209 婚約打診
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「リヒト様、お話があるのですがお時間を作っていただけますか?」
私は声をかけてきた人物の姿に見覚えがあった。
入学試験に合格した王子王女、そして貴族たちの情報は前もって情報ギルドに集めてもらっていた。
その中でも珍しく姿絵が出回っていたのが今年15歳のこの王子だった。
魔導具を作ることを得意とするアイレーク王国の第一王子であり、二年生のユーティアの兄にあたる。
彼は背が高く、体格も良く、少年というよりはすでに青年と言える姿をしていた。
まるで『星鏡のレイラ』の攻略対象かのような美形である。
シーズン1にはいなかったが、もしかすると続編であるシーズン2の登場人物なのかもしれない。
そう思えるほどに本当に彼は美男子だったのだ。
それゆえに王国でも人気が高く、姿絵が出回っているのだとジムニが話していた。
またランロットとテオのことだろうかと私は生徒会室に彼を通して、他の者同様にソファーを勧めて、シュライグにお茶を淹れてくれるようにお願いした。
「早速、用件なのですが」
彼は名乗ることもせずに口を開いた。
「私と婚約しませんか?」
彼は爽やかな笑顔でそう言った。
私はそんな彼の言葉に驚き、少しの間、思考が停止してしまった。
そんな私の代わりにカルロが口を開いた。
「リヒト様の婚約者は僕ですが、ご存知ないのでしょうか?」
私の後ろに立っていたカルロは大股でソファーの前に回ってくると私の隣に座った。
「従者殿よりは、今後大国へと発展することが確実なアイレークの王子である私の方がリヒト様に相応しいと思うのですが?」
その言葉は自身の方がカルロよりも優れていると考えているという意味だろう。
それはとんでもない勘違いなのだが?
「本当は、妹のユーティアとの婚約を勧めるようにと父上からは言われているのですけれど、直接、リヒト様を見て、私が気に入ってしまったのです」
「お父上から婚約の打診をするようにと指示を受けて、わざわざ学園に入学されたのですか?」
私は外行きの笑顔を作り、そして、カルロの手を握った。
私の行動にアイレークの第一王子の眉尻がぴくりと動いた。
眉の先までよく手入れされている。
「学園とはそもそもよき伴侶を見つけて交渉する場ですよね?」
この王子は一体何を言っているのだろうか?
学園とは学び舎であり、婚活パーティーの場ではない。
「アイレーク王国の学園がどのような場なのかは知りませんが、我が校は違います。魔法を学び、学友たちと友情を深める、健全な学び舎です」
「ユーティアもそのように言っていたが……え? 本当に?」
彼はその目を瞬いていたから、本当に学園を婚約者探しの場だと考えていたのかもしれない。
アイレーク王国は元々はそれほど力のある国ではなかったが、近年、魔導具開発が盛んで急成長している国だと情報ギルドからの報告には書いてあったが、王侯貴族の品性という点に関しての教育はそれほど進んでいないのだろうか?
まるで、礼節や立ち居振る舞いを学ぶことをおいてけぼりにして財力だけを手に入れた成金のようだ。
アイレーク王国の王女であるユーティアと上級貴族であるクシマにはそのように感じなかったので、この王子だけが特殊なのだろうか?
もしかすると、美形で注目を浴び、第一王子という身分もあってちやほやされてきた分、謙虚さが欠けているのかもしれない。
「リヒト様、兄が不躾な申し出をしたそうで、大変申し訳ございませんでした」
翌日、兄から直接話を聞いたのか、教室でユーティアから謝罪された。
クシマまで一緒に頭を下げている。
周囲にいた生徒たちは何事かと私たちに視線を向ける。
「お二人が悪いわけではありませんから、頭を上げてください」
「わたくしもクシマも邪な考えは持っておりませんので、どうか、これまでのようにご指導ください」
私は彼女たちを指導したことなどないと思うのだが?
魔物討伐の時に色々と口を出してしまったのがそのような誤解を与えているのだろうか?
それとも、昨年の授業で教師役のようなことをしてしまったのが原因だろうか?
今後は振る舞いに十分気をつける必要がありそうだ。
クラスメイトとして我々は対等なのだから。
「ユーティア様のお兄様はなぜあのような申し出をしたのでしょうか?」
「それが」と、ユーティアはクシマと視線を交わした。
「兄上はわたくしが王位を継承して、クシマが王配として我が国の魔導工学を発展させた方がいいと考えているのです」
「自分がリヒト様と婚約すれば、アイレークのためにもなるし、自身が王位継承権を失ういいきっかけになると考えたのでしょう」
既に婚約者のいる私に婚約を申し込むなど節度のない人間に見えたが、国のことは考えているということだろうか?
「実のところ、わたくしもクシマもリヒト様に直接婚約の打診をするようにと父上からの密命を受けておりました」
私はその言葉に驚いて二人を凝視してしまう。
「しかし、リヒト様のことを間近で見ていれば、カルロ様のことを大事にされていることもわかりますし、自分がリヒト様の伴侶として力不足なのはわかりますので、そのような申し出はできませんでした」
「それに、この学園で学ぶことは本当に有意義で、すぐに国王からの密命など忘れてしまいました」
「おそらく、昨年入学した他の皆さんたちも情報収集とリヒト様と親しくなるようにという命を受けていたはずです」
ユーティアのそんな言葉に周囲の生徒たちは苦笑いしたり、気まずそうに私から視線を逸らしたりしている。
「でも、リヒト様をお近くで見ていればそのようなちっぽけな王命などどうでもよくなってしまうのです」
王命をちっぽけと言えるのは、その命を下した王が自分の父親だからだろう。
しかし、上級貴族であるクシマが密命を忘れたというのはいいのだろうか?
王女はともかく、クシマは忘れてはいけなかったのではないか?
しかし、彼らが王命を無視してくれたおかげで平穏な毎日を過ごせたので、私にとっては幸いだったのは確かだ。
「今の一年生たちはリヒト様の叡智や魔法を間近で見ることはできませんから、わたくしたちのようにリヒト様に敬愛を抱き、自分たちではリヒト様の婚約者として力不足だと気づくのに時間がかかるかもしれません」
「つまり、あの無礼な第一王子のようにリヒト様に無礼を働く者が増えるということですか?」
カルロの眉間に深い皺が刻まれた。
「その可能性は十分にあるかと思います」
ザハールハイドまで眉間に深い皺を刻んでそんなことを言う。
「リヒト様、いっそのこと、そうした者たちは全員退学にしたらいいのではないですか?」
ライオスの力技な提案にカルロもザハールハイドも頷く。
「それは流石に横暴でしょう。何より、私はそのような者たちになびく予定もないですし」
確かに、婚約の打診などしてくる者たちは面倒で仕方ないだろう。
しかし、魔法学園を運営していくためには一定数の生徒は必要だ。
彼らの国から学費をもらい、学園を運営し、魔塔の魔法使いたちが満足するだけの給与を与える必要があるのだから。
私の面倒を避けるためだけに生徒を退学にするわけにはいかないだろう。