ep.5
それでも、私たちは逃げ延びた。
どこかわからない――崩れた廃墟の屋内。
あまり長居していい場所ではない。だが、今は……隠れるには十分だった。
壁はひび割れ、朽ち、床も剥がれていた。
それでも、ドローンの目は届かない。
音を潜め、呼吸を抑える。
それでも……外では、あの金属音が微かに響き続けていた。
キュルルル……ピピッ……ジリ……。
頭の奥に、こびりついて離れない音。
脳裏に焼き付いた照準の光。
照らされたその瞬間の、死を覚悟した感覚。
痛む右腕すら――忘れていた。
「大丈夫? 怖いよね。分かるよ」
優しい声が、耳元で囁く。
そっと触れる手のぬくもりが、壊れそうだった心を支えてくれる。
その温もりに、涙がこぼれそうになる
「……あなたは、怖くないの?」
絞り出すように、私は問いかけた。
喉の奥が張り詰めていて、声は震え、擦れるようにしか出てこない。
答えが返ってこなければ、それはそれで怖かった。
けれど……聞かずにはいられなかった。
部隊長の彼女は、静かに目を細め、呼吸を整えるように小さく息を吐いた。
そして――頷いた。
「怖いよ。すごく。逃げたいって、何度も思った」
その言葉は、重さがあった。慰めではない。
実感だ。
「二度と、あの音も、光も、目にしたくない。だけど――それを、呑み込んで立たなきゃいけない」
声に揺れはなかった。でも、どこか優しく、記憶をなぞるような口調だった。
「最初から、こうだったわけじゃないよ。君みたいに……私にも、立てない時があった」
ゆっくりと、彼女は自分の胸元に手を当て、指先でそっと撫でるような仕草をする。
それは痛みを思い出すようでもあり、祈りを込めるような。
「前線で、後方支援に出たことがあってね。そのとき、大型ドローンが、突然――すぐ目の前に現れたの」
光のない、記憶の奥をたどるような、深い視線。
「前線が見落としてたのよ。そいつが、ただ潜んでいただけなのに」
「どうなったと思う?」
私は答えられなかった。
答えたくなかったというより……想像が、及ばなかった。
ただ、呼吸だけが浅くなる。
「目が合ったの。ほんの一瞬。それだけで、体がね……凍りついた」
小さく、彼女は笑った。でもそれは、悲しみを含んだ微笑。
「“もう死ぬんだ”って。そう思った。恐怖に、のまれたの」
言葉の奥に、自分でもまだ癒えていない何かがある。
それでも語る彼女は、痛みに慣れた強さを持っていた。
「部隊のみんなも、同じだった。声も出せない、手も動かない。あの瞬間ってね――的確な指示なんて、出ないんだよ。どんな訓練積んでても」
「でもね――偶然、鉢合わせた別の部隊が、そいつを倒してくれたの。ほんとに偶然。運だけだった」
彼女は、私の目をまっすぐ見た。
強い瞳。けれど、それは私を責めるものではなかった。
「……だから、今度は君の番だよ」
「その恐怖を――今、あるそれを、呑み込んで、自分のものにして立って」
鼓動が大きくなる。
何かが胸の奥でひっかかって、脈を打つ。
「二度はないよ。私がいつでも、ここにいるわけじゃないから」
そして――
トンッ。
軽く、だが確かに、背中を叩かれた。
「でも……しかし、無理だ。私には、こんなの……」
震える思考が脳内で渦巻く。
目を閉じれば、あの照準ライトが瞼の裏に焼きついて離れない。
「そんなの、まるで……死を克服するような……勇気? 虚勢?」
違う。違う。
私にはそんなもの、ない。
それを“呑み込め”なんて、簡単に言わないで。
喉の奥に、黒くて重たいものが渦を巻く。
怒りじゃない。恥でもない。
名もない感情の塊。
飲み込めない。けれど吐き出すこともできない。
ただ、喉の奥で、詰まって苦しい。