第一章 【顕現】 二
「どうしたものでしょうか……」
怜奈から言い渡された事実に、少なからず動揺している。
今まで一般人、ただの高校生と信じて生きてきたのが、ここにきて覆された。
と言うより、自身が普通の人間じゃないと認識している方がおかしい。
怜奈曰く、『最悪、学校を辞めなければならない』そうだ。
話によるとこの街は、他の街より黒い化け物の出現頻度が高い。
それ故に、一人でも多くの覚醒者が欲しいのだと言う。
しかし……
「そんな危険な街なら尚更、優希から目が離せませんね。神崎女史に提言するだけしてみますか」
これから行う行動を頭の中に入れながら、自分の教室に戻る。
既に授業が終わったのか、教室は喧騒に包まれていた。
「お、帰ってきたな。どうだったんだ? なに言われた?」
「残念ながら宗司には話すことの出来ない内容でしたよ。まぁ一つ言うならばかなり厄介な事例だと言うことですか」
大袈裟に『やれやれ』といったアクションを取る。
実際、そこら辺の高校生には考えられないような事例なのだが。
「へぇ。何だ、黒い化け物にでも襲われましたってか?」
「っ、ははは、まさか。そんな危険が伴うような事ではありませんよ。……おっと、すみません、授業の準備をしてきます」
「あぁ。早くしないと先生きちまうぞ」
宗司の言葉を背中に受けながらも、足早に教室の外に出た。
「…………」
その背中を、宗司は無言で見ていた。
「宗司は妙な所で鋭いですね……知らないとは分かっていても若干焦ってしまいましたよ」
教室の外に出た後、周りに人がいないか確認しながら独り言。
最近独り言が多くなってしまったような。
「疲れているのでしょうか……」
また溜め息をひとつ。
溜め息も多くなったような気がする圭は、自分を取り巻く環境の事を考えながら教室に戻った。
○○○
「宗司、すみませんが今日は優希と帰っていただけませんか?」
「構わないけど……なんかあんのか?」
放課後、宗司の元に行き、頼んでみた。
結果的に了承してくれたが、これをどう説明するべきか。
「朝の事が尾を引いてまして。まだ話が終わってませんので、もう一度行かなければならないのです」
当たり障りのない内容で誤魔化してみる。
平然と嘘を吐ける特技と言うのはこういう時に便利でもある。
「まぁ、最近物騒らしいからな。送ってく事に異存はねぇよ。で優希ちゃんはどこにいるんだ?」
「ありがとうございます。玄関にいるはずですので、後は頼みましたよ」
宗司は何も言わず、片手をひらひらと振って教室を出ていった。
これで、優希の事はひとまず安心。
合気道の腕前が達人級の宗司なら、例え黒い化け物が相手であっても逃げ切れる筈だ。
「さて……僕は出来るだけ人通りの多い所を通って帰らなければ」
怜奈と話をした時、特殊危険物調査処理担当部署や黒い化け物について説明を聞かされた。
まず、組織の名称。
さすがに特殊危険物調査処理担当部署では長すぎる。
故に、《M.A.T.》と呼ばれる。
Magic.Army.Team.
不可思議な武器を使う集団。ただそれだけだ。
実際に、怜奈は見せてくれた。
左手の甲に刻まれた、《Ⅲ》の文字。
その左手の掌から、一振りの剣を引き抜いたのだ。
細剣と呼ばれる種類の武器だ。
これで、覚醒者がどんな存在なのか認識した。
そして、黒い化け物。
通称、黒影。
形は様々だが、大抵は動物の形を取っているという話。
犬、猫、鼠、鳥、虎、他にも様々……大きさもまちまちらしい。
ただ共通しているのが、機動力、もしくは破壊力の高い動物の黒影しか確認されていない。
ただ怜奈は、可能性の話もしていた。
曰く、世にいうドッペルゲンガー。
もしかしたら、あれは人型の黒影の可能性もある、と。
それから最後に、圭自信の能力は何なのか。
「それは発動するまでわからない、でしたか」
怜奈の話では、現時点では圭の能力は不明。
覚醒する方法すら特定されていない。
「さて、とりあえず日曜に防衛省まで行かなければならないんですよね。……防衛省はどこにあるんでしょうか?」
一人思案しながら確実に家までの距離を詰めていく。
そろそろ彼等は家に着いた頃だろうか。
ーーー今、遠くで、悲鳴が聞こえたような……
「今のは……何処からでしょうか?」
悲鳴が聞こえ方向を見てみる。
あっちは確か、工業団地だったはず。
人通りが少なく、この時間帯はまず人は行かない。
「……無視してもいいのですが、聞いてしまったからには行かない訳には行きませんね……」
圭は勘だけを頼りに、工業団地の方に走っていった。
「はぁっ……はぁっ……」
圭は、体力が無い。
いわゆる文系の人間であるから、走るのには向いていないと言った方がいいだろうか。
「っ! あれは……うちの高校の制服では……」
犬型の黒影に引きずられているのは、圭と同じ高校の制服。
見たことがないのをみると、同じ学年では無いだろう。
「しかし、えらく大型の黒影ですね……こんなことなら神崎女史の連絡先を聞いておけば良かったと後悔しました」
女の子は未だ引きずられたままだ。
一体あの黒影は何処に行くつもりなのだろう。
「来てしまった以上、放置する訳にも行きませんね……行きますか」
隠れていた物陰から飛び出し、女の子を確保しようと飛び付く。
黒影は至近距離まで来ても気付く事はなく、女の子を難無く奪う事が出来た。
(気を失っている……不味いですね。僕だけならまだしも、女の子を背負ってこの黒影から逃げ切る自信はありませんよ……)
「ヴヴ……」
黒影は威嚇するように唸る。
女の子を奪ったことに腹を立てたのか、怒りを露にしながらゆっくり近付いて来た。
「出来る、出来ないなどと行ってる場合ではありませんね……!」
急いで女の子を背中に背負い、少しでも離れようとする。
黒影は追い付けると思っているからか、ゆっくりとした足取りでしか動かない。
「とりあえず、あの倉庫に……」
「ん……」
「起きましたか!?」
背中で声が聞こえた。
どうやら女の子が起きたみたいだ。
「あ、貴方は!? それに、ここどこ?」
「話は後です! 今はあの倉庫に向かって走ってください!」
倉庫はもう目の前。
倉庫に駆け込んで入口を閉じる。
それにプラスしてついたてをしておく。
「はぁっ……いつまで持ちますかね……」
「貴方は……誰?」
逃げ込んだ倉庫。
その中で助けた女の子は疑問を向ける。
「僕は宮城圭です。あなたと同じ高校の二年生になります」
「私は堤曜子。三年よ」
「そうですか……っ!」
ガン!
