表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/46

第1話 俺は感情の無いおとk……うぎゃあああ可愛いいいいいい

 パンの香りが漂っていた。

 焼きたてのクロワッサン、ベリーのジャム、ベーコンにスープ。

 家族が集まって食卓に着く。

 理想の朝食風景とは、こういうものを指すのだろう。

 ただ一つだけ、そこに異物(オレ)がいるということを除いて。


「ねえ聞いた? ヴァルド、また裏庭でひとりで剣振ってたんですって」


 母がスプーンを置き、あきれたように鼻で笑った。


「夜明け前から、ひとことも発さずに。本当に何を考えてるのかしらねえ」

「アイツはホント、気味悪ぃなあ」


 母の言葉に答えたのは兄のディラン。

 眉を吊り上げながら、わざとらしく肩をすくめている。


「……すみません。最近、眠れないことが多く、体を動かそうと――」


 ――ドン!


 俺の言葉を遮るように、ディランがテーブルを叩いた。

 黙ってろ、と。

 そういうことらしい。

 その意向に従って俺は喋るのをやめ、パンをひとかけ、口に放り込んだ。


「あの子は昔っからそうなのよ……」

「人として欠落してるっていうかさ……」


 母も兄も、まるでここにいない者の陰口を言うように喋っている。

 それはもう、心底楽しいと言った様子で。

 陰口の対象、ヴァルド――俺は、ここで彼らと共に朝食を取っているというのに。

 ただ、食器のぶつかる甲高い音だけが、俺がここにいるということを証明している。


「――ああ、そうだ。来週の王都褒章の件だが」


 父がようやく口を開いた。


ヴァルド(アイツ)は連れて行かないことにした」

「……承知しました」


 声は平坦で、話しかけているようには聞こえなかったが、一応俺はパンをちぎりながら淡々と返事をした。


「いいのかい? 『家族皆で来るように』ってことじゃなかった?」

「家名の恥を王都に持ち込む趣味はない」


 父が吐き捨てるように言い放つ。


「そうねえ、レイヴンハルト家(わがや)の次男ですって紹介するのなら、ペットのジョンでも連れてった方がマシよ」


 母が言い、一同が吹き出す。


「母さんそれ言えてる。ジョンの方がまだ尻尾振るしな。こいつは何されてもポカン顔だし、反応ゼロ。下手したら国王陛下の機嫌損ねるって」

「ええ。……家族じゃないってことで、いいんじゃない?」

「そうだな。アイツには、この家の名も血も、もう似合わん」


 ナイフが、また皿を鳴らした。

 しかし、誰もその音を聞こうとはしない。


 俺はヴァルド・レイヴンハルト。

 田舎貴族の次男。

 幼い頃から、貴族の教育は受けてきた。

 礼儀、馬術、剣術、舞踏、語学、魔法理論。

 与えられたものは、期待通りにこなしたはずだ。

 けれど、何も得られなかった。

 心は動かず、感情も湧かず、何も響かなかった。

 無表情、無感情、無感動な不気味な人間。

 それが俺。


 今もそうだ。

 母の嘲りも、兄たちの侮辱も、父の断絶も。

 耳には届くが、内側には何も残らない。

 パンの味も、わからなかった。

 そんな俺に気味悪がって、村人や使用人、家族ですら嘲笑の目を向けてくるようになった。

 始めは距離を置くだけ。

 しかし何も言い返さない俺に気が大きくなり、今では直接的な差別発言が目立つ。

 それでも俺は、彼らに対し何かアクションを取る気になれなかった。

 そもそも、何もかもが、どうでもいい。


「――ヴァルド様。お代わりはいかがですか?」


 声をかけて来たのは、茶色の髪に小さなエプロンドレス。

 翡翠の瞳が特徴的な、屋敷付きのメイド、エミリアだ。

 この屋敷で彼女だけが唯一、他と変わらぬ態度で俺に接してくる。


「不要だ」

「で、でも朝から運動なさってましたし、もう少し栄養を取った方がいいのでは?」


 やけに食い下がる。

 昔から相変わらず、世話好きな女だ。

 

「不要だ、と言っている」

「そうですか……承知いたしました」


 エミリアはぺこりと一礼し、そのまま下がった。 

 俺は食事を終え、挨拶もせず静かに席を立つ。

 誰も止めない、振り向きもしない。

 俺が歩みを進めると、家族団らんの朗らかな声が遠ざかる。

 屋敷の使用人たちは、俺を見ると少しだけ背筋を強ばらせる。

 声をかけてこないし、目も合わせない。

 物陰からひそひそと話す声はよく聞こえる。


「またひとりで……」

「何考えてるかわかんないのよね」

「なんか、こう……目が怖いんだよな」


 気味悪がられているのは知っている。

 自分でも、自分のことを気味が悪いと思う。

 嬉しい、悔しい、悲しい、楽しい……といった、およそ人間的な感情が何一つわかないのだ。

 当然、おかしい。

 けれど、それで困ったことはほとんどない。

 人が離れてくれるのはむしろ都合がいい。

 面倒が減る。


「ヴァルド様。本日は何をなさいますか?」


 ただ一人、彼女(エミリア)を除いては。


「……絵を」

「わかりました。お部屋にご用意しておきます」


 にこりと微笑んで踵を返す。

 と、そのまま止まらずにくるりと一回転。

 再びこちらへ向き直った。


「料理長からこっそりパンの残りをいただいてますので、お腹が空いたらおっしゃってくださいねっ!」

 

