46 農業国家
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テル王国へ行く日の前夜、魔塔主は城で夕食を我々と一緒に食べて、城に泊まった。
翌日の朝に来てくれればいいと言えば、確実に寝坊すると言われた。
そんなことを言われては、魔塔に帰れとも言えず、私からも急に客間を用意することになったノアールにお礼を伝えておいた。
翌朝、案の定、全く起きて来ない魔塔主を起こして、いつもの勉強部屋でハンザスと合流した。
「では行きますよ」と、魔塔主は軽い調子で言って、
テル王国まで一瞬で転移した。
人気のない路地裏に転移したわけだが、それでも朝市の喧騒がすぐに聞こえてきた。
「魔塔主、町にいる間は王子のことはリト、私はリトの父親で、カルロはリトの従兄弟ということになっています。魔塔主はどうしましょうか? 魔塔主とお呼びするわけにもいきませんし」
魔塔主はしばし考える素振りを見せ、それから私に視線を向けて怪しく微笑んだ。
「では、私のことはクロイツと呼んでください」
「クロイツというのが魔塔主の名前なのですか?」
「さぁ、どうでしょう? 私も遠い昔の自分の名前など正確には覚えていません」
それは名前を教えたくないということなのか、それとも、思い出したくない過去と繋がっている名前なのだろうか?
ただ、魔塔主の眼差しはそれ以上聞くことを許してはくれなさそうだった。
そこに憐憫があるというわけではなく、どことなく悪い顔のような気がしたからだ。
「では、リト、行きますよ」
ハンザスが差し出した手を私が握ろうとすると、魔塔主が私の手を握った。
「ここは護衛役が握るべきでしょう」
「では、私はカルロの手を握ろう」
カルロと私は最初からずっと手を握っているので、カルロの空いている方の手をハンザスが握った。
「クロイツはカルロのお兄さんという設定でいいですか?」
路地裏を市場に向かって歩きながらそう聞くと、カルロがすごく嫌そうな顔をして、魔塔主は「いやです」とキッパリと答えた。
「では、どのような設定に?」
「リトのお兄さんでいいでしょう」
魔塔主はそう即答した。
「私の兄役はハバルですよ」
「兄が二人いても不自然ではないでしょう?」
「まぁ、そうですけど……」
魔塔主と兄弟役かぁ……絶対に面倒な兄に違いない。
「なんですか? リト? その顔は?」
「喋り方はもっとフランクに……」
「私に演技は無理ですよ? 弟に敬語を使う兄だっていますよ。きっと」
「平民ではなかなかいないと思います」
「それなら、私が帝国の難関試験を通った役人だという設定にしてはどうですか?」
「ああ。確かに、それなら敬語で傲慢で人を見下すような態度でもそんなにおかしくないですね」
ノアールが言っていた通り、帝国には帝国傘下の国から様々な人々が集まる。
商人だけでなく、帝国で働くために来る者もいるし、行政に関わる役人になるべく試験を受けに来る者もいる。
帝国傘下のどの国の役人よりも帝国帝都の役人は誉高いと希望者多く、その分、試験も難しいのだという。
そして、難関な試験に受かった者の中には、そのことを鼻にかけて市民に大きな態度を取る役人もいるらしい。
役人とはいわば国民の税金で給料をもらっている公僕なのだが、貴族の義務を理解せずに権力だけを振りかざす愚者がいるように、役人の中にも自分の立場を勘違いしている者がいる。
表向きは敬語だが、内心では相手を見下している役人の役ならば魔塔主でもできるだろうと私が賛同すると、自分から提案してきたはずの魔塔主の眉間に深い皺が寄った。
「随分と私がひどい魔法使いのような言い方をしますね」
「魔法使いとか魔法という言葉も厳禁ですよ」
魔塔主は深いため息を吐いた。
「お忍びの街歩きは楽じゃないですね」
「まぁ、でも」と、魔塔主は私の手をしっかりと握って暗い路地裏から明るい市場へと出た。
「兄弟ごっこは悪くないかもしれません」
魔塔主に引っ張られるようにして路地裏から市場へと出ると、太陽の眩しさに私は目を細めた。
市場は溢れるような人で賑わっていた。
道には野菜や果物、花を売る簡易の店が並び、狭くなった通りを人がひしめきあって動いている。
手を繋いでいなければあっという間にバラバラになりそうだが、手を繋いでいると人の邪魔になるし、移動も難しそうだった。
「父さん!」と私はハンザスに声をかけた。