突然倉庫に響く鉄を叩いた音。
同時に揺れて、埃が落ちてくる。
「あの化け物が来ましたね……」
入口に目を向ければ扉がひしゃげているのが見て取れる。
持ち堪えてもあと二撃。
「堤先輩。入口付近に移動してください」
「そんなことしたらやられちゃうじゃない!」
「いえ、僕が囮になります。僕はアイツから離れた所に立ってますから、化け物が僕の所に来たら気付かれないように逃げてください」
ガッ!
入口はさっきより曲がっている。
あと一撃で破壊されるだろう。
「早く行ってください!」
「君はどうするのよ!」
「堤先輩が脱出して助けを呼んでくれれば僕は大丈夫です。それまで逃げる事は出来ますから。さ、早く!」
「く……死なないでよ!」
曜子が離れていく。
これでいい。
(例え僕が死んでもその間に安全圏まで逃げ切れるでしょう)
圭は隠れていたコンテナから出て、入口の直線上に立つ。
(堤先輩、気付かれないでくださいね……)
入口付近のコンテナに隠れている曜子と目が合う。
ガァンッ!
破られた。
目の位置で鈍く光る灯り。
こちらを見据えている。
「こっちです。来なさい」
言葉は通じないだろうが、気を惹くために声を上げてみる。
そのせいかは分からないが、黒影は圭に近付いて来た。
(さぁ、堤先輩! 逃げて下さい!)
通じたのかは不明だが、曜子は音を立てずに倉庫から脱出した。
焦らず、冷静に対処出来る人間はなかなかいない。
「黒影……」
圭の目の前で止まる。
でかい。
普通の犬のサイズではない。
高さで言えば、圭の顎下くらいまであるだろう。
「ッ!」
バックステップ。
圭が元いた場所の地面は陥没している。
黒影の前足が叩き落とされたのだ。
「……どう対処していいのやら」
「ガァッ!」
黒影は圭に向かって突撃してくる。
右横に跳んでかわしたが、右から衝撃。
吹っ飛ばされてしまった。
倒れているのに頭が揺れる。
(何が……)
霞む目で黒影を見て気付いた。
(そうですか……尻尾で僕を……)
頭が揺れて立ち上がることもままならない。
辛うじて体を起こし、コンテナに寄りかかる。
「グルゥ……」
こちらが動けないのを悟ったのか、ゆったりと圭に近付く。
「五分と持ちませんでしたか……」
何故、こんなに無力なのか。
怜奈は力があると言った。
(そうだ、神崎女史は僕が覚醒者だと言った)
では何故、僕には力が無いのだろうか。
(あぁ、これは死にましたね……父さん、もうすぐそちらに行きます)
目はもう見えない。
代わりに、幻覚が見えた。
光の中から誰かの手が、圭に向かって伸びてくる光景。
(あぁ、これはきっとお迎えですね……父さんの手でしょうか)
無意識の内にそれに左手を伸ばしていた。
あと五センチ。
(悔やまれるのは母さんと優希を守り切れなかった事でしょうか……力がないとは、辛い事ですね)
(ーーー……力が、欲しいか?)
懐かしい声。
父親の声だ。
(もう遅いですよ。ほら、貴方の手がこんなに近い……)
あと、一センチ。
(お前は苦労してきた。俺の代わりによくやって来てくれたよ。もう楽になってもいい。でも、お前が望むならーーー力をやるよ)
(まだ……彼女たちを守れるのですか? そんな力があるのなら……ーーー僕はそれが欲しい)
圭は、父親の手を掴んだ。
瞬間、轟音。
父親の手は消えて、左手に握られていたのは銀色の銃。
左手だけではない。
右手にも銀色の銃が握られていた。
さっき鳴り響いた轟音は、左手の銃から発せられた音。
黒影は、眉間に大きな穴を開けて、崩れ落ちた。
『あなたは、覚醒者です』
怜奈の言葉が頭の中でリフレインされている。
ーーーこれが、圭が覚醒者として目覚めた瞬間。
程なくして、警察が駆け付けた。
全て片付いた後に……