかな震えを乗せながら、一歩を踏み出す。
「お願いします。見習いでも、せめて……動きを体で覚えたくて!」
ザックは沈黙する。
その視線は剣よりも鋭く、リンを斬り捨てるように見下ろしていた。
やがてため息をつき、わざとらしく肩をすくめる。
「なら、模擬戦を一度だけだ。文句はないな?」
「……! はい!」
リンはぱあっと表情を明るくさせると、すぐに木剣を手に取り、訓練場の中央へと進み出た。
ザックも隙の無い所作で木剣を構える。
戦いが始まる。
「ハアッ!」
「やああああっ!」
最初の一合で、差は明白だった。
ザックの動きは鋭く、無駄がなく、そして徹底していた。
訓練とは思えない速度で踏み込み、打ち込む。
その剣に、教えの気配はない。
ただ、排除するための動きだ。
「くっ……! まだまだ!」
リンは必死に食らいついた。
技を繰り出し、足を止めずに動き続ける。
だが当たらない、届かない。
彼女の攻撃のわずかな隙を、ザックは見逃さなかった。
「――あうっ!」
リンがバランスを崩し、膝をつく。
手の中から木剣が滑り落ち、乾いた音を立てて床に転がる。
ただの訓練であれば、これで終了するはず。
しかしザックは止まらなかった。
振り上げられた木剣。
狙いは無防備な肩口、完全にガードの外。
これは見せしめだ。
痛めつけるための打ち込み。
――ガンッ!
乾いた衝突音が訓練場に響き渡る。
ザックの木剣を、俺の剣が受け止めていた。
「そこまでだ、金髪野郎」