 そう言い残し、ぱたぱたと歩いて行った。


「……不要だと、言ったはずだが」


 彼女は距離も、態度も、他の者と接する時と何ら変わらない。

 その理由を考えたことはある。

 けれど、結論は出なかった。

 というより、どうでもよかった。

 理由を知っても、それで俺の何かが変わるわけでもない。




------




 午後、部屋に戻って水彩画を描くことにした。

 芸術の嗜みは、貴族教育の一環だ。

 筆を取り、椅子に座り、カンバスを前にする。

 何を描くかしばらく考えてみた。

 けれど、思い浮かばなかった。


 書きたいものがない。

 好きなものも、興味を引かれるものも、心を揺さぶられるものも。

 何も。


 まあ、何でもいい。

 視線を窓辺に向ける。

 花瓶の中に、小さな白い花。

 それでいい。

 筆に絵の具を含ませ、最初の一筆を――


「――失礼します、ヴァルド様。お掃除に……っ、申し訳ありません。お邪魔をしてしまいました」


 ドアが開いた瞬間、入ってきたのはエミリアだった。

 掃除道具を両手に持ち、驚いたように目を丸くする。

 しかしそれも一瞬で、すぐに彼女は普段の冷静な表情に戻ってペコリと礼をした。


「今すぐ出ます、申し訳ありませんでした」

「待て」


 背を向けた彼女を、俺はなぜか呼び止めていた。

 自分でも理由はわからなかった。

 ただ、去ろうとする彼女を見て、言葉が零れ落ちたのだ。


「は、はい……何か……?」


 エミリアは恐る恐る、と言った様子でこちらに尋ねる。

 それはそうだ。

 普段何にも興味を示さない、必要最低限の言葉しか発さない者に急に呼び止められたのだから。


「…………」

「……?」


 しばし、無言の時間が流れる。

 自分で引き留めておいて、何と言っていいものかわからなかった。

 なぜなら、引き留めた理由が無いから。

 やがて沈黙に耐え兼ね、俺はポツリと言葉を吐いた。


「……絵の、モデルになってくれ」

「えっ、も……モデル、ですか?」


 俺の申し出が予想外だったのだろう。

 エミリアは目をぱちくりさせ、顔を赤らめる。


「あ、あの……その、私、そんな……綺麗でもないですし……」

「座れ」

「うぁ……は、はい」


 エミリアはぎこちなく椅子に腰掛け、メイド服のスカートをそっと直す。

 髪を整え、少しだけ顔を伏せ……そして、顔を上げて微笑んだ。


「――ッ!?」


 その瞬間だった。


 ぐらりと、世界が傾いた。


 強烈な眩暈。

 頭に響く耳鳴り。

 視界の色が反転する。


 脳内に浮かび上がっては消えていく、まだ『経験したことの無い』記憶。

 焼け焦げた村。

 燃え上がる木々。

 崩れた家。

 血に染まった地面。

 ボロボロになった紙きれ。

 名前が書かれた日記。

 その傍らに、ススにまみれた少女の肖像画。

 微笑んでいる。


 その少女は、エミリアだ。


 エミリア。


 そう。


 彼女は、俺の――


「――かっわいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!」

「ひゃあっ!?」


 エミリアがびくっと肩を跳ねさせる。

 驚かせた。

 いやでも待ってやばいってなにこれなにこの表情なにこの天使なにこの……えっえっえっえっ。


「可愛すぎだろがぁ!!」

「ひうぅっ!? ヴァ、ヴァルド様? どうされましたか……!?」


 あああああああやばいやばいやばい。

 普段は冷静で知的な感じなのに慌ててるのすごい可愛い。

 その声も良い!

 脳が蕩ける!!

 尊さが限界突破してんだけど……!?

 超加速する思考に追いつかず、脳がパンクする。


「ヴァルド様!? ヴァルド様……っ、凄い熱! 誰か! 誰か手伝って!」

「ご、ごめ……ちょっと……目まいが……」


 意識がふらつく。

 さっきの脳内に浮かんだ映像は、間違いなく俺の記憶。

 だが、俺はそんな経験は絶対にしていない。

 そして先ほどからガンガンとうるさく脳内に響く声。

 まるで、俺の中に『別の誰か』がいるみたいだ。


「ハァ……ハァ……ぐうっ」


 ガシャン!

 身体がよろめいて、倒れざまに机上の鏡を落下させてしまった。

 そのまま四つ這いの姿勢になった俺は、明滅する視界の中で床に散らばった鏡の破片を目にする。

 そこに映っていたのは、20代後半の平凡な日本人男性――ではなく、濡烏(ぬれがらす)色の髪と瞳をした、中性的な顔立ちのイケメン。

 これは……これは……俺、なのか……。


「ヴァルド様っ……んううっ……!」


 彼女は力なく倒れた俺を必死に抱え、ベッドまで運ぼうとしている。


 ああ、尊い。


 なんて健気で可愛いんだろう。


 だが……。


 俺は薄れゆく意識の中、彼女に想いを馳せた。


 彼女はこのままだと――


 ――()()()()()()()()()

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