238 愛情
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目を覚ますと、部屋の中は暗かった。
真っ暗ではなく、窓からは月明かりが差し込んでいた。
月明かりを頼りに部屋の中を確認し、そこがエトワール王城の自室だとわかる。
海に落ちるカルロを見た私は冷静さを失って海に飛び込んでしまった。
それからずっと眠ってしまっていたのだろうか?
体がやけに重くて上体を起こすことも、腕を上げることさえもなかなか思うようにできない。
痛みはないけれど、怪我でもしたのだろうか?
側にはカルロが椅子に座り、上体をベッドにうつ伏せにするようにして眠っていた。
重たい腕をゆっくりと動かしてその頭を撫でる。
カルロが無事なようでよかった。
「……リヒト様?」
少し離れたところからヘンリックの声がした。
申し訳ないが本当に体が重くて上体を起こすことは難しいから、枕の上の頭をなんとか傾けて、声のした方を探すと扉の近くにヘンリックがいた。
おそらく夜の護衛をしてくれていたのだろう。
「ヘン、リック……」
声が掠れて思うように話せない。
「無理に話そうとされなくても大丈夫です! 少しお待ちください!」
ヘンリックは扉の外の護衛に声をかけた。
応答のあった声からするとグレデン卿だろう。
魔法学園の期間中はヘンリックだけを学園に連れ行っていたが、城にいる間はヘンリックとグレデン卿は交代で私の護衛に当たるため、こうして二人が同じ時間に護衛にあたることはないのだが、おそらく、二人とも私を心配してくれていたのだろう。
ヘンリックはグレデン卿に何やら託けるとすぐに私の側に戻ってきてカルロを起こした。
「カルロ、起きてください。リヒト様がお目覚めですよ」
「ヘンリッ、ク……い、いから……」
カルロのことだ。
私を心配してまた碌に寝ていないに違いない。
体の重さや声の出しづらさ、ヘンリックの様子、カルロが疲れ切って眠ってしまっている状況……そして、あの長い長い夢からすると、私は海に落ちてから数日間、意識を失ってしまっていたのだろう。
「リヒト様、これはカルロのためです」
ヘンリックの眼差しがやけに真剣だった。
カルロの目が開き、ゆっくりとその頭が動いて私の顔を見る。
そして、その瞳が大きく見開かれていく。
カルロの口は開き、何か言おうとして、しかし、その前に瞳にたくさんの涙が溢れて滲み、カルロは私に抱きついた。
カルロがそんな風に幼い子供のように泣くのを初めて見た。
最近は私よりも背が伸びて、大人びた顔立ちになっていたが、それでもこんな風に泣いてしまうような子供の部分もあったのだなと私はカルロの体に腕を回した。
「カルロ、リヒト様のお体に負担がかかります」
ヘンリックの言葉にカルロは慌てて体を離した。
「リヒト様……」
「カ、ルロ……ごめ、ん」
涙を拭ってやりたいのに、やはり体を起こすことが難しい。
「カル、ロ……」
私はカルロの名前を呼んで、手を伸ばした。
すると、カルロの方から私の手に頬をすり寄せてくれた。
涙を拭ってやると、カルロがやっと少しだけ笑ってくれた。
私は帰ってきたのだ。
あの地獄のような悪夢から、カルロのいる世界に。
「リヒトーーー!!」
「リヒト!」
慌ただしく父上と母上が部屋に入ってきた。
父上の顔がひどい状況だった。
目の下には濃いクマがあり、さらに涙でぐしゃぐしゃだ。
母上も痩せてしまっているように見える。
そうか、泣くのは子供だからじゃない。
大切な人を思って泣くのは、当たり前のことなんだ。
今の私の両親は間違いなく、心から私を愛してくれている。
私は父上と母上の子供でよかったと心から思う。
長く、悲しくて苦しいあの夢は、私がこの世界に来てから思い出さないように避け続けた記憶だ。
自分の死んだ理由は覚えていなかったけれど、私は前世の生い立ちは覚えていた。
しかし、遠い遠い昔の記憶のような感覚で、意識しなければ思い出すことはなかった。
そして、私は思い出すことを避けていた。
けれど、思い出さずにいられたのは、この世界での両親のおかげだった。
彼らが私を愛してくれたから、あの記憶を遠くに追いやることができていたのだ。
両親が落ち着いた頃に魔塔主が来て、私の診察をしてくれた。
王宮医師も私を診てくれていたが、身体的異常は見当たらないということで、私は魔塔主のポーションによって栄養補給を行っていたそうだ。
魔塔主にもらったポーションを父上に体を支えてもらって、母上からゆっくりと飲ませてもらう。
こんなこと、子供の頃にもしてもらったことはなかったから気恥ずかしい。
両親が手ずから何かをしてくれようとした時、子供の頃の私はまだ前世の大人の感覚が強くて断っていたけど、両親は本当はこういう触れ合いを望んでいたのかもしれない。
「どうですか? 声は出ますか?」
魔塔主の言葉に私は「あー」と何度か発生してみる。
「大丈夫、です」
魔塔主のポーションのおかげで正常に声が出せるようになった。
「父上、母上、ご心配をおかけしてすみません」
まだ父上に支えてもらっていた私の体を母上は抱きしめ、父上は私と母上を包むように抱きしめてくれた。
「目を覚ましてくれてありがとう。リヒト」
「本当に良かった……」
母上と父上の愛情深い声が私の胸の中に浸透して、きゅっと胸が締め付けられた。
二人の腕の中は温かくて、優しくて、前世の祖父母や兄の温かさを思い出させた。
兄がいなくなってしまったことは悲しくて、後悔ばかりしたけれど、辛い思いにより私は兄の愛情を思い出せずにいたのだと、やっと気づいた。
兄の人生は、大好きな兄を失った私の人生よりも遥かに過酷で辛かったと思う。
それでも、兄は私を愛し、守ってくれていたのだ。
そんな強くて、愛情深い人のことを私は責めてしまっていた。
前世では52歳まで生きたはずなのに、いつまでも子供みたいに兄に甘えていたのだ。
(兄さん……ぼくを愛してくれて、ありがとう)
母上の肩口に頭を寄せると、母上はさらにぎゅうっと私を抱きしめてくれた。