「カルロのこと抱っこしてあげて!」
「ああ!」とハンザスはカルロをすぐに抱き抱える。
そして、私はあまりやりたくなかったけれど、魔塔主に両手を伸ばした。
「クロイツ兄さん! 危ないから抱っこして!」
少し驚いたような顔をした魔塔主だったが、すぐに楽しそうに笑い、私を抱き上げた。
「リトはいつでも的確な判断をしますね。さすがです」
「背に腹は代えられないからね。こうした場所では安全第一でしょ?」
「英断です」とハンザスが褒めてくれた。
私とカルロはそれぞれ魔塔主とハンザスに抱き上げられたまま市場を回った。
結果として、抱き上げられていた方が店々に群がる大人たちの肩口から商品が見えて見学しやすかった。
しかし、商品を見るうちに私はどんどん不安になっていった。
ひと通り市場を見て回った私は人通りの邪魔にならない場所でハンザスにお願いした。
「ハンザス先生! この国の農業地帯が見たいです!」
「そうですね……魔塔主、転移魔法ではなく、上空からこの国を見渡せる魔法はないですか?」
「風属性の飛行の魔法を使えばいいでしょう」
「ここで飛んでは目立ちますよ?」
「同時に認識阻害の魔法も使いましょう」
さすが魔塔主。
彼の手にかかればなんでもできてしまうようだ。
魔塔主はカルロの属性を調べる時に使った大きな杖を取り出すと、杖の先でその場にスラスラと光の線で魔法陣を描き、私たちに魔法陣に乗るように指示した。
私たちが大人しく魔法陣に乗ると、まるで魔法陣は飛行する板のように私たちを乗せたまま宙に浮き、空に向かって上がった。
特にどちらの方へ飛んでほしいという指示も出さないハンザスに私は質問した。
「ハンザス先生、私は農業地帯が見たいのですが、ここはこの国の首都ではないのですか?」
首都から離れなければ、農業地帯を見ることはできないと思っての質問だ。
「まぁ、まぁ、黙って見ていてください」
空に空に向かって上がっていき、家々の屋根を越え、木々を越え、時計台を越え……首都を囲む高い壁を越えた先は、一面の畑だった。
「この国は田畑の中に町や村が点在しているのです。首都も同じです」
「これは……並ぶことさえもできないですね……」
朝市を見ている時に感じた恐れが確信に変わった。
簡易的な店に並んだ大量の野菜と豊富な種類。
量にしろ、種類にしろ、エトワール王国が帝国の経済圏に入る要素として農作物を候補とするのは無謀だということがわかった。
「そうですね。エトワール王国よりも何倍も土地は広いですし、そのほとんどが農地であり、魔導具を使って農作業を行っていますからね」
「農作業に魔導具まで使っているのですか?」
「はい。これだけ広大だと人の手だけでは難しいので。種を蒔く魔導具や作物を収穫する魔導具、害虫や害獣に対応する魔導具などさまざまですよ」
「これだけ大量生産していれば値段も安いですよね?」
「帝都付近の農村で作られている作物よりはずっと安いですね」
「そんな作物が帝国傘下のさまざまな国に行き渡っているのであれば、エトワール王国の作物など売れませんね」
「売るとしたら何か特別な要素がないとダメでしょうね。特別味がいいとか、体にいいとか」
「希少な作物だとか、ですね」
私の言葉にハンザスが閃いたように「ヴェアトブラウは……」と途中まで言ったが、途端に不機嫌になったカルロの厳しい視線を受けて言葉を飲み込んだ。
「それなら、野菜ではなく薬草を作るのはどうですか?」
魔塔主が言った。
まさか、魔塔主まで案を出してくれるとは思わなかった。
「他と比べて高い野菜はそれだけで敬遠されると思いますが、高い薬草ならいくらでもありますから」
「できれば今の食糧自給率を崩したくないのです」
「でも、帝国傘下に入り、さまざまなものが流通するようになれば消費が増えます。消費が増えるのに国のお金が増えないと国内のお金が減る一方になりますよ」
そうなれば財政が破綻してしまう。
ハンザスの指摘に私は悩む。
魔塔主の言うように、薬草栽培をしてみるべきなのだろうか?
「魔塔主の目から見て、エトワール王国は薬草栽培に向いていそうなのですか?」
「まだきちんと調べた訳ではないですが、エトワール王国の土壌には豊富な魔力が含まれていそうなのです。あの青い花が咲くのもそのためだと思います」
それは初耳だ。
そんな大事なことはもっと早く教えて欲しかった。




