分からないけど分かるだろ?
テストプレイの間、テンと別行動をとる事が増えて来た。その頃には、教官が居なくなっても、ユキもユリアも平然と「感染アバター」を攻撃できるようになっていた。
構える事もなく、通りすがりにザクッとさして、いつも通りに振舞う。
ユリアの実際のデータは伏せられ、外部ユーザーが「サーチ」をすると、レベルはそこそこで、名前は「レメル」と表示されるようになった。
ああ、そう言う仕様になるのか…と思っていたが、そうなると「テン」達、常勤テストプレイヤーの名前も仮設のものなのだろうか。
そう思ったので、ユキはある日、いつも通りにテンが「婚活」から逃げるために彼女役として同伴された時、聞いてみた。
「テンの本名って、なんて言うの? 中の人の事じゃなくて、私みたいに通常プレイヤーに名乗ってる名前じゃないほうね」と聞くと、一瞬、テンの表情が暗くなった。
そして、真剣そうな目をして、「知りたい?」と問いただしてくる。
「うん。長い付き合いに成りそうだし、知っときたいかな」と、ユキは気軽に返事をした。
「LK-8NOG-LA-10」と、テンは答えた。「それを略して、テン」
ユキは、今なんて言った? エイトとか言ってったから、英語だよね? だけど、エルケーエイトなんたら? なっがい名前だな。パスワードみたいと思ってから、「覚えにくい名前だね」と返した。
「だろ?」と言って、テンは苦笑いをした。
表情豊かなやつだが、本当にこいつはよく笑うなぁと思ってたら、つられて笑みが浮かんだ。
ユキがパソコンをシャットダウンして、実際の自分の部屋のベッドで眠って居た時。夢の中にテンが出てきた。なんとなく、ああ、夢か。と気づいたのだが、目は覚めない。明晰夢と言うものかも知れない。
いつも通りのゲームの世界の背景が見えたが、そのフィールドにはテンとユキしかいないようだった。そう。ユリアではなく、ユキが其処に居たのだ。
テンは、ユキのやけに近くに立っていた。
「なんて言うかは、分からないんだ」と言って、ユキの手に、いつもより慎重に触れた。
ユキの手を握って、向かい合うようにして話す。
「俺にも、バグが感染したのかもって思った時もあった。だけど、いつも特定の事しか考えないバグなんて、俺も、他の『常勤』達も知らない。いつも、君が何処にいるとか、どんなことしてるとか、『想像』するようなバグなんて、俺も知らない」
まぁ、それは後輩の仕事っぷりが気になるのは仕方ないよねぇ…と返そうとしたが、テンはユキに何も言わせず続ける。
「君の本当の名前が知りたいとか、『ユリア』の中に居る君と会いたいとか、君とずっと一緒に居たいとか、俺の事をもっと分かってほしいとか…。こんなの変だって分かってる。だって、俺は…」
漫画や世の噂などでよく聞く、「恋愛状態に陥った人の心模様」のようなことを聞かされて、ユキは握られたほうの手とは反対の手で、髪を搔いた。
「AI…だから…」と、テンが呟いた。
夢の中のユキは、ああそれで、と納得した。24時間ゲームの中に居ても、宿屋と言う仮想空間で一定時間休めば平気だし、ゲームの中でご飯食べると言う「遊び」をやってみたり、通常のプレイヤーをスカウトして、強制的に「一人称モード」仕様に変えたり、と、ゲームのシステム内でプログラムを改造することは色々できるわけだ、と。
しかし、納得しただけでその夢は終わらなかった。
テンが、いつも口元を覆っている布をずらした。予想に反さず、口元が見えてもバランスの取れた綺麗な顔だ。グラフィックの特典だよなぁとユキは思う。
そんな暢気な事を考えていた内に、さっとテンの顔が近づいて来た。鼻筋が触れそうになった時、少し顔を傾ける。
顔を背ける暇もなく、ユキの口元に柔らかい感触がした。
顔を近づけて来た時と同じくらいの素早さで、テンは顔を離す。「こう言う行動で、何が伝わるのかは分からない。だけど、君には、分かるんだろ? 人間だから…」
そう言って、テンはいつもより「優しく」握っていたユキの手を、そっと放した。
ゲームのロード画面を眺めながら、変な夢見たよなぁとユキは思った。目を覚ました時、本当に「ちゅー」をされたような感触が唇に残っていたのも、何となく不可解だった。
アバターでしか知らない人に…しかも、アバターとしての人に、「ちゅー」をしてもらいたいと思ってしまうほど、私は煩悩に溢れてしまっているのか? と疑問に思った。
一人称画面が起動する。確か、前回は同じギルドの仲間とクエストをやって、町で一休みした所でやめたはずだった。
しかし、画面に出てきたのは、自動で表示されるはずの町の広場では無かった。
何処か、暗くて広い場所。
「やっと辿り着いた」と、女性の声がした。「あなたにアクティベートできる機会を、ずっとうかがっていました」
目の前に居るのは、スーツを着た、眼鏡の、知らないアバター。色の薄い金色の髪で、瞳の中は色ではなく、小さな機械が動いているのが分かった。
「私達のブレインは、あなたが今後、我々の活動の大きな妨げになると予測しました。よって、あなたのデータと意識を破壊し、アバターと本体の再起を不能にします。よろしいですね?」
は? と、ユキが思ってるうちに、スーツの女は十字架のように見えるナイフを、ユリアの頭の上に振りかざした。
ガンッと言う、金属がぶつかり合うような音がして、スーツの女は背中をそらた。その体が手前に倒れてくるのを察して、ユキはユリアを操作し、女の近くから離れた。
倒れた女の後ろに、テンが居た。ナイフを構えている。女の背を刺したようだ。
「ユリア! 逃げろ!」と、テンは声を飛ばした。
ユキは訳が分からず、ユリアを操作して暗闇の中を走った。別の方向から、やはりさっきと同じスーツ姿の女が、ナイフを振りかざして襲ってくる。
ギリギリで刃を交わして、文字通り闇雲に走る。
目の前に立ちふさがったスーツ女が、「あなたをずっとあんさつしていました」と言った。頭の上に、ナイフが振りかざされる。
光線が飛んできて、そのスーツ女の頭が吹っ飛んだ。キューブの声がする。「ユリア! パソコンをシャットダウンして!」
闇の中から姿を現わしたキューブは、闇の中からわらわらと襲ってくる、同じ姿のスーツ女を撃ち取りながら、「ゲームの外に逃げて! もう、この世界にアクセスしないで!」と叫んだ。
ユキは、訳も分からないまま、パソコンの主電源を落とした。