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第三話 アフターバーナーの夏

# 三


1988年の渋谷の夏は、音で溢れていた。


「このサウンドチップ、まだ動きますよ」山下拓也は、研究室の作業台の上で半田ごてを握りながら言った。基板の上では、YM2151チップが静かに佇んでいる。


「音が、立体的なんです」青木美咲は、古い技術資料に目を通しながら言った。「今のサウンドエンジンとは、まるで違う...」


「FMサウンドの黄金期だったからね」神田徹郎は、懐かしそうに微笑んだ。「僕が高校生の頃、毎日のように聴いていた音だ」


山下は今、ゲーム開発会社で音響監督を務めている。しかし1988年、彼は渋谷のゲームセンターでアルバイトをしていた大学生だった。そして、そこで高校生の神田と出会った。


「アフターバーナーは、特別でしたよ」山下は半田ごての先を拭いながら続けた。「筐体自体が動く。パイロットになった感覚。そして、あの音響...」


神田は目を閉じた。あの夏の記憶が、鮮やかに蘇る。


---


「おい、また来たのか」


山下の声に、神田は振り返った。制服姿の彼は、放課後になるとほぼ毎日ここに通っていた。


「今日は新しい技術資料を...」


「またYMOの話か?」山下は苦笑した。「お前、音楽より技術の方に興味あるだろ」


アフターバーナーの筐体が、低い唸り声を上げている。誰かがプレイを始めたのだ。


「細野晴臣がね」神田は山下に資料を見せながら言った。「YM2151の開発に関わってたって知ってます?」


「へえ」山下は興味深そうに資料を覗き込んだ。「テクノポップと、ゲームサウンドが...」


会話は、轟音に遮られた。アフターバーナーのサウンドトラックが、フロアに響き渡る。


---


「でも不思議ですよね」美咲が言った。「なぜFM音源なんですか?今ならPCMで...」


「制約の中の可能性」山下が答えた。「データ容量の制限の中で、いかに豊かな音を作るか。それが、チップチューンの美学だった」


基板上のYM2151が、ようやく息を吹き返す。研究室に、懐かしい電子音が響いた。


「これ、アフターバーナーのメインテーマです」山下が説明する。「当時、このサウンドに衝撃を受けた若者が、どれだけいたことか」


神田は、古い雑誌を取り出した。『テクノポリス』1988年8月号。特集は「FMサウンドの革命」。


「山下さんは覚えてます?」神田が尋ねた。「あの日、誰かが持ってきた、自作の音源データ」


「ああ」山下は顔を輝かせた。「あれは、凄かったですよ。高校生とは思えない...」


---


夏の終わりのゲームセンター。閉店間際、山下は神田に言った。


「お前、プログラミングやってるんだろ」


「まあ...BASICですけど」


「これ、見てみないか」山下はディスクを取り出した。「友達が作った、FM音源シミュレータ」


画面には、波形のパラメータが並ぶ。神田は、その時初めて理解した。音も、また一つのプログラミングなのだと。


---


「このシミュレータ、まだ動きますよ」山下がノートPCの画面を指さした。「当時の仕様まで、完全に再現されている」


美咲は、画面に見入った。「これ、WebAssemblyで実装されてるんですね」


「現代の技術で、過去を解き明かす」神田は静かに言った。「僕らの研究は、そういう営みかもしれない」


そして、アフターバーナーのテーマが、再び研究室に響き始めた。それは36年の時を超えて、今なお、未来への飛翔を歌い続けていた。


山下は、YM2151チップに優しく触れた。「このチップ一つで、音楽の解像度が変わった。今のゲーム音楽は、もっと自由で複雑になった。でも...」


「でも?」美咲が促した。


「制約があったからこそ見えた風景もある」山下はゆっくりと言った。「技術には、それぞれの時代の、それぞれの詩があるんです」


窓の外では、春の風が吹いていた。そこかしこで、新しい音が生まれ、古い音が記憶として残されていく。神田は、その永遠の循環の中に、技術と人間の物語を見ていた。

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